落語が静かなブーム、とか目にするけど、
ほんとにそうなんでしょうかね~?
NHKで放映してる、「超入門!落語THE MOVIE」が、
面白いって、人気らしいのね~
確かに何度か見て、楽しいなぁって思ったけど。
「超入門!」というくらいやから、
落語ビギナー向けの番組ですよね。
なんせ、噺家のはなしに合わせて実写するんやし。
でもね、気になるのは、ほとんどが江戸落語。
たま~に、上方落語でやってると思ったら、
雀々さんの「はてなの茶碗」で(汗)
いやいや、雀々さんがあかんというのんではなくて、
雀々さんの「はてなの茶碗」というのが・・・
上方落語の噺家は250人以上いてるんやし、
初心者向けの番組なら噺を選ぶか、噺家を選ぶかして・・・
偏ったイメージをもたれると・・・汗、汗
そう言えば友だちが、言いますねん。
「落語は東京が発祥らしいね」
「いやいや違いますから」
「○○新聞に載ってたよ。関西は漫才が主流で、
米朝さんが、関西でも落語をできるようにしたって」
「それは昭和の話やん。落語の発祥は江戸時代やから」
言いたいことはわかるけど、
落語のことを、そんなにざっくり言われると、
愛好家?としては、ちょっと困りますし~(苦笑)
15年ぐらい前に、季刊紙の記事としても書いたし、
地元のミニコミ紙でも取材されたり。
もちろん、ちゃんと書物等で調べてますよ。
整理すると・・・
落語の発祥は、
京都・京極にある誓願時の、安楽庵策伝という、
お坊さんが書いた『醒睡笑』が最初と言われてます。
「落とし話」を集めた笑話集で、これを説教に使ったんですね。
この笑話集を元にした噺がいくつか、現在も使われているので、
策伝は、「落語の祖」と言われてるんです。
噺家の発祥は、元禄時代、ほぼ同じ時期に、
京都、大阪(当時は大坂)、江戸に、現れます。
京都は露の五郎兵衛。
四条河原など、大道で「辻噺」をしたのが始まり。
少し遅れて、大坂の生玉神社で米沢彦八が現れます。
・・・なので、今も、上方落語の噺家さんたちが集まって、
彦八まつりが生玉さんで毎年開催されてます。
どちらも、「辻噺」で人気を博しますが、
上方落語の特徴である見台と拍子木は、この名残と言われてます。
人寄り場所で、音を出して聴衆を集めたんですね。
同じ頃江戸では、大坂出身の鹿野武左衛門が、
芝居小屋や屋敷に招かれて演じる「座敷噺」を始めます。
一旦ブームは立ち消えますが、のちに、
烏亭焉馬が現れ、江戸の落とし噺を広めました。
詳しくは、文化デジタルライブラリーの「寄席」→ こちら
昭和になって・・・
江戸落語が興隆して上方落語が衰退してたというのは、ほんまです。
寄席では漫才の人気が上昇して、落語は添え物になってたようです。
東京にはいくつもある落語の常打ち小屋が、上方にはなくて、
なので、噺家も少なくなっていったんですね。
戦後は、ラジオやテレビの普及で落語もブームになり、
笑福亭松鶴、桂春団治、桂文枝、桂米朝の四天王を中心に、
上方落語協会ができて、少しずつ、噺家も増えていきました。
詳しくは、落語作家の小佐田さんが書かれてます → こちら
口から口へ伝える、口伝の文化である落語ですが、
桂米朝師匠が埋もれていた上方落語の噺を、
文字でおこし、書籍にまとめたことは大きな功績で、
だからこそ、人間国宝になられたんですけど、
風前の灯火だった上方落語が、盛り返したのも、
米朝師匠の「教科書」があればこそ、でもあるでしょうね。
私が、学生時代に落研(落語研究会)に入った頃は、
米朝師匠はじめ四天王が活躍されていたし、
「ヤングおーおー」という番組で人気者になった、
笑福亭仁鶴さん、桂三枝さんら若手噺家に、
桂枝雀さんというスーパースターもいて、
ほんまに、ちょっとした落語ブームでしたねぇ。
平成になって、ドラマの影響で落語ブームとか言われたけど、
上方落語では、やはり、落語の常打ち小屋「繁昌亭」ができたことが、
若手の噺家が増えていく、一番の大きな原動力ですね。

