姜は午後から彦根まで。
3月20日に上演される、前進座の舞台「怒れる冨士」の、
実行委員会があったので、ひこね演劇鑑賞会の事務所まで行ってきました。
これは、演劇鑑賞会のいつもの例会ではなくて、
彦根で上演されるのを応援しようと、演劇鑑賞会の会員を中心に、
100人実行委員会がつくられた舞台です。
前進座は、昨年の2月に、歌舞伎「切られお富」が、
例会で上演されたのを観てますが、
故中村梅之助さんが座長をしていた劇団ですね。
そういうご縁もあって、公演に協力しているんですが、
「怒れる冨士」という作品は、江戸時代、
宝永の大噴火で被災した農民たちに、
自らの判断で幕府の米蔵を開放した伊奈半左衛門の苦悩と、
農民たちの戦いを描いた新田次郎の原作。
舞台は、東日本大震災、熊本大分地震の、
復興支援もしている舞台なんですね。
昨年の秋に、BSの「英雄たちの選択」という番組で、
モデルとなった「伊奈半左衛門の選択」を放映してたんやけど、
今日は、そのDVDの鑑賞会やったんですね。
偶然、再放送をしていたのを見てたんやけど、
後半しか見てなかったから、今回、フルで見ることができました。
番組によると、宝永の噴火はかなり大きなもので、
噴煙が成層圏にまで届いたとか。しかも、16日間も、
噴火し続けたらしいです。
偏西風に流されて、江戸や房総半島まで、
火山灰が降り落ちたようです。
北東にある御厨地域は、焼け砂に埋まり、
田畑も村も、壊滅状態になったそうです。
しかし、その4年前にM8ほどの地震が二度起こり、
幕府は、村を助ける余裕はなかったようで、
検分するだけで、復興は自分たちでするようにと、
捨て置かれたようです。
酒匂川の改修を命じられた関東郡代の伊奈半左衛門は、
農民たちの訴えを聞き、幕府の勘定奉行に、
農民たちを連れて陳情に行きます。
幕府は全国の大名に寄付を命じ、
48万両が集められたものの、16万両を渡したのみで、
残りは、幕府の大奥の建築費用に回したとか・・・
おいおい、どっかで聞いたような話と違うの~~
将軍が代わっても、幕府は富士山麓を助けてくれない。
幕府の裁定は、「亡所」でした。
農民の苦悩を目の当たりにして、
伊奈半左衛門は、幕府の許可を得られないまま、
駿府にある幕府の米蔵を農民に解放・・・
この地が、農地としてよみがえるのに、
100年の月日が掛かったと言われます。
農民たちは、「亡所」にすることなくこの地に留まり、
復旧に努めたんですね。
磯田先生によると、村を離れると言うことは、
農地を手放すことで、それは人格も保証されないことだとか。
農民にとって、それは辛いことなんだそうです。
今とは、違いますよね~
半左衛門は、復興を見届けることなく亡くなるのですが、
幕府にたてついたと切腹させられた、とも言われているとか。
地元には、半左衛門の蔵が建てられ、
英雄の功労を顕彰しているようです。
ちなみに、チケットは、6500円ですが、
前売りは、5500円。
演劇鑑賞会で取り扱っていますので、
行きたい方は、私に連絡くださいね~
良いお席がまだ余ってますので!
今だからこそ、この舞台を観ないと!
3月20日に上演される、前進座の舞台「怒れる冨士」の、
実行委員会があったので、ひこね演劇鑑賞会の事務所まで行ってきました。
これは、演劇鑑賞会のいつもの例会ではなくて、
彦根で上演されるのを応援しようと、演劇鑑賞会の会員を中心に、
100人実行委員会がつくられた舞台です。
前進座は、昨年の2月に、歌舞伎「切られお富」が、
例会で上演されたのを観てますが、
故中村梅之助さんが座長をしていた劇団ですね。
そういうご縁もあって、公演に協力しているんですが、
「怒れる冨士」という作品は、江戸時代、
宝永の大噴火で被災した農民たちに、
自らの判断で幕府の米蔵を開放した伊奈半左衛門の苦悩と、
農民たちの戦いを描いた新田次郎の原作。
舞台は、東日本大震災、熊本大分地震の、
復興支援もしている舞台なんですね。
昨年の秋に、BSの「英雄たちの選択」という番組で、
モデルとなった「伊奈半左衛門の選択」を放映してたんやけど、
今日は、そのDVDの鑑賞会やったんですね。
偶然、再放送をしていたのを見てたんやけど、
後半しか見てなかったから、今回、フルで見ることができました。
番組によると、宝永の噴火はかなり大きなもので、
噴煙が成層圏にまで届いたとか。しかも、16日間も、
噴火し続けたらしいです。
偏西風に流されて、江戸や房総半島まで、
火山灰が降り落ちたようです。
北東にある御厨地域は、焼け砂に埋まり、
田畑も村も、壊滅状態になったそうです。
しかし、その4年前にM8ほどの地震が二度起こり、
幕府は、村を助ける余裕はなかったようで、
検分するだけで、復興は自分たちでするようにと、
捨て置かれたようです。
酒匂川の改修を命じられた関東郡代の伊奈半左衛門は、
農民たちの訴えを聞き、幕府の勘定奉行に、
農民たちを連れて陳情に行きます。
幕府は全国の大名に寄付を命じ、
48万両が集められたものの、16万両を渡したのみで、
残りは、幕府の大奥の建築費用に回したとか・・・
おいおい、どっかで聞いたような話と違うの~~
将軍が代わっても、幕府は富士山麓を助けてくれない。
幕府の裁定は、「亡所」でした。
農民の苦悩を目の当たりにして、
伊奈半左衛門は、幕府の許可を得られないまま、
駿府にある幕府の米蔵を農民に解放・・・
この地が、農地としてよみがえるのに、
100年の月日が掛かったと言われます。
農民たちは、「亡所」にすることなくこの地に留まり、
復旧に努めたんですね。
磯田先生によると、村を離れると言うことは、
農地を手放すことで、それは人格も保証されないことだとか。
農民にとって、それは辛いことなんだそうです。
今とは、違いますよね~
半左衛門は、復興を見届けることなく亡くなるのですが、
幕府にたてついたと切腹させられた、とも言われているとか。
地元には、半左衛門の蔵が建てられ、
英雄の功労を顕彰しているようです。
ちなみに、チケットは、6500円ですが、
前売りは、5500円。
演劇鑑賞会で取り扱っていますので、
行きたい方は、私に連絡くださいね~
良いお席がまだ余ってますので!
今だからこそ、この舞台を観ないと!