トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

手拭いで作った頭巾帽

2024-11-15 | 何よりの楽しみ

 スキンヘッドと言うレベルでも無いが3分刈りの頭部は何かと危うい。直射光は厳しいし何かに当たると傷にもなり易い。そこで「頬っかむり」では不審者通報に晒されるので箪笥貯巾の手拭いで頭巾帽を作り愛用しているのだ。手拭いは配り物で入ってくるものの、昔ほど使い道がある訳も無しで、最近はやりの美術的な飾りにも出来る手拭いであれば良いけれど、配る方も1枚千円以上もする手拭いでは気軽に配布も出来ない。

 てなもんや三度笠、いいえ、てなもんや頭巾帽てなもんで使っていても数年は使用できるのでそうそうは減らないのである。そんな折にクラス会に着用していた頭巾帽を「使いたい」とリクエストがあったから暇つぶしの手慰みに最適と早速、箪笥貯巾の手拭いを総動員して縫ってみた。雨の日の一日を朝食後から夜鍋仕事まですれば10枚程度は容易に縫える代物だ。しかしそこはそこ、メジャーリーグをチェックしたりお茶を一杯飲んだりとグダグダの休日だし裁縫ボランティアでもあるから気ままに作業する。

 やり始めれば浮気の気性がムクムクと頭角をもたげて来るけれど肝心の頭角はとうの昔にもたげる事も無くなったのであるからして貴重なムクムクなのだ。一方、頭髪のムクムクモコモコは青春時代を境に減退し始めて現在に至るのであった。まあ、人生なんて思い通りにも希望的観測のようにもならなかった思い出ボロボロ湿疹ボロボロだったなあ。そういう事は「水に流して」と想えども流せるもんで無し、わが身我が心が流されるままに時が経過したのだった。

 ここまでに至って本題から大きく逸脱した事に気が付いて被り物に軌道修正すると、貯巾してあった手拭いとインドネシアの手織りの民族布、越後の麻布でも作ってみたのだが使い勝手に難がありそうに思える。麻布の通気性は抜群なのだが固めでフイット感が悪いかも知れず民族布は派手過ぎて好みに合うかどうかわからない。頂き物の手拭いは基本「広告」なので装着者の好みやセンスにかかわって来るから被ってもらえるかどうかわからない。そこで少しはセンスの良い手拭いで作る気になって販売店を探したら車で15分程度の処にあった。HPを覗くとあるある好みの柄が、しかし数千円もするのだった。まあ、遊び半分手慰み半分のソーイングだからと廻ってみたけれど残念、扱いは無くて大型ショッピングモールもガーゼの品物だけで頓挫。通販にすれば良かった・・・。

 


荒れさせてしまったバラフライガーデン

2024-11-14 | 蝶の食草園

 トンボ池傍に設えた誘蝶エリアだったが今期は諸々の気象状況や都合がつかない日々があったりしてすっかり荒れさせてしまった。本来ならば今頃はフジバカマに多くのアサギマダラを見終わった時期に当たるのだが今期は一頭も見ていない。既に花の盛りは終わって綿毛を抱いた種子を散らし始めたのである。それでもメドハギには多くのキタキチョウが群れて、こちらはガールハントと産卵に大忙しなのである。

 庭で育成したノアザミのポット苗も移植時期を逸してしまって立冬を過ぎてしまったものの冬越しは大丈夫だろうと定植した。不要な野草を抜き取って残っていたであろうノアザミのロゼッタを探したのだが全てが消え失せていた。ノアザミは多年草とばかり信じて疑わなかったのに昨年、今年と株の衰退は著しく遂に消え失せたのだった。S先生でも「多年草ではなく数年草なのかなあ⁈」とおっしゃっていたぐらいだから小生に判るはずもなく、せいぜい苗を育成し補植し続ける事しか用は足せないのだった。

