団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

東京滞在中の演奏会 Ⅱ

2013-10-15 08:31:42 | 音楽

東京滞在中の演奏会 Ⅱ 

2013年10月14日(月) 

 昨日の続きです。

 

・1988.12.15 オルフ カルミナ・ブラーナ 東京文化会館。

 よかった。

(現時点のコメント)

 生命力溢れる世俗カンタータ、カルミナ・ブラーナを実演奏で聴くなんてのは、広島ではなかなか考えられません。多分一生に一度の経験になると思います。

 

・1988.12.18 ブラームス ヴァイオリン協奏曲 交響曲第1番 N響 サントリー・ホール。

 1番には感動した。

(現時点のコメント)

 ブラームスの1番は、学生時代1カ月以上毎日聴いた記憶があります。ストイックな感じが良かったのです。

 ヴァイオリン独奏は誰だったか気になります。

http://tc5810.fc2web.com/nhkso.htm

 N響定期公演の曲目等をサイトにアップしておられる方がいます。凄いです。このサイトには載っていませんでしたので、定期ではなかったようです。

 

・1989.2.15 サン・サーンス ヴァイオリン協奏曲 フランク 交響曲二短調 N響 NHKホール。

(現時点のコメント)

 感想を書いていませんが、フランクの二短調は聴いてみたい曲でした。多分感動したと思います。

 前記サイトにより確認した結果、曲目・演奏者は次のとおりでした。(サイト掲載者には感謝申し上げます。)

 曲目は他に、ケルターホルンの交響曲第4番、ヴァイオリン独奏は、イザベル・ファン・クーレン、指揮はホルスト・シュタインでした。あの特徴あるシュタインの頭を見た!ことがあるのです。

 

・1989.2.16 ワーグナー 東京交響楽団 東京文化会館。

(現時点のコメント)

 曲目を書いていません。楽劇の演奏会形式だったのかも知れません。

 当時、演奏会へ行くと、飲み会で疲れていたからだと思うのですが、眠気に襲われることが必ずありました。もったいないことでした。ワーグナーの大海の波に巻き込まれるような音楽でも、スヤスヤと眠っていたのかな?

 

・1989.2.19 バッハ ミサ曲ロ短調 新宿文化センター。

 うねるような合唱は、生でなければ味わえないものだ。良かった。

(現時点のコメント)

 私は、カール・リヒター:ミュンヘン・バッハの演奏でミサ曲ロ短調に目覚めたのですが、精神性の高さは並ぶものがないように思います。

 

 

・1989.2.21 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲5番・13番 カザルス・ホール。

 本当に音楽するという感じで音も綺麗で良かった。

 チェロ奏者が15年位前に聞いた、桐朋学園大学四重奏団のメンバーだった、山崎さんと言う方でした。

(現時点のコメント)

 桐朋学園の弦楽四重奏団の演奏が広島であった時、アンコールを止めないので、演奏者の方が困っていました。多分どこかの大学生だったと思うのですが、美人揃いだったからでしょうか?山崎さんはダイナミックな造りのお顔です。今ネットで調べて、広島出身ということを知りました。先のアンコールを止めなかった人の中に知っている人がいたのかな・・?

 

・1989.3.5 マーラー 山田一雄:ユーゲント・オーケストラ サントリー・ホール。

 女性独唱と女性混声合唱の入る100分ばかりの大曲で、聴くのもなかなか大変だ。途中ハプニングがあり、指揮棒が飛んでしまった。オーケストラの実力うんぬんまではいかないが、迫力ある曲だった。

(現時点のコメント)

 マーラの3番でした。

 指揮棒が飛んだのにはびっくりしましたが、でも、何事もなく曲は進行しました。「オーケストラの珍事」でアップしたことがあります。

http://blog.goo.ne.jp/windy-3745-0358/e/6bc554baf86763aed3f1f1196339c0a4

 最近、アバド指揮EUオーケストラの3番の演奏を贈ってくれた方がいて、改めて聴いたのですが、終楽章は佐村河内守の交響曲「HIROSHIMA」の同じく終楽章とよく似ていることに気付きました。佐村河内の意識の中にこの3番があったのでしょう。

 

 

 

・1989.3.7 バッハ チェンバロ演奏。

 平均律2番と24の前奏曲とフーガ カザルス・ホール2時間30分余りの演奏で、聴く方もくたびれた。

(現時点のコメント)

 「くたびれた」とは!バッハに対して不遜です。ただ、最近特にですが、音楽を聴くにも体力が要ると感じるようになりました。そんなに長時間集中できないんです。

 バッハの音楽は派手ではないですから、単調で退屈することは、確かにあります。

 

・1989.3.10 マーラー 交響曲第7番 NHKホール。

(現時点のコメント)

 演奏者が誰かメモしていません。

 先のサイトで確認したところ、指揮はハンス・ドレヴァンツでした。(サイト掲載者にはサイ感謝申し上げます。)

 マーラーは、東京滞在中、9番、1番、3番に続いて7番と4曲聴いたということになります。広島でマーラーの曲を聴く機会が少ないと思って意識的に選んだのだと思います。

 私がマーラーの曲を最初に買った(4トラックオープンテープ)のは、1968年8月18日に、バーンスタイン:ウィーン・フィルの交響曲「大地の歌」でした。マーラーブームが起こりだした頃と思います。当時の音楽雑誌の評論を読んで聴いてみようと思ったのだと思いますが、率直に言って難しかったです。次に買った(4トラックオープンテープ)のはワルター:コロンビア交響楽団の「巨人」でした。次は、1980年代中ごろショルティ:シカゴのマーラー全集のCD(当時25000円だったと記憶しています。)。友達が頼みもしないのに買って来たと家に持ってきて置いて帰りました。このロンドンレコードのショルティの音のダイナミックさは圧倒的でした。スピーカーのコーンが破れはしないかと思ったものです。ともかく、マーラーには魅せられました。

 

 手塚治虫が死亡したのは、1989年2月9日です。その時、研修の講義をサボって(もう時効ですので、正直に言います。)北海道へ旅行中でした。バスの中でそのニュースを聞いた記憶があります。

 その告別式が3月2日にあることを新聞記事で読んだのですが、場所を書いてありません。私はどうしても行きたかったので、葬儀委員長の馬場のぼる氏宅へ℡しました。勿論面識はありません。それでも馬場氏は親切に応対してくれました。

 

 彼こそ、天才中の天才と呼ぶに相応しい人物と思います。根底に流れるヒューマニズム、科学的知識に元ずく豊かな想像力、描写力、何をとっても傑出しています。私はディズニーなんかより、遥かにレヴェルが高いと思っています。

 

コメント
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