京都まで行ってきました~
行った先は、旧立誠小学校・・・木屋町にある小学校です。
昭和3年(1928年)に建設され、平成4年(1993年)に、
地域のドーナツ化、子どもの数が減ったことで閉校。
閉校後は、自治会行事やイベントの拠点として活用されています。
なんせ、木屋町通り、高瀬川に架かる石橋が玄関口の学校。
高瀬川は、京都の豪商・角倉了以が水路として開削し、
森鴎外が「高瀬舟」に描いた風情ある川です。
とはいえ、なんせ、京都でも一番というくらいの商業地域。
というか、祇園、先斗町・・・夜の歓楽街として知られる地域に、
つい最近まで、小学校があったことに、びっくりです。
鉄筋コンクリートの建物で、設計は京都市の営繕課。
・・・市の職員さんが設計したんですね~
アーチ型の玄関や装飾を施した外観もなかなかですが、
漆喰の壁に木の床、木製のドアなど、校内も風情があります。
あ、なんで、ここへ行ったかですが・・・
この校舎の3階に、「立誠シネマ」というシアターがあって、
そこで、「その街の子ども」 という映画を上映するというんで、
劇場版を見ようと、行ってきたわけなんです。
玄関のドアの横の黒板に、この日の上演内容が白墨で書かれてます~
地域のコミュニティの場でもあり、貸し館もしているようです。
3階のシアターへ行く前に、そこらへんを探索・・・
1階の廊下。アーチがなかなか味があります。
油ぶきの香りがする廊下は、ところどころ補修してありますね。
廊下の突き当たり、左は、運動場へ続く昇降口。
右は・・・
手洗い場と、中庭ですね。
中庭を中心に、コの字型に校舎が建っています。
手洗い場を左に行くと・・・
左は講堂のようで、正面右の手洗い場の向こうにトイレ。
一応、トイレも行ってきたけど、電気もちゃんとついてて、
水洗のフツウのトイレでした。紙もあった~
「こうどう」大きな字でかかれた看板。
再び、玄関の報へ戻り、階段を上がります。
立誠シネマは、上です~
踊り場の窓、ちょっとステキな窓です。
窓の向こうは運動場。その向こうは四条通り方面。
飲食店が入っているビルが見えますね。
二階は、なんか展示会のようなものをやってました。
何とも言えない?人のカタチをしたオブジェがあって・・・
3階に上がると、正面は「じきょうしつ」・・ってナニ??
立誠シネマのシアターは左の方のようです。
この奥がシアター、突き当たりは黒い暗幕。
廊下に、赤いじゅうたん・・・
天井のカタチが、おしゃれやけど・・・
突き当たりの左に、シアターの入り口・・・
教室のドアは、引き戸ではないんですね。
なんとなく開けにくいけど・・・
中は、教室というような広い部屋に、
チケット販売するカウンターケースがあって、
パンフやら、フライヤーやらが置かれてました。
ソファもあって、時間待ちとかができるようになってました。
チケットを買うと(一般1500円)
若いお姉さんがシアターの入り口に案内してくれます。
隣の教室やと思うけど、半間ほどの入り口が、
黒い暗幕で覆われていて、その暗幕をめくって、
「どうぞ」
入って行くと、周囲が暗幕で囲まれた、
やはり教室くらいの広さの空間。
正面に、黒板くらいの大きさのスクリーン。
天井もポールを何本も渡してあって、そこに暗幕。
スチールの枠のある電球がいくつか灯ってます。
座席は、4段ほど、階段のようになっていて、
座椅子のようなものが・・・7席×4段・・
定員28人ですかねぇ。
結局、私の他に、学生風の男性、40代ぐらいの女性、
20~30才ぐらいの女性・・・4人の観客でした。
映画の感想はまた・・・
そうそう、校舎の表にこんな立て看板がありました。
日本映画発祥の地!