 同じころに設えた尾根突端部のバタフライガーデンも同様の憂き目に遭ってしまい、フジバカマは全滅だろうしノアザミはどうなのか気になるところなれど水源地の復旧作業も行わねばならないから我が日々の行動は分裂気味になってしまいそうだ。手入れを急ぐべき箇所は数カ所あるがわが身はひとつで若き日のように猪突猛進は出来なくなった現在、まあ、ボチボチやるしかない。


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「お菊虫に鉢を乗っ取られる・・・」

2024-11-13 | 小人閑居して憮然

 風鈴の灯火であえなく撤退したり撤退させられたり居残ったりと全国津々浦々、風鈴の音色は様々であるけれど、番組復活を望んでいたかの御大の昆虫相手の会社から撤退すると言うニュースを見ると番組開催は絶望的だなあと思わざるを得ず、このタイトルでの記事もそうなると意味がない。なんてつらつら妄想しつつ遅まきながら庭で育成していたノアザミなどをフイールドに定植しに行ったのだが車から降ろす時、鉢の側面にお菊虫がついているのに気が付いた。今期の越冬体の発生は10頭ほどもいて数が二桁なんて久しぶりである。

 蛹化するのは人工物を好む傾向があるけれど今期の蛹化は食草のウマノスズクサに付いて羽化していった個体もいた。これはこれで珍しい。さて鉢で越冬隊となった蛹様、地表から10cmほども無い低い部分での越冬体である。家の基礎部分や二階の窓枠など高さはまちまちなのだが雨の泥跳ねが当たるような位置に場所取りしたのは「お前、馬鹿か…」と言いたくなってしまう。とは言え既にアリなどの餌食になる季節では無いのでそう思っての事としたら「賢い馬鹿」なのだ。

 さて、空になった鉢をそのまま積み置く訳にもいかず春先の羽化に支障のない場所で冬越しさせねばならない。ホント、世話が焼ける。このお菊さん、脱ぎ捨てた振袖をお尻にくっつけていた。炭化したように見えるけれどお菊さんは八百屋お七と異なるから振袖には火を付けない。こんなバカげた妄想を書いたところで判る人は居るんだろうか、それが問題だ・・・。

     


止められない、止められない、遂には杭棒

2024-11-12 | 今日は真面目に

 幾何回転体の加工素材を板材でなくムク材で作ってみようとまずは垂木の端材で作ってみたのが先日の事だ。角材なので二面に投影図を描いて鋸で荒取りしサンダーで形を整えオービタルサンダーで曲面を仕上げたのだった。これはこれで思っていたよりスムーズに終わって、こうなると何時もの如く暴走が始まる。出来が悪ければ今度は「もう一度」となるのがお約束だから、どちらにしても面倒な性向なのである。

 一夜明けない丑三つ時「そうだ丸棒から作ってみよう!」と「ビビビッ」と覚醒してしまい、その手順を考えつつ朝を迎えてしまったのだった。丸棒は杭の断材を使う事にしたのだが角材のように平面では無いので罫書き線をどうして描くかが難題だった。工場ではVブロックとトースカンで中心線を書き出せるのだが生憎そのような道具は無い。つらつら考えて杭棒の外周面を用紙に展開し、そこに四等分線と円弧の頂点を書き込んで移す事にした。これは上手くいってさっそく加工に入る。

 この日の予報は「昼間は曇り、夕刻から雨」だったけれど朝には路面が濡れていたからフイールドは休みにして朝食後から直ちに工作を開始する。まずはオロイドの中心間を√2×Rの物を製図して鋸で荒取りしサンダーで大まかな外形を削りだした。仕上げはオービタルサンダーを平面に見立て、そこに未完成の部材を転がすようにして研磨を進める。この方法だと実際に転がり運動をさせながら仕上げていくので齟齬が少なくなるはずだ。表面仕上げはスポンジブロックで磨き荏胡麻油で塗装して一丁上がり。転がしてみればそこそこ転がるけれどやはり薄板仕立ての様な「おいおい、止まらんかい!」と言うほど転がらない。木目や加工精度、あるいは木質部の密度差などで微妙なバランスの乱れは生じるから気持ちよく転がらせるには微調整が必要なのだろう。ここまで仕上げて間違いに気が付いたのだった。