去年のGWの繁昌亭。

私的には、やっぱり、朝ドラ「ちりとてちん」が、
めっちゃ、落語熱を高めましたね!
次女が小学生の頃に、地元の「ほたる寄席」で、
米朝師匠を見たのを最後に、長らく、生の落語を聞いてなかったけど、
あのドラマがきっかけで、繁昌亭まで聴きに行きましたから。
あれから、もう、何年になります~?
今も、時々、落語を聴きに行ってますからね!
今月も、行きますよ~!
ほんとにそうなんでしょうかね~?
NHKで放映してる、「超入門!落語THE MOVIE」が、
面白いって、人気らしいのね~
確かに何度か見て、楽しいなぁって思ったけど。
「超入門!」というくらいやから、
落語ビギナー向けの番組ですよね。
なんせ、噺家のはなしに合わせて実写するんやし。
でもね、気になるのは、ほとんどが江戸落語。
たま~に、上方落語でやってると思ったら、
雀々さんの「はてなの茶碗」で(汗)
いやいや、雀々さんがあかんというのんではなくて、
雀々さんの「はてなの茶碗」というのが・・・
上方落語の噺家は250人以上いてるんやし、
初心者向けの番組なら噺を選ぶか、噺家を選ぶかして・・・
偏ったイメージをもたれると・・・汗、汗
そう言えば友だちが、言いますねん。
「落語は東京が発祥らしいね」
「いやいや違いますから」
「○○新聞に載ってたよ。関西は漫才が主流で、
米朝さんが、関西でも落語をできるようにしたって」
「それは昭和の話やん。落語の発祥は江戸時代やから」
言いたいことはわかるけど、
落語のことを、そんなにざっくり言われると、
愛好家?としては、ちょっと困りますし~(苦笑)
15年ぐらい前に、季刊紙の記事としても書いたし、
地元のミニコミ紙でも取材されたり。
もちろん、ちゃんと書物等で調べてますよ。
整理すると・・・
落語の発祥は、
京都・京極にある誓願時の、安楽庵策伝という、
お坊さんが書いた『醒睡笑』が最初と言われてます。
「落とし話」を集めた笑話集で、これを説教に使ったんですね。
この笑話集を元にした噺がいくつか、現在も使われているので、
策伝は、「落語の祖」と言われてるんです。
噺家の発祥は、元禄時代、ほぼ同じ時期に、
京都、大阪(当時は大坂)、江戸に、現れます。
京都は露の五郎兵衛。
四条河原など、大道で「辻噺」をしたのが始まり。
少し遅れて、大坂の生玉神社で米沢彦八が現れます。
・・・なので、今も、上方落語の噺家さんたちが集まって、
彦八まつりが生玉さんで毎年開催されてます。
どちらも、「辻噺」で人気を博しますが、
上方落語の特徴である見台と拍子木は、この名残と言われてます。
人寄り場所で、音を出して聴衆を集めたんですね。
同じ頃江戸では、大坂出身の鹿野武左衛門が、
芝居小屋や屋敷に招かれて演じる「座敷噺」を始めます。
一旦ブームは立ち消えますが、のちに、
烏亭焉馬が現れ、江戸の落とし噺を広めました。
詳しくは、文化デジタルライブラリーの「寄席」→ こちら
昭和になって・・・
江戸落語が興隆して上方落語が衰退してたというのは、ほんまです。
寄席では漫才の人気が上昇して、落語は添え物になってたようです。
東京にはいくつもある落語の常打ち小屋が、上方にはなくて、
なので、噺家も少なくなっていったんですね。
戦後は、ラジオやテレビの普及で落語もブームになり、
笑福亭松鶴、桂春団治、桂文枝、桂米朝の四天王を中心に、
上方落語協会ができて、少しずつ、噺家も増えていきました。
詳しくは、落語作家の小佐田さんが書かれてます → こちら
口から口へ伝える、口伝の文化である落語ですが、
桂米朝師匠が埋もれていた上方落語の噺を、
文字でおこし、書籍にまとめたことは大きな功績で、
だからこそ、人間国宝になられたんですけど、
風前の灯火だった上方落語が、盛り返したのも、
米朝師匠の「教科書」があればこそ、でもあるでしょうね。
私が、学生時代に落研(落語研究会)に入った頃は、
米朝師匠はじめ四天王が活躍されていたし、
「ヤングおーおー」という番組で人気者になった、
笑福亭仁鶴さん、桂三枝さんら若手噺家に、
桂枝雀さんというスーパースターもいて、
ほんまに、ちょっとした落語ブームでしたねぇ。
平成になって、ドラマの影響で落語ブームとか言われたけど、
上方落語では、やはり、落語の常打ち小屋「繁昌亭」ができたことが、
若手の噺家が増えていく、一番の大きな原動力ですね。

去年のGWの繁昌亭。

私的には、やっぱり、朝ドラ「ちりとてちん」が、
めっちゃ、落語熱を高めましたね!
次女が小学生の頃に、地元の「ほたる寄席」で、
米朝師匠を見たのを最後に、長らく、生の落語を聞いてなかったけど、
あのドラマがきっかけで、繁昌亭まで聴きに行きましたから。
あれから、もう、何年になります~?
今も、時々、落語を聴きに行ってますからね!
今月も、行きますよ~!