トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

無農薬・無肥料・放任結果

2024-09-01 | 感じるままの回り道

 庭の林檎の樹の手入をしなくなってから久しい。摘果はそこそこ行うが農薬や肥料は使わない。それと言うのもジャムにする熱意や需要が減ったからなのだ。果実は実っても放任だから順次落下するけれど、そうなると「もったいない!」と拾って食するのであるが、これがまた手間なのであった。果実は小振りで吸汁被害を受けた箇所は腐食が進み使い物にならない果実もある。外皮もまた市販品のように綺麗に出来る事も無い。「食べる」意識があった頃は摘果もし袋も掛けたので小振りながら綺麗な果実を得られたけれど、手間を掛けない昨今の果実は写真のようなものになる。

 それでいつも思うのはリンゴの産地の実成りの状態だ。テレビや写真で見ると袋も掛けないで大玉の綺麗な果実が鈴なりの画像はよく目にする。摘果し肥料を施していれば果実も育つけれど果実や葉の被害は放任ではまずアウトだろう。それで商品とするには農薬も適切に使用しなければならないはずなのだが、その効果は自分の処の果実と比較すると驚くに値する。リンゴやナシ、カキなどは皮ごと食べる小生なので残留農薬はちとばかり気にするけれど小年金高齢の孤爺ともなれば残留農薬の蓄積など意に介しても居れん。病害虫に侵された玉だって腐植部を切り除けば口に納められる。

 かくして不揃いの切り分けリンゴに唇寄せて「リンゴ園の林檎はどうして綺麗なのだろうか!」と幼い疑問を胸に秘め不揃いの断片を口にするのであった。写真の品種は紅玉だが受粉樹のフジは更に実成りが悪い。まあ、後発品種だけにそれだけ御母日傘を必要とするのだろう、くらいは察しているのだった。「だからどうした⁉」と言われれば引っ込んで昼寝するしかない孤爺である。まあ、永世孤爺の称号は手にしたからそれで良し!かも。カモカモバンビーノ、であるコッタ、テラコッタ・・・。

     


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