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某脚本家の『家の履歴書』

2020-12-14 18:08:03 | ドラマ「スカーレット」
12月も半ばになってきましたね。
忙しいと言いつつ、相変わらず、気持ちがそこかしこで遊んでいます~

先月、週刊文春(11/12号)に掲載されている『スカーレット』の脚本家、水橋文美江さんの記事を読みました。
『新・家の履歴書』というシリーズです。

ふだん、文春とかを読まないので知らんかったけど、
お友だち曰く、これは面白いシリーズらしいです。

有名人の「家」の変遷のようで、水橋さんも、子ども時代の家から紹介。
上京してからの住まい、結婚後の最初の家の間取り図が載ってましたね。

なんで読もうかと思ったかと言うと、取材されたライターさんのツイッターを見たから。
見出しが、けっこう衝撃的やったからですね → こちら

「誰かの彼女や妻ではない何者かにならなくちゃ。
育児をほぼ終えた今、経験を生かした作品を書きたい」

いや、厳密にいうとこの見出しではなく、最初の文章が気になったからかも。

「おまえ、何してるんだ?男と出会うためじゃなく、自分の夢のために東京に来たんだろ?
男と喧嘩したなんて泣いて電話してる場合か?」

これはあの島田紳助さんに言われた言葉やそうです。
(おそらく、関西弁で言わはったんでしょうけど 苦笑)
紳助さんと交流があったんですね、水橋さん!

そしてさらにびっくりしたのは、ライターさんのツィートにもあったけど、次の文章です。

「十年近くお付き合いした、ケラリーノ・サンドロビッチとお別れしたんです」

なんと、脚本家として何作もヒットを飛ばしてる水橋さんは、
劇作家であり演出家のケラさんの、”彼女”であり”内縁の妻”やったんですね。

現在のご主人はフジテレビのディレクターやし、
なんとなく、どこかの大学を出たインテリな脚本家なのかと思ってましたが、
実は小学生の時に児童劇団に出会った、演劇少女やったんですね~

金沢出身。
高校の演劇部では脚本を書いてコンクールに出場するなどしていたそうです。
演劇雑誌の渡辺えり子さんや鴻上尚史さんらの台本を読みふけり、
つかこうへいさんの舞台を観に東京へ、弾丸観劇をやっていたとか。
やがて、「東京が私を呼んでいる」と思い、東京で劇作家、演出家になろうと決心。

上京して、一人で劇団を立ち上げ、アルバイトをしながら演劇を作り始めた水橋さん。
そんな中で、ケラさんと出会ったようです。

当時のケラさんは、バンドをしながら音楽レーベル「ナゴムレコード」と劇団を主宰。
バンドも劇団も人気があって、忙しく活動されていた時期です。
やがて一緒に暮らし始め、水橋さんは「ナゴムレコード」を手伝うようになります。
ウィキペディアには、「ナゴムレコード」の事務員をしてたと書かれてますね!

演劇に対する情熱はどうなったのか・・・
ケラさんの才能を目の当たりにして、熱が冷めていったというのです。
劇団を解散し、ケラさんと内縁状態になり、ご本人曰く、「迷走期」に入っていたとか。

そんな時に、喧嘩をして泣きながら紳助さんに電話したら、叱責されたんやそうです。
「男と出会うためじゃなく、自分の夢のために東京に来たんだろ」と。

こんな状況から抜け出さないといけないと気づき、脚本家を目指し始めたのだとか。
当時24歳。
25歳で、フジテレビのヤングシナリオ大賞の最終選考に残り、翌年、深夜ドラマでデビュー。
その後、いくつかヒット作品を出し、10年近く続いたケラさんとの恋愛関係を終えたそうです。

水橋さん曰く、

「夫婦みたいになっていたし、(自分は)結婚するつもりだったけど、
どこか彼に依存し、彼が私のアイデンティティになっていた。
私は何物でもなく、どこに行っても、『ケラの彼女』。
だから『脚本家水橋文美江』になれたからお別れしようと思った」

この記事を読んでピンとくるのが、あの、『スカーレット』でのキミちゃんのことです。

ハチさんと結婚後、食器づくりなどをしながら陶芸家の夫を支えていたキミちゃん。
窯業研究所の所長にも、美術商にも、「ハチさんの後ろに控えて・・」とか言われてました。
そんなキミちゃんに、幼馴染の、腐れ縁の信作が言うんですよ。

「おまえは、ほんまにやりたいことしてない。これはおまえのしたかったことちゃうやろ」

ハチさんも、言いましたね。

「喜美子のつくりたいもんを、つくったらええねんで」

その結果が、夫婦の別れになるんですけどね


スカーレットドラマ展に展示してあったキミちゃんの履歴。

水橋さんはその後、月9の作品を書いたときに今のご主人と出会い、結婚に至ります。

『スカーレット』後のインタビューによれば(聞き手は、今回と同じライターさん)

二人が陶芸家同士で出会っていたら別れることはなかったかもしれない。
でも、土をこねるところから自分が教えた喜美子が、自分よりも才能があって、
自分を越えていくことは、いくら優しい八郎でも辛かったハズ。

水橋さんは、「嫉妬」と言う言葉を使いたくはなかったようですが、
その後のハチさんは、明らかにキミちゃんの才能に嫉妬するんですね。
優しくても、やはり昭和の男やったから。

水橋さん自身はどうか。インタビューで、こうおっしゃってます。

夫とはいわば同業者だけど、出会った時は夫はまだADで、自分の方がすでに売れていた。
結婚した時すでに格差があったから、彼が私に嫉妬することはなかったと思う。

『新・家の履歴書』で水橋さんは、子育てもほぼ終えて、
24時間すべてを自分のために使えるようになった。
これからは、母として妻として生きてきて得たものを出しながら、作品を書いていきたい。

ちなみに、このライターさん、平田裕介さんの、
「水橋さんを取材しました」というツィートを、ケラさんがリツィートされてました。
ケラさんは、何度もここに書いてますが、舞台『ベイジルタウンの女神』の脚本・演出をされた方。

「おやおや読まなくちゃ。
一緒に暮し始めた頃の水橋はまだ脚本家ではなく、劇団の主宰だった。
ナゴムの通販等の実務も押しつけてた。
それが数年のうちにみるみる新人脚本家から中堅にのし上がり、今じゃ大先生。
『リモラブ』は洸平も出てる。
感謝と謝罪の気持ちは尽きない。大切な同志でライバル」

舞台も見に来てくれている、うれしいね、とケラさん。

その後、互いに素敵な伴侶と出会い、今も現役でそれぞれが活躍されている。
大人で、ステキな関係なんやなぁ。

そうそう、水橋先生は、私がハマってるドラマ『#リモラブ』を書いています。

それについて読んだ本があるので、また後日・・・




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