 もう「あっれまあ!・・・」なのである。その間違いは円弧の中心間寸法が何故か不足していたのだった。正確な数字は書き出してあったのだが材の長さが短くなっていたのである。結局、新たに正しい寸法で作り直しになり、再度同じ工作を行う。正午ギリギリに完成して漸く一段落したのだが材料の残りはあるし道具も広げたままだったし軒下工作が出来ないほどの雨では無いのでスフェリコンも試作する事にした。必要な材の長さが短くなるだけで加工方法は同じだから意外に早く完成する。転がしてみればそつなく転がるけれど薄板作りより動きは不足だ。しかし木目の美しさと握った感覚のほっこり感は薄板仕立てには無い良さがある。で結局「むくの回転体は見本に用意して置き、量産には薄板仕立て」にするのが妥当と判断したのだった。

 ネットの関連記事を検索すると「角材から削り出し」が丁寧に解説してあったけれど小生には削り出す部材のイメージが作り難く、結局はこの方法にした。この方法なら最初からナイフで削り出しして指の豆を潰す事も無いし出来上がりも想起し易く二辺ある円弧部には3カ所の目印を打つし、これを結べば円弧の先端になるので削り過ぎも防げるだろう。ただ手持ちで電動工具を使うから慣れていないと危ない。

 出来栄え点も加工満足度も合格点だったから祝着至極・執着地獄の両方を味わったのだが「越後の生まれか⁉、それはそれはまずは寿司喰いねえ…」なんて石松さんもおらん孤爺ではスーパーの助六寿司を買って食べるのが関の山だなあ。今日は寒空だし出かける気にもならず「そうだ!ソーイングにしよう」。何を目論んでいるかと言うとキルトでローブカーディガンの大作に挑戦するのだ。

 


今日のトンボ「あんたは誰⁉、おいらは誰…」

2024-11-11 | 小父のお隣さん

 トンボ池傍のバタフライキッチンで手入れ不足の不始末を始末している時に黒く見えるトンボが近くに降りた。色合いからも腹部の太さからも「マユタテアカネとは違う⁉」と撮影をしたのだが額の部分を確認できない。草藪が横にあるから遠回りして正面から接近しカメラを向けたところでマユタテアカネが飛来してアタックを掛けに飛び上がってしまった。

 近くに居るはずなので正面から観察出来れば眉状斑のあるか無しかで種を絞れる。しかし希望と期待も空しく撮影できなかった。S先生が来場されていれば一発で疑問解消だったけれど、そうそううまくは運ばないのが人生なのである。自宅で図鑑対照してみたけれど相当する種は判明せず、マユタテアカネの老熟体かどうかさえも不明の個体になった。

     


木aワーカーの面目があって・・・

2024-11-10 | 今日は真面目に

 1月の「森の市」出品物の製作を行わねばならない時期に入ったのだが量産品の加工が進まない。今まで多くを作ってきて新鮮味が無くなっている事もあるけれど一番の遅れの理由は「他に作りたい物がある」からなのだった。

 木製玩具の幾何回転体は三種類を製作しているが今回はより手数を省略するためにヘキサ・スフェリコンは塩ビ管で試作してみた。これの記事は別掲したが更にポリエチレン送水管の残り物で、この肉厚の管なら接着面の強度を高められそうだと試作をしてみたいのだ。でも今回の記事はオロイドとスフェリコンを今までの様な薄板仕立てではなく「むく」で試作してみたくなったのであった。まあ、ひとつは興味本位なのであるけれど「これくらいなら小生でも加工できそう・・・」と浮気の虫がムズムズし始めた結果なのであった。これくらいできなくては「木aワーカー」としての沽券にかかわる。

