おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

癒しに、いやしい~?

2006-06-08 21:41:25 | マイブーム イケメン
バタバタの1週間。いろいろありましたが、私にとっての癒しとなったのが、やっぱり、ごひいきの「彼」、もしくは「彼」の劇団ですね~(笑) というのも、先月末に、TV放送があるとわかっていたので、いくつか録画予約してたのがあるんですね。舞台ではなくて、劇団の紹介のようなスカパーの番組を、地上波でもやってくれてたんですよ。それと、ずっと前に申し込んでたDVDが届きました。去年、私が生まれて初めて (たいそうな~笑) 観にいった舞台「OZ」のDVDです。なかなか時間がなくて、それぞれを見れないんやけど、ボチボチと、それぞれを見てます。
劇団紹介の番組の方は、実は、お友だちが録画して送ってくれてるんで、すでに見てるぶんなんやけど、ごひいきの「彼」の素の部分や、劇団の役者さんの練習風景、食事しながらのトークなど、1時間ながらもりだくさんの内容でした。
また、続きを放映してくれるのかな~? 
そして、「OZ」。実は、Wキャストで演じられてるので、2チームあるんですね。
それぞれのDVDがあって、特典映像として、稽古場風景と舞台のでのトークショーがついてました。何故か、それから見て~(笑)
なんせ、昼間は仕事とかあるし、ダンナが休みやったり、早く帰ってきたりで、まだ、2枚とも全部見てないんですよ。早く見たいのに~!!
しゃあないんで、ダンナをサッサと寝に行ってもらって(笑)、夜中に見て・・・くっく・・
もちろん、この「OZ」にはごひいきの「彼」も出てるんやけど、最近は、この劇団の役者さんがいろいろ気になってるんで、「彼」が出てなくても舞台を観に行ってますね。
そういうわけで、来月、また大阪まで行きます。
まったり、癒されに行って来ますからねぇ。

さてさて、夕方から雨が降ってきました。
いよいよ梅雨入りですかねぇ・・・
先日、撮って来た琵琶大橋東詰にある、なぎさ公園の「ハマヒルガオ」です。
海浜性の植物。淡水湖岸に自生するのは珍しいとか。ここに生えてるのは、琵琶湖がかつて海とつながっていた証拠とか言われてます。

人生いろいろ~

2006-06-07 23:58:08 | 日々のつれづれ
この5月、身近な人とのお別れが続いて、ホントに不思議な月でしたね。サークルの仲間と、お友だちの父上。そして、仲良しの別の友人の養母さん。その1週間後にウチの母・・・みんな、暖かな春の日でした。父上を亡くした友人は男性なんやけど、「お世話をしてたのが姉やけど、また違うやろうな。息子の立場と娘の立場では・・」って言ってました。そうなんかな・・・今日、久し振りに養母を亡くした友だちと話してて、また、いろいろと考えさせられましたね。
友だちが言うには、「やっぱり、娘がいた方がいいんやろうねぇ・・」そう、友だちは息子しかいないんですよ。(ウチは娘二人やけど)
「そうかぁ~」
友だちのご主人は男兄弟だけで、彼女はヨメの立場。なにか思うことがあったんやろうね。

姉と弟と3人兄弟です。
実家が隣やし、姉も近くなんで、こういう時はありがたいですね。
そして、週明けから仕事に出てます。仕事をしてる方が疲れないような気もするし。
近所の人に会うとご会葬お礼を言うんやけど、みなさん同様に、
「どやったん? いつから悪かったの? どこが悪かったの? お元気なうちにお話ししたかったわ・・・」
ありがとうございます。ホントに。
でも、それも、やっぱり、疲れてきますね。
買い物に行っても、お会いするんで・・・
残された家族のつとめですけどね・・・

今夜は日本酒で~

2006-06-05 23:17:53 | お仕事メモ
暑いくらいの日が続きますね。さすがに半袖でもいいくらいです。庭の花もお水をやりそびれるとクタクタやし、主婦の仕事が増えますよね~ 先週に行く予定だった取材先に、今日行って来ました。仕事とはいえ、「酒屋さん」の取材です。商工会の冊子のお仕事なんやけど、「酒」ならやっぱり行かないとね。「酒屋さん」やし、私に仕事の依頼が来たのかもって思ってますよ。何と言っても主食がビールの私ですから~ (笑) 

取材先は、「北田酒店」。日本酒でも、あまり流通してない銘柄を扱ってはるんですよ。居酒屋でしかお目にかかれない銘柄を扱ってはるんですよ。問屋さん経由ではなく、直接仕入れてる銘柄・・・例えば、実業家とあっという間に結婚して離婚した某女優のS・Kさんが、すっごくひいきにしてはる滋賀の酒「松の司」もあります。
居酒屋で人気のこの銘柄は、竜王町の小さな酒蔵「松瀬酒蔵」の銘柄やけど、酒蔵へ行っても売ってなくて、この近辺では1市に1軒の酒屋さんしか取り扱ってないんですね。
個性的な、吟醸度の高い味やと思うんやけど、女性向きなのかな。ウチのダンナ好みではないらしいです。
同じく、居酒屋でしかみかけない「琵琶の長寿」。県内でも早くから特別酒(大吟醸・吟醸・純米・純米吟醸など)に力を入れてるという今津の「池本酒蔵」の銘柄ですが、これも置いています。
「久保田」とか、新潟のお酒もたくさん置いてはるんやけど、取引ができるまで10年通ったというのが「八海山」。6年かかったという「菊姫」、5年かかったのが「〆帳鶴」。
も~、居酒屋の銘柄ばっかりやね~ あ、人気の「天狗舞」もありました。
飲食店向けに販売してるのも多いようですが、知ってる人は知ってるんで、ツウの人が買いに行くらしいですよ。
私も、この北田酒店が、ウチの家から近いので、何度か買ったことがあります。
飲んべぇへのおつかいものに「松の司」はちょうどいいしね。

