今日は笛吹の練習日でした。7月に向かってイベントが続くので、練習も忙しくなってきましたが、今日は新しい課題曲として、「あのこはたあれ」「ちんから峠」が加わりました。
これらの曲は、滋賀県日野町出身の細川雄太郎という方が作詞した歌です。彼は、大正3年に日野町に生まれ、10歳の時に父を亡くして、当時の小学校高等科(現在では中学2年の歳頃)を卒業と同時に群馬県薮塚本町の味噌問屋に奉公へ行きました。滋賀県日野町は近江商人を排出した町で、県外で成長した企業も多くあります。昭和初期も、成功している近江の商店に奉公に出る場合が多く、細川雄太郎さんもその一人だったようです。
彼が作詞に関心を持ったのは18歳の頃、童謡「あの子はたあれ」を作詞したのは昭和14年26才の時、3年間帰郷を許されない厳しい掟のなか、夜、光りが洩れないように布団の中に裸電球を持ち込み、故郷を偲び、妹を想い、母を想う気持ちを抱いて作詞したとか。この詞が「みかんの花咲く丘」などを作曲した童謡作曲家、海沼実の目にとまり、童謡歌手川田正子によって一躍有名になりました。そのまま作詞家としての道もあったのに、細川さんは長男として家を継ぐ責任から実家に帰りました。しかし、故郷日野町で仕事の合間をぬって作詞活動をしたようで、日野小唄など、書き綴られた歌は千を越えるとか。1999年2月に84歳でなくなりましたが、現在でも、これらの曲を偲んだ合唱コンサートなどが開かれているようです。
琵琶湖周航の歌だけでなく、滋賀県にゆかりのある曲は、いろいろあるようですね。
さてさて、一昨日は酔っぱらって日記の更新が遅れ、1日休んだことになってしまいました。今、読み返しても、書いた記憶がない・・・なんぼほど飲んだんだか。最近、ビール、いや発泡酒の減りが早いです。1ケース(350ml×24本)が8日ほどでなくなってます。一時、ちょっぴり痩せたのに、またここんとこ戻り気味。飲み過ぎやな~ 原因は、ビンボーとストレス? ダンナに「早く、宝くじ当てて~」
これらの曲は、滋賀県日野町出身の細川雄太郎という方が作詞した歌です。彼は、大正3年に日野町に生まれ、10歳の時に父を亡くして、当時の小学校高等科(現在では中学2年の歳頃)を卒業と同時に群馬県薮塚本町の味噌問屋に奉公へ行きました。滋賀県日野町は近江商人を排出した町で、県外で成長した企業も多くあります。昭和初期も、成功している近江の商店に奉公に出る場合が多く、細川雄太郎さんもその一人だったようです。
彼が作詞に関心を持ったのは18歳の頃、童謡「あの子はたあれ」を作詞したのは昭和14年26才の時、3年間帰郷を許されない厳しい掟のなか、夜、光りが洩れないように布団の中に裸電球を持ち込み、故郷を偲び、妹を想い、母を想う気持ちを抱いて作詞したとか。この詞が「みかんの花咲く丘」などを作曲した童謡作曲家、海沼実の目にとまり、童謡歌手川田正子によって一躍有名になりました。そのまま作詞家としての道もあったのに、細川さんは長男として家を継ぐ責任から実家に帰りました。しかし、故郷日野町で仕事の合間をぬって作詞活動をしたようで、日野小唄など、書き綴られた歌は千を越えるとか。1999年2月に84歳でなくなりましたが、現在でも、これらの曲を偲んだ合唱コンサートなどが開かれているようです。
琵琶湖周航の歌だけでなく、滋賀県にゆかりのある曲は、いろいろあるようですね。
さてさて、一昨日は酔っぱらって日記の更新が遅れ、1日休んだことになってしまいました。今、読み返しても、書いた記憶がない・・・なんぼほど飲んだんだか。最近、ビール、いや発泡酒の減りが早いです。1ケース(350ml×24本)が8日ほどでなくなってます。一時、ちょっぴり痩せたのに、またここんとこ戻り気味。飲み過ぎやな~ 原因は、ビンボーとストレス? ダンナに「早く、宝くじ当てて~」