 こうなると「待てない性格」の孤爺としては全て他の事はストップとなって、とにもかくにも掻くところが無く人知れず行う工作だから恥をかく事も無いのだが、せいぜい「頭を掻く」程度の顛末は覚悟の上なのだった。いつものように突発的「ビビビッ!」なので材料はありあわせの角材を必要な寸法に切断し四面に投影図を書き込んで鋸で大まかに不要部分を切り取りサンダーで粗削りし大まかな外形を整えてからオービタルサンダーで仕上げた。

 最初はオロイドだけで済ますつもりだったのに一夜明ければスフェリコンも削り出す欲求が止まず沈静化するためには試行させねば終わらない。で、てなもんや三度笠の結果はオーライだった。さすがにタイプは異なるものの加工方法の勘所は同じ回転体で二作目の方がやはり早く済んだのである。一作目を作ってみて二作目の加工を容易にする方法を思いついたのだが「あるはずの竹ひご」が見当たらなくて目印の点を頼りに削ったのだった。この竹ひごの使用は二カ所ある円弧の両末端に竹ひごを埋め込んで置けば削る時の目印になって外形のラインの見当がつきやすくなるはずなのである。

 加工の現実は全て出来上がりラインを想定しつつ削り出していくので目安があると安心でもあるし削り過ぎも防げるはずだ。今回、二種類を加工してみて意外に上手くいくのが判ったから次回は少し硬めのヒノキ材で作ってみたい。今回は洋材だったので加工は楽だったけれど軟らかく、加工中に度々落としてその度に冷や冷やしたのだ。デザイン的に持ちにくい外観なので左手での保持は注意を払ったけれど、それでも時折は落下させてしまう。怪我も無い様に気を使う加工だった。

 下の写真、右側がオロイドで左側がスフェリコンだ。上側が従来製作してきたプレートタイプで下側が今回の試作品になるけれど写真では鮮明さが無く良く分からないものの上側のプレートタイプに肉付けした「むく」の物と考えればその通りなのである。プレートタイプは「こんなんでなんで転がるの⁉」と言う様な不思議な面白さ、むくタイプは「握っても気持ちが良い」一品になった。


二つ池の除草

2024-11-09 | 水辺環境の保全

 温水田に引き続き二つ池の抜去除草に入った。二つ池の水面面積は大きいのであるが周囲の木立で日射量が抑制されるから水域への植物進出は他ほどでもない。ほとんどがミゾソバなので四本鍬で容易に掻き寄せ引き上げられる。ただ中央部に大株になっているカンガレイだけは根が強固で泥下の基盤層まで到達させているから厄介だったが周囲から株に鍬を打ち込んで根を浮かせる事を繰り替えして大株を一度に処理出来たけれど水域を引きずり陸に引き上げるのはまたまた一苦労なのだった。

 まあ、我が人生、泥だらけの苦労をするように遺伝子に組み込まれているのではないかと勘繰ってみるが、出自が雅な南魚沼の水飲み百姓であるからして間違ってはいないのだろう。当たらずとも遠からずかも。そうであっても無くても泥水を浴びている訳で、思えば少年期は田起しや代掻きの時はほぼ小生が牛の鼻棒取りだったような気がする。朝食後から日暮れまで10時、15時のお茶の時間と昼休みを除けば素足で田んぼの中を歩き回っていたのだった。それに近い事を現在は自分が四つ足で行っている。強制されて行っている訳では無いけれど壮年期までは五本脚だったのに今は四つ足だなぁ・・・。四つ足であっても獣にもなれない、毛も無いし…老化とは老獪の一歩手前なり一本損失なり、お粗末。


二点一流れ・昆虫スコイぜ!「カトウツケオグモ」好きです!

