おかんのネタ帳

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鼓踊り その2

2015-08-24 23:40:32 | 湖国日記
平成11年に出版された「古高町民誌」で、鼓踊りについて調べてみました。

いつから始まったは定かではないけれど、音頭の歌詞や、
踊りに使う道具などから、鎌倉時代らしい、とのこと。
当時、庶民お会いだで流行った田楽踊りに由来すると考えられています。

田楽踊りは、元は桑畑の神事に奉納された踊りが、
田植えの頃に、稲の豊作を祈って踊られるようになったもの。

古高町は、延暦寺の末寺の荘園で、農業生産の高まりとともに、
経済的にも豊かになり、祭りの様式も京都から学ぶようになったとか。
田楽踊りも、その一つと考えられているようです。

どの程度の史料が遺されてるのかわからないけど、
明治3年の大旱魃(だいかんばつ)の時には、氏子が総出で、
大将軍神社に集まって奉納したらしいです。
日暮れには、旗や松明を持って、松塚山(少し離れたところにある)へ

「雨たもう御十郷、雨たもう御十郷」

と、悲痛な思いで雨乞い祈願をし、その神徳があって、
雨が降り、大地が潤ったと記されているとか。

松塚山は、現在工業団地で松塚古墳があるところですが、
(山というほど高いものではないです~)
その昔、娘を人身御供にして雨乞いをしたとことか・・・



昔は女子は踊らなかったって聞いたんやけど、
女の子がいると、華やかですよね~

毎年奉納するとは限らなかったようですが、
「古高町民誌」には、開催した年を細かく記されてません。

昭和48年に守山市の無形民俗文化財に選ばれるまでは
あまり、奉納されてなかったようですね~
翌年の49年に、大将軍神社に奉納、その後、
昭和56年に滋賀県の無形民俗文化財に選ばれています。
その関係で、県外の芸能大会に参加したり、
近江神宮御鎮座の記念などで、奉納しているようです。

この間に、鼓踊り保存会が結成されて、保存に取り組んでいるようです。
(結成された年度が書いてないけど・・・)



かわいい~
今では、こういうオチビさんも参加してるし~



こういう子どもさんとか・・・



女の子も、かわいいね~~

今年は、町内でお悔やみもあったりなんかして、
大人の踊り手が少なかったらしいです。



鼓踊りは19の踊りから構成されています。

町民誌には、歌詞が全部掲載されています。
天保時代に書かれたものが残ってるんやそうです。

でも、どれも大きくは変わらないですね。

浴衣に花笠、団扇を持った踊り子は二重の円をつくります。
円と円の間に、軍配を持った「ゴンベ」と「太鼓打ち」が踊ります。

「とうどう しずまれ~」

ゴンベのかけ声で始まり、囃子方4人が歌います。

素朴で、お囃子が、「テテコテテコ・・パッパラパーノパ」

という風に聞こえてきて、面白かったですね~

保存会の会長さんが、昨年の自治会長さんやったんやけど、

「子どもたちの思い出になったはす。
 これを、受け継いで行って欲しい・・」

ちょっと悲壮な?感じで話されてましたね!
まぁ、けっこう何度も練習を重ねて来たらしいので、
人員確保も含め、開催する年は、たいへんですよね・・・

でも、4年後、期待してますから!