1895年に、フランスで発明された最初の映画「シネマトグラフ」が、
2年後に日本へ輸入され、投影されたのがこの地だそうです。
当時は京都電燈(現・関西電力)があって、そこで、
日本初の「映画」の試写実験が成功したんですって。
なので、この小学校の地が、日本映画原点の地やそうです。
もう一つ、玄関横にありました。
角倉了以の顕彰碑。
舟に乗ってるところが朱印船貿易を開始した人らしいというか、
ツルハシを持ってるし~、なかなか、ユニークですね~。
水路を造るために、川をいくつも開削したので、
「水運の父」と呼ばれてるとか。
反対側に、高瀬川の沿革を書いたパネルもありました。
映画を見に行ったので時間が無かったんやけど、
この辺は、もう一度ゆっくり来たいなって思います。
なんでって、幕末の京都の史跡がいっぱいあるとこなんです・・・
行った先は、旧立誠小学校・・・木屋町にある小学校です。
昭和3年(1928年)に建設され、平成4年(1993年)に、
地域のドーナツ化、子どもの数が減ったことで閉校。
閉校後は、自治会行事やイベントの拠点として活用されています。
なんせ、木屋町通り、高瀬川に架かる石橋が玄関口の学校。
高瀬川は、京都の豪商・角倉了以が水路として開削し、
森鴎外が「高瀬舟」に描いた風情ある川です。
とはいえ、なんせ、京都でも一番というくらいの商業地域。
というか、祇園、先斗町・・・夜の歓楽街として知られる地域に、
つい最近まで、小学校があったことに、びっくりです。
鉄筋コンクリートの建物で、設計は京都市の営繕課。
・・・市の職員さんが設計したんですね~
アーチ型の玄関や装飾を施した外観もなかなかですが、
漆喰の壁に木の床、木製のドアなど、校内も風情があります。
あ、なんで、ここへ行ったかですが・・・
この校舎の3階に、「立誠シネマ」というシアターがあって、
そこで、「その街の子ども」 という映画を上映するというんで、
劇場版を見ようと、行ってきたわけなんです。
玄関のドアの横の黒板に、この日の上演内容が白墨で書かれてます~
地域のコミュニティの場でもあり、貸し館もしているようです。
3階のシアターへ行く前に、そこらへんを探索・・・
1階の廊下。アーチがなかなか味があります。
油ぶきの香りがする廊下は、ところどころ補修してありますね。
廊下の突き当たり、左は、運動場へ続く昇降口。
右は・・・
手洗い場と、中庭ですね。
中庭を中心に、コの字型に校舎が建っています。
手洗い場を左に行くと・・・
左は講堂のようで、正面右の手洗い場の向こうにトイレ。
一応、トイレも行ってきたけど、電気もちゃんとついてて、
水洗のフツウのトイレでした。紙もあった~
「こうどう」大きな字でかかれた看板。
再び、玄関の報へ戻り、階段を上がります。
立誠シネマは、上です~
踊り場の窓、ちょっとステキな窓です。
窓の向こうは運動場。その向こうは四条通り方面。
飲食店が入っているビルが見えますね。
二階は、なんか展示会のようなものをやってました。
何とも言えない?人のカタチをしたオブジェがあって・・・
3階に上がると、正面は「じきょうしつ」・・ってナニ??
立誠シネマのシアターは左の方のようです。
この奥がシアター、突き当たりは黒い暗幕。
廊下に、赤いじゅうたん・・・
天井のカタチが、おしゃれやけど・・・
突き当たりの左に、シアターの入り口・・・
教室のドアは、引き戸ではないんですね。
なんとなく開けにくいけど・・・
中は、教室というような広い部屋に、
チケット販売するカウンターケースがあって、
パンフやら、フライヤーやらが置かれてました。
ソファもあって、時間待ちとかができるようになってました。
チケットを買うと(一般1500円)
若いお姉さんがシアターの入り口に案内してくれます。
隣の教室やと思うけど、半間ほどの入り口が、
黒い暗幕で覆われていて、その暗幕をめくって、
「どうぞ」
入って行くと、周囲が暗幕で囲まれた、
やはり教室くらいの広さの空間。
正面に、黒板くらいの大きさのスクリーン。
天井もポールを何本も渡してあって、そこに暗幕。
スチールの枠のある電球がいくつか灯ってます。
座席は、4段ほど、階段のようになっていて、
座椅子のようなものが・・・7席×4段・・
定員28人ですかねぇ。
結局、私の他に、学生風の男性、40代ぐらいの女性、
20~30才ぐらいの女性・・・4人の観客でした。
映画の感想はまた・・・
そうそう、校舎の表にこんな立て看板がありました。
日本映画発祥の地!
1895年に、フランスで発明された最初の映画「シネマトグラフ」が、
2年後に日本へ輸入され、投影されたのがこの地だそうです。
当時は京都電燈(現・関西電力)があって、そこで、
日本初の「映画」の試写実験が成功したんですって。
なので、この小学校の地が、日本映画原点の地やそうです。
もう一つ、玄関横にありました。
角倉了以の顕彰碑。
舟に乗ってるところが朱印船貿易を開始した人らしいというか、
ツルハシを持ってるし~、なかなか、ユニークですね~。
水路を造るために、川をいくつも開削したので、
「水運の父」と呼ばれてるとか。
反対側に、高瀬川の沿革を書いたパネルもありました。
映画を見に行ったので時間が無かったんやけど、
この辺は、もう一度ゆっくり来たいなって思います。
なんでって、幕末の京都の史跡がいっぱいあるとこなんです・・・
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