2024-11-08 | 小父のお隣さん

 クモは昆虫では無いけれど「昆虫図鑑」に普通に掲載されているから「良し」とする。クモ類を好きでない人たちは多いだろうと推測するが孤爺は特別好きでも嫌いでも無い。まあ、里山のお隣さんなのである。クモ類の中では割合、好感度の高いクモががカニグモ類なのであって最初に見たのはハナグモだったか名前などでてこないけれど「なんだこりゃ~!」とカメラを構えた小生に対し葉っぱの上で盛んに威嚇行動をとってくれたグリーン色のカニグモだった。ハナグモと簡単に片付けてはいたものの独特の姿形はついついほの字になってしまいそうなのだ。薄いグリーン色だったが小生には淡いピンク色にも思えたのだった。鏡を見れば瞳孔はハート形だっただろう。

 さて写真のカトウツケオグモ、そうだと判断したのだが今期2回目のランデブーになった。前回も今回もS先生が発見して呼んでくれたから撮影も出来たのだがまあ、単独では葉の上など見もしないので見つかるはずも無いクモでもある。見たところで「虫目」は持っておらずガチャ目なのだから頑張っても弱り目祟り目で終わるだろう。

 このクモの色彩デザインは鳥のウンコに似せているのかどうか知らないのだが、それにしても四角形の待ち姿で鳥の糞騙しをしようなんて形態がウンコに見えない。さしずめ「残念な生き物図鑑」に入りそうでもある。

 東京都のレッドデータリストの記事を見ると「刈り払いの結果、生息域が無くなった」様な内容だった。藪や灌木、草本の葉の上で待ち伏せして狩りをするタイプなので刈り払いでお払い箱になるとは因果でもあるが、里山保全や自然環境保全の目標は「生物生産緑地」とするべきなのだと改めて思った。孤爺的には細々と小さいフイールドで試行錯誤しているのだが植生を整えておけばS先生が現職の頃に校庭の一画に備えた「自然誘致園」の効果に迫る結果が出ると思っていたものの、市街地、街中と山野のフイールドでは昆虫にとっては切迫度や必要度が大きく異なるようで発生密度から言うと低いままだし、自然誘致園で発生記録されてきた種が何故か我がフイールドには現れないと言う不思議もある。何でだろう何でだろう・・・。それにつけてもあの番組、放送開始にしなきゃあかん。全国のよいこが待っている。孤爺はアサギマダラを待っているが、お迎えはまだ待ってはいない。

     

     


今日のトンボ「リスアカネ」

2024-11-07 | 小父のお隣さん

 気温が下がってくるとトンボたちも温かい場所を選んで止まるようになる。静止状態に近い人体ならほぼ恐れずに翅を休め、ついでに日向ぼっこしていくのであった。この日もトンボ池傍でヒキガエルの下半身の無い姿に集まっていたら赤とんぼが止まったのである。小生は「マユタテアカネ」と思ったのだがS先生は即座に「リスアカネです」と訂正してくれた。小生の判断は「リスアカネの出現頻度は低いしマユタテアカネだって翅端斑があるタイプもあるから…」とまあ、真面目に分析すれば非科学的この上も無い分析なのである。敢て言うまでもない蛇足だが本ブログのいかなる部分も文責は孤爺にあるのだ。

 さてS先生曰く「似た様でもリスアカネの方が大きい」とおっしゃるから周囲のアカトンボと比較すればなるほど明確に体長の差がある。端的に言うなれば体長の違いが認識されていなかったと言えるけれど、そもそも同じ種でも変異がある事も多いから俄か昆虫博士にでもなれない小生なのであって、そうなんです「でも、しか」も無理な孤爺なんです…。で、立冬お見舞い申し上げます。

     


温水田の除草

2024-11-06 | 水辺環境の保全

 水域の半分近くをカサスゲなどが侵出してしまった温水田の抜去除草に入った。抜去の対象はカサスゲとアシである。池の周囲から水域内に侵出して来たミゾソバなどは鍬で掻き寄せ陸地に引き上げれば済むから軽作業といって良いのだがカサスゲやアシの抜去は重作業に入るだろう。根茎ごと抜き取った後は陸地に放り投げて集積しておく。集積場所も地面を高くしたい凹んだ場所に落とすようにするから勢いよく投げるたびに泥飛沫が体に掛かる。根張りが強固だと四本鍬を打ち込み摺動させ緩めて抜くことになるから、この場合でも泥飛沫を浴びる事になって眼鏡さえも泥で視野が悪くなるのだ。当人としては泥パック効果が期待できぬでもないだろうから嫌悪感は無いのだが、帰路店舗に立ち寄り難くはなる。ィ

