おかんのネタ帳

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志賀の道

2012-08-13 23:32:10 | 湖国日記
昨日の出発点は、滋賀里駅からでした。
まっすぐ山手に向かい、突き当たりの八幡神社を左に折れて、
観光案内板を参考に右に折れて、小さな坂道を登っていきます。

両側には普通の民家が続くので、この先に古墳やらがあるって、
信じられへんぐらい、ホンマ、普通の町並みでした。

でも、坂を登るにつれ、徐々に、石垣のある大きな家が増えていくんですね。



そういや、あの石垣軍団”穴太衆は”、この当たりから出た職人軍団やったわ。

地蔵堂を経て、同じような坂道進むと、やがて民家がとぎれ、
木々が生い茂る峠道が見えて来ます。

この道を進むと京都へ出ます。
志賀越えという古い道で、山中町を経て京都・荒神口へと向かいます。
現在の山中越え=県道30号の経路は、近世に出来た道で、
昔は、この道を山中越えと呼んだらしいです。

右手に、「百穴古墳群」が見えたので、それを横目に道を進みます。



だんだん、深い森の中に。
水の流れる音と、鳥の鳴き声、セミの声だけが響きます。

やがて見えて来たのが、志賀の大仏(おぼとけ)です。



旅人が道中安全を祈願したと言われている阿弥陀如来像です。
花崗岩に厚肉彫りしてあり、像高は3,1m、鎌倉時代中期頃に作られたとか。



このあたり、虫がまとわりつくように飛んでるんで、
虫除けスプレーをかけながら歩いてました。
汗やらスプレーやら虫やら~ ちょっと情けないオバサン・・・

ここから峠へ向かって進むと、右手奥に崇福寺跡があります。
天智天皇が大津京遷都の翌年に建立したとされるお寺で、
三つの尾根から建物跡が発掘され、塔跡の心礎からは、
国宝舎利容器が発掘されてるらしいです。

ここからUターンして百穴古墳群へ。
相変わらず、虫が寄ってくるし~~



ひっそりとした木々の中に、こけむした石が見えます。
古墳時代後期に作られたお墓が集まったところで、多くは削られたり流出してるけど、
すべてドーム状の横穴式石室を持つ円墳らしいです。



石棺も遺っていて、見ることが出来ます。



こういうのがいくつか遺っています。



崩れているのを含めると、かなり多くのお墓があったことがわかり、
なので、「百穴古墳群」と呼ばれてるんですね。



なんか、すごいね~



説明板を読むと、1箇所に2,3人が葬られ、装飾品や、
土器などの副葬品も多く埋められていたようです。
お祭り用のミニュチュア炊飯セット(カマド・カマ・ナベなど)も納められ、
これらの特徴から、中国や朝鮮半島からの人たちが関係するのではと考えられているとか。

ちなみに、滋賀里駅から百穴古墳まで、15分ほど歩いたところです。
大仏はそこから5分。

こんな近いところに、こういう古墳が遺ってるってすごいでしょ。

さて、ここから、大津京があったあたりを歩きました。

長くなるんで、続きは次回に~~


お盆まっただ中・・・

明日は雨かな?