東京滞在中の演奏会 Ⅰ
2013年10月13日(日)
1988年10月(当時41歳)から1989年3月まで、職場の研修で東京都港区の研修施設の寮で生活しました。
研修生は1道2府43県の私を含めて128名でした。
研修へ行くかという話を聞いたとき、私は、演奏会へ行くチャンス(内心、ヤッタ)という思いがかなりありました。私が住む広島と東京では演奏会の質・量が格段に違っていましたから。
ところが、実際は、研修生同士の交流会という名目の飲み会の連続で、演奏会へ行こうという目論見の30%も実現できなかったように思います。半年間約180日の間、飲み会100回位でしたでしょうか・・。
でも、その中でも、今にして思えば結構行っていました。当時日記、といっても飲み会が忙しかったのでメモ程度ですが、を書いていまして、確認すると16回行っていました。私の人生で6か月間に16回というのは一番多いと思います。
ただ、残念なことに、曲目を全てメモしていませんし、演奏者をメモしていないものさえあります。私は比較的メモをする方なのですが、この時は研修に遊びに忙しくて一日48時間欲しいという状況でしたので・・。(見苦しい言い訳)
・1988.10.20
東京交響楽団の第九練習。
(現時点のコメント)
第九を歌うつもりで、練習に参加しました。この頃は広島交響楽団で第九を毎年歌っていましたが、広島の方がはるかにレベルが高いことがわかりました。女性のソプラノパートでプロ顔負けの声を出す人がいたのにはびっくりしました。ただ、合唱の場合、いくら上手でも一人が目立つとダメなんですよね。下手な人でも、皆と一緒に歌えば上手に歌えるようになるのが、合唱の醍醐味なんですよね。
ということもあり、更には飲み会が忙しくて、一回参加したのみとなりました。参加費?として24,000円も払わなければならないこともびっくりでした。チケットを確か5枚もらいましたが、当時広島では参加費なんてのはありませんでしたので。
・1988.10.24
マーラー 交響曲第9番 ノイマン:チェコ・フィル サントリー・ホール。
確かに澄んだ音だ。マーラーにしてはおとなしい曲だった。
(現時点のコメント)
一昨年ベルリン・フィルでマーラーの9番を聴いたのですが、この東京での演奏のことはすっかり忘れていました。第1楽章のフルートのピアニッシモは、あれ以上の弱音はないと思いました。(ベルリン・フィルの方)
初めてのサントリー・ホールでした。音楽専用の豪華なホールに心躍らせたものです。1986年10月12日開館だったので、約2年後ということになります。
山のように演奏会のチラシをくれるので、びっくりしました。
・1988.10.29
神谷郁代 モーツァルト サントリーホール。
(現時点のコメント)
全く記憶していませんし、当時の演奏の感想も書いてありません。
・1988.10.31
マーラー 交響曲第1番・子供の不思議な角笛等 リッケンバッハ:N響 サントリー・ホール。
なかなかいい演奏だった。
(現時点のコメント)
一週間前に、マーラーの9番を聴いていますので、マーラーを意図的に聴いたのだと思います。
・1988.11.22
シューベルト ヘルマン・プライ サントリー・ホール。
期待はずれだった。もうすこし厳しい冬の旅でないと。
(現時点のコメント)
研修生仲間と一緒に行きました。アリーナ席でした。
フィッシャー・ディースカウの演奏(といってもFM放送)と比べて、物足りませんでした。
研修に行く時、荷物を沢山持って行く訳にはいかず、当時カセットテープ一本持っていくことにしました。フィッシャー・ディースカウの冬の旅を迷うことなく選びました。この曲が一番精神を慰めてくれると思ったからです。
研修生仲間では囲碁クラブに入っていました。女流対局を見に行きました。
解説しているのは、「オワ」とか「アタタタのシリピン」(頭を叩いて、尻をはねる)などの名調子の故梶原武雄氏です。
研修では、故磯村栄一氏の講義がありました。(89.2.23とあります。当時86歳。)
有名な天皇とマッカーサーの会見に磯村氏が付いていったのですが、建物の入り口で、天皇が、「一平卒」にボディチェックされたというような話を生々しく語っておられました。
また、戦前のベルリンオリンピックの後は東京オリンピックが予定されていて、磯村氏がベルリンへ視察に行った際、ヒトラーと握手したという話もしていました。
http://blog.goo.ne.jp/otaseizo/e/ef662c34b1243da9541caff07183739a
・・、ここまで書いて、ネットで調べると、ヒトラーと握手をしたという話は、前記サイトに載っています。このサイトを読んで少し思い出したのですが、ヒトラーへの「貢物」は、「本当」?と思われるかも知れませんが、日本刀と言っていました。シベリア鉄道で向かう途中、日本刀を持っている為に怪しまれのだが、何とか難を逃れることができたという話だったように記憶しています。
また、少し思い出しました。磯村氏といえば同和対策協議会の会長をしていて、同和問題の専門家でもありますが、皇太子(現平成天皇)側の要請で同和問題についてレクチャーしたという話もありました。
講義の本題は、都市問題で、幕張メッセの話でしたが、肝心の講義より雑談の方をよく覚えています。
まだまだ、歴史の生き証人としての話が盛りだくさんだったのですが、私が持っている得意&特異な能力、忘却力により、茫漠の彼方へ行ってしまいました。