 だからと言って清水も無い泥仕事の最中では不用意に泥を拭こうものならレンズは傷つくしコーティングは剥がれるので高い代償を払わねばならないから作業が終わり水道水で手を洗うまでは我慢辛坊の時間でもある。この温水田の作業は一日で終了させるつもりだったものの8月初め以来3カ月ぶりにS先生等が見えたので作業中断して制作中断している報告冊子のデーター記入をお願いしたりして昼過ぎまで四方山話しとなり二日がかりの抜去となった。


ヘキサ・スフェリコンの製作デザイン

2024-11-05 | 何よりの楽しみ

 一月末に「森の市」が予定されていて出品はコロナの影響で今年と昨年は出品しなかった。そのため作りためた木の玩具が邪魔になり昔のよしみで施設に引き取ってもらったのだが、今になると市に出品する品物が無い。11月、12月はそれでも縁台加工が出来るのだが1月に入ると寒くて屋外工作は遠慮したい。そんな事から見本に残して置いた玩具の点検をしている時にビビビッと何時ものお告げがあったのである。

 幾何回転体は作り易いオロイド、スフェリコン、ヘキサ・スフェリコンと3種制作してきたが今回のビビビッはヘキサ・スフェリコンだった。今まで木材で製作していたのを簡便に塩ビ管で作れば早い、と思ったのである。

 とりあえず試作見本として作ってみる事にして塩ビの継手と中隔壁になるアクリル板を購入して試作してみた。管径で正六角形の寸法が決定するのだが計算できないから図面に現物の切断幅を合す事になる。材料の管と隔壁の素材が異なり、安い塩ビ用の接着剤が使えない。瞬間接着剤も瞬間では接着できなく固まるまで我慢辛坊が必要だった。固着してから転がしてみたのだが思ったよりうまく転がった。材の継手もワンサイズ太いのだと肉厚でこちらの方が丈夫だし接着面が広くなるから安心かも知れない。ネジ止めも可能な幅がある。しかし価格は倍近いからコストは上がる。

 さて、既に実物見本は無く画像も失せたので「半円形4枚接合型」が一番最初に試作したのだがパーツが多いのと正確に組み立て固定するのが面倒で円柱を縦半分に割ったのをずらして接着したのが二作目である。これは市販の円柱を外径で決まる高さを出して半割にすれば接合部も広く丈夫で重さもあるから転がる事は転がるのだが重心の偏移が大きいので慣性の作用も大きくなり平面で転がすと長続きしないし見た目も「野暮ったい」のでもう少しセンスを上げたデザインにした。

 三作目が木工旋盤で中刳りして円筒形に仕立てこの外寸から長さが決まるから切断・半割して接着した。デザイン的にも好きだったのだが旋盤で中刳りするのが結構、危険な作業で時折は材料を吹っ飛ばしたりするからそうそう数はこなせない。どのタイプにしても運動エネルギーの損失が大きく長く転がり難いので緩斜面で重力の助けを借りて遊ぶのがベストか…。 

 一方、片持ち状態では強度に難があり、また子ども等が遊ぶ事になると角が出ていたり指を挟むかもな、などの可能性が捨てきれないから隔壁を入れてリスクを解消する事にした。これで隔壁採用となり半円四枚使用時の中子や隔壁を伴った初期型に戻った感覚である。

 四作目が今回、ビビビッときた塩ビ管を使う制作方法である。作ってみれば製作時間も少ないし出来上がりも均一性がある。数を作るにはこれが楽だけれど、いかにせん木材ではないのが気になるのであった。ここにきて一番最初の試作過程を思い出した。「骨格だけだと接合部が小さく弱い」ので接合部にダボを入れて接着したのだが面倒だし強度も向上しなかった。そこで菱形の中子を入れたのだが、これも接合と正確に菱形を作るのが面倒で量産型にはならなかった。