んで、せっかく行ったので、10年ものの「菊姫」の純米酒を買いました。
早速、ウチの飲んべぇと飲みましたね。とろりん黄金色かかったお酒です。
北田さんが言うには、「菊姫は男酒」とか。
口には辛めで、深みのある重厚な味ですね。アテは、冷や奴と麻婆なす。鯛の煮つけ、キムチなど。
買ったのは720ml。つまり4合ビン・・・もう、空ですけど。
ナニも、いっぺんに飲まんでもええのにねぇ~

みなさんに感謝いたします

2006-06-03 21:53:12 | 日々のつれづれ
しばし書き込まない間に、6月に入りましたね。田んぼの稲の瑞々しい緑と、黄金色の麦のコントラストに、つくづく夏を感じます。植物が生き生きとする季節です。「人は一人では生きて行けないですよ。支えあって生きているんだから、人との繋がりは大切にしましょう・・・」 私が応援する某美形若手俳優の「彼」が、最近、HPに載せていた言葉です。若い「彼」がどこまでこの言葉を実感してるのかわかりませんが、ここ数日の私は、本当にこの言葉を実感しています。

30日の午後、母は逝きました。満80歳でした。
母が生まれたのは四国の徳島。祖父は商売をしてたらしいです。いわゆる田舎のよろずやさんなんやけど、店は祖母に任せて行商してたらしいです。
跡継ぎである長兄は戦死し、小説家やったとかいう次兄は「アカ」の嫌疑を掛けられて投獄され、胸の病で病死したとか。(ちょっと小説がかってるな・・・ホンマなんだか?) 3番目の兄は私もよく知ってるんやけど、ラグビーで知られる神戸の某大手企業を定年まで勤め上げ、阪神・淡路大震災の前年に亡くなりました。
母は末っ子で、祖父は早くに亡くなり、兄や看護婦をしてた大姉に育てられたようなものとよく言ってました。私を良く面倒見てくれたという祖母は、私が3つの頃に亡くなったようです。私は覚えてないんやけど。
女学校時代の母は林芙美子にあこがれて、姉に反対されたのにもかかわらず、どうしても女中奉公がしたいと、地元のお医者さんの娘夫婦の家に「上女中」として住み込んだらしいです。
そのお医者さんの家は、代々、娘に養子をとらせて跡を継がせてる家で、その娘さん夫婦は、養子に迎えた人がまだ京大の医学生やったので、京都で暮らしてたんですね。
母は、あこがれの京都の百万遍あたりの一軒家で暮らす若夫婦の家で、学生帽をかぶり、腰に手拭いをぶら下げた京大生がたむろする古本屋に、自分も出入りできることがうれしかったようです。
でも、その生活は3ヶ月ほど。大姉に呼び戻されたんですね。「女中なんてせんでもよろしい」。林芙美子にあこがれてた母の「夢の生活」は、これで終わったんやけど、亡くなる前日にその話をしてましたよ。「私は、百万遍に住んでたんやから」。
戦況がきびしくなるなか、母が勤めていたのは「ラサ工業」の大阪工場(「ラサ」って言うてたんで、多分この会社やと思います)。
大阪大空襲があったときは、鳥取に疎開してたらしいです。

戦後、タイプライターを習い、洋裁を習い、とにかく、何でも積極的な母でした。
父には、「私が惚れたんよ」と、亡くなる前にお医者さんにも言ってたらしいけど、ホンマにそうです。叔母(母の大姉)が、「この人やったら、好きになってもしゃあないな」って思うような父やったらしいのですけどね・・・

母が亡くなった時、写真とか何も用意してなくて、みんなでどれにしようかと探してたんやけど、その時に見つけたんですね。
男前な父と、女優のようにシナを作る母のツーショット。
棺に入れようかと思ったけど、あまりに二人がカッコいいんで、私の思い出にとっておくことにしました。

棺には、母が愛したものを入れました。
父の写真、小唄の楽譜、稽古三味線、指すり(三味線用)、想い出の小唄の会のパンフ、私が作った小唄おさらい会のパンフ、小唄の歌詞帳、メガネ、父に最後に買ってもらったバッグ、阪神の応援グッズ・・・小唄の家元やお弟子さんら仲間の方が送って下さったお花もいっぱい。

親兄弟も、父もすでにいないのに、80歳の母をたくさんの人が送ってくれました。
残された家族に、たくさんの声かけをいただきました。
告別式が終わってからも、たずねてくれる人もいます。
私たち子どもが知らない母の顔も知りました。
人は一人で生きてはいないんや。多くの人と関わって、支え合いながら生きてるんやと、つくづく思います。
人とのつながりは、大切にしないといけませんね。

本当に、母を知っていて下さった、たくさんの方々に感謝いたします。