団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

東京滞在中の演奏会 Ⅲ

2013-10-17 10:05:11 | 音楽

東京滞在中の演奏会 Ⅲ

2013年10月17(火)

 

 一昨日の続きです。

 

・1989.3.11 ベートーヴェン 交響曲第2・7番 朝比奈隆 サントリー・ホール。

 2番終了で3回指揮者が呼び戻された。7番、もう少し熱狂的でもよかったのではないかと思った。アンコールの拍手がすごかった。15分位は拍手が続いただろうか。これほどの雰囲気は僕も初めてだった。

 銀座のクラブのホステスと行った。終了後クラブ風の中華料理屋へ行った。彼女真光の会という新興宗教の話をして興ざめだった。12時30頃まで店にいた。彼女からハンカチを貰った。

(現時点のコメント)

 この演奏会は比較的よく覚えています。朝比奈は京都大学の卒業ですが、元々の出身は東京で、東京での公演は凱旋公演という意味合いがあり、熱狂的ファンが多くいるのだということを、後日音楽雑誌で読んだ記憶があります。

 当時、バブルの真っただ中で、中学校の時の同級生がI建設(彼は、建売のスーパーだと言っていました。)に勤めていて羽振りが良かったのです。その友達に誘われて銀座のクラブへ2・3回行き、そこのホステスと知り合い、演奏会へ誘いました。彼女、音楽には興味がないようでしたが、なぜか私の誘いに応じてくれました。

 演奏終了後中華レストランで食事をしたのですが、彼女(真光の会ですから)何を思ったのか私のお腹に手を当てて、なんとかこうとか講釈を言い出しました。彼女は私のためと思って言い出したのかもしれませんが、私は無神論者で、そんな話は全く興味がないどころか聞きたくもなかったのに、相手が気分を害してはいけないと思い、辛抱して聞くのが堪りませんでした。

 当時の夜の銀座ですが、凄まじい状況でした。(銀座通りというのでしょうか)タクシーがびっしり車道を埋めていました。その中には堂々と白タクがいて、その白タクに乗って、二次会会場へ行ったこともありました。

 バブル期に私が踊ったつもりなかったのですが、今から考えると、3万円のクラブへ行くとは、自分を見失っていたような気がします。 

 

・1989.3.15 ブラームス ピアノ協奏曲第2番 交響曲第4番 NHKホール。

 4番がよかった。

(現時点のコメント)

 独奏者、指揮者は次のサイトで確認しました。サイト掲載者には三度感謝申し上げます。

http://tc5810.fc2web.com/nhkso.htm

 ピアノ独奏、ヴァレリ・アフナシエフ、指揮:ハンス・ドレヴァンツ。

 来年1月に京都大学交響楽団の演奏でブラームスの4番を聴きに行く予定です。大学の交響楽団ですが、同楽団の演奏をよくご存じの方(一人ならずお二人から)「上手」という評価を聞いていますので、楽しみです。

 

1989.3.23 サン・サーンス オルガン交響曲 新星日本交響楽団 サントリー・ホール。

 オルガンの響きは良かった。

(現時点のコメント)

 オーケストラの経営はどこも(N響は除いて)苦しいということが昔から言われています。ところが、破綻したという話は、私は殆ど聞いたことがありません。その例外の新星日本交響楽団です。サントリー・ホールでオルガンの響きを聴いてみたいという気持ちが強いです。

 

 東京へ滞在していたのは、1988年10月から1999年3月までで、私の人生時計14時50分から14時53分。チン。

http://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/6004ca5323c221f7b9013e4985b416b1

 

 研修所の寮から六本木のケントスまで歩いて15分くらいでした。よく行きました。

 見知らぬ女性を誘って踊るのですが、5割以上は応じてくれました。

 銀座ライオンにも行きました。広島にも同系列の店が出来ましたが、雰囲気は全く違っていました。銀座には行きたいですが、広島へは行きたくないです。

 二男を東京へ呼び、ディズニーランドへ行きました。12月25日の寒い日で、どこも1時間以上の行列で苦痛でした。翌日の新聞に最多来客数と出ていました。ニ度と行きたくありません。

 サントリーホールへは8回行きました。この写真は1989年3月5日です。傘を持っていますので、雨が降っていたのでしょう。

 入口のチャイムが心地良かったです。

コメント
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