 結局は写真左と右のタイプが量産型だろう。個人的には真ん中のタイプが好きで隔壁の樹脂板をカラーにすれば見た目にも可愛くなるし隔壁が正六角形なので半割した片側を60度ずらして合わせたのも一目瞭然、明快である。正式名称はヘキサ・スフェリコンと言うのだそうだが「なんのこっちゃい」であって小生は「ガタコン」で通した。他は「コロリン」と「コロコロ」と転がり方の特徴で名前を付けたのだ。

     


今日のトンボ「マユタテアカネの連結体」

2024-11-04 | 小父のお隣さん

 11月ともなると目につくトンボはマユタテアカネとオオアオイトトンボくらいになる。上空を群れていたウスバキトンボも稲刈りが終わる頃には消えてしまった。日当たりが良く尾根の狭間にあるトンボ池は遅くまで飛翔がみられるのだが飛翔と言うより日向ぼっこに行動は移っていく。時折、採餌に舞い上がったりアタック掛け合ったりするけれど、概ねエネルギー温存の方向性に見える。止まる場所も地面近くになって、やはり輻射熱で温かいのであろう。

 この日もマユタテアカネとオオアオイトトンボの連結体を見つけたがオオアオイトトンボの撮影は出来なかったが連結体を見ていて思った事がある。繋がりはオスがメスの首根っこを挟みつける事で成立するが行為は全くの一瞬なのだ。そこで想う事は「許可があったかなかったか⁉」であって、多くの生物の場合、メスの方が「嫌!」と感じれば拒否行動がある。まあ、「嫌!」なのか「駄目!」なのか科学的判断など出来ない孤爺ではあるけれど明らかに拒否行動がある。

 付近で産卵行動に群れているキタキチョウはこの季節では一番観察し易い。トンボのメスが避ける飛翔⁉と思われる飛び方も見えたりするものの「駆け引きか煽りか⁉」とも取れるからトンボは分からない。となると「極楽とんぼ」は実態としてない、に見える。トンボのオスの行動は言わば「突然、首根っこを掴んで意のままにする」のだから人間社会ではまさしく犯罪に相当だ。その上、既に他のオスの精子の影響がある部分は「捨ててしまう」念の入り方だとか、自分の子孫を残す生存競争はランデブーなんて甘い香りは皆無だ。

 諺に「極楽を作るよりは地獄を作るな」の名言があるが歴史は今もって「極楽を作りたいために地獄を与えている」のが止まない。トンボ界に「極楽とんぼは居ない」を喝破した孤爺ではあるけれど「それがどうした」と言われれば引っ込むしかないなあ。まあ、極楽遁走する事になるか地獄から首根っこを捕まえられるかとんと分からんのがあの世である。とは言え海洋散骨は周知済みだから我が無機質分は「母なる海」に戻る訳で「私は貝になりたい」訳でも無いが滔々たる悠久の輪廻の中に繋がり続けるのは間違いのない事実だ。

     


チェーンソーの整備

2024-11-03 | 今日は真面目に

 先日の事、代表から「チェーンソーが始動しないので整備をお願いします」と言われていてこの日、朝方まで降雨で9時ごろには上がったから整備に拠点の小屋まで上った。この頃は拠点小屋まで行って道具の出し入れをしなくても済むようにしたし定例会も「サービス業」を行うほど暇でも無いので拠点小屋にはほとんど行かなくなったのだ。まずは雑然と物置になっているベランダを片付けて作業場所を確保する。

 小屋からチェーンソー3台を出してオイルと燃料を確認し始動を試みたがなかなか始動しない。そこで一旦残っている燃料を全て排出しバージポンプをポコポコ押して残っているガソリンを気化器に圧送して気化器内の燃料を更新してから始動を試みた。何度かスターターを引き続けてようやく発火音がして「ヤレヤレ…」である。3台とも同じ症状だった。適宜の期間を置きながら使う人員が無くなったので、どうしても気化器内の燃料が通り難くなる。使い終わった後は燃料を抜きエンジンを始動させパイプ内の燃料を使い切っておけば始動困難には至らないのだが「たまに使う」程度だと後始末はしないのである。結局は後始末が小生に回って来るのだった。どこでもそうなのだろうが「共用品」を使う場合「使って終わり」がほとんどなのだろう。

     


今日の素労風努「北秋田なっつとナチュラルチーズ、糀の合体」

2024-11-02 | 何よりの楽しみ

 常備菜の薄幸惣菜が切れてしまったのだがキムチを主材とした同じレシピにするかどうかで食べきるまでにつらつら妄想した結果、「もったいないけど…」なっつと合体させてみる事にした。テレビの画面に「合体!」と大きく出るシリーズ、合体だから尻sでもあるだろうが主役の突然死は他人ごとではない。今際の際は原因からして極めて短時間だっただろうと想像するが当人にとっては長い時間と感じたかもしれない。とは言いつつも長患いの無かった身じまいの結果は大方の高齢者にとってはポックリ様を信仰する、しないに関わらず願う事でもあろう。

 さてそれはともかく「もったいない」と思いつつ三味合体させたのはこの期でしか賞味出来ないと思った結果だ。ナッツはご飯のお伴として☆☆☆なのであるが材料を揃えるのに難があるし既にご飯にサラダにと使い回しをして体験もしたのでこの際、のこったなっつを合わせる気になったのだった。特濃特密ヨーグルトはスキムミルクを合わせ24時間培養したヨーグルトなので既に塩分の無いナチュラルチーズに近い。糀も水分最小にして保温して戻してあるからただ合体させるだけで済んだ。

 食べて見れば惣菜と言うより甘くないペーストスイーツを口に入れた感覚だ。咀嚼をしてみれば素材の漬物の粒々が感じられて、これはこれで新鮮だった。まあ、敢て難を言えばキムチやザーサイが主材の物よりインパクトと言うか物足りなさがある。キムチ主体のこれを食べ続けた結果もあるだろうが「穏やか、主張が少ない」美味しさだ。まあ、こんな老後が日々是好日なんだろうなあ。こんな物を作り続け食べる事の出来ている日々は、食が口まで届かない多くの子どもたちも居る事を思うと決して貧しくもなく不幸でも無い孤爺の日々なのであろう。自前自作であるにせよ世界唯一の薄幸惣菜なのだ。


水源地埋没から二カ月目

2024-11-01 | 今日は真面目に

 八月末に水源地が埋没して取水堰も取水升も砂礫の下、おそらく地下1mほどの処にあるはずだ。それでも泥土でなく砂礫での埋没なので伏流水が取水升に届いて幸いにも断水の事態にはなっていない。しかし砂礫の隙間に微粒子が入り込めばじわじわと減水し断水になるのは目に見えているのだ。10月初め掛け合った担当課職員が雨をおして視察に来たけれど未だに返事も無く、取水堰が破壊された以前の危機の時でさえ「金がない!」の一言で災害復旧には至らなかった事を思うと今回も自助努力になるのだろう、と腹をくくらねばならない。

 今の処、作業の詰まった水域の手入れもしなくてはならない事情もあるので水源地での作業は先送りだけれど、スコップ一杯分でも砂礫を排除する意思を持たねば水域は春までに干あがる可能性が高いのだ。時折は吐水量をチェックしているが大きな変動も無くホッとした。毎分24リットルを吐水しているので量から見れば通常に見えるのだが水源地は目も当てられない惨状なのである。

 孤爺が膝小僧、腰娘、肩倅に無理を言いつつ参加してもらっても微々たる上の微力だ。取水し送水している管路の途中二カ所に簡易トイレの手洗い水用として分岐させてあるから公共性の点では遜色は無いと孤爺は思うけれど…ついつい愚痴になる。愚痴は言うまいこぼすまい、これが孤爺の活きる道。