まだ下巻に入ったぐらいのとこだけど、『百年法』がおもしろい。
1945年、日本に数発に原子爆弾がおとされ大都市は壊滅状態になる。
占領したアメリカ軍は、天皇制をやめさせて日本を共和国にし、同時に当時開発されたばかりのHAVIを導入する。HAVIとは、ヒト不老化技術のことで、特殊なウイルスで処置を受けた人間は、その時点で身体的成長をとめる。二十歳で処置を受けた人は二十歳に身体で、三十路なら三十路の身体で。
ただし、処置を受けて100年経ったとき、生存権をはじめとする一切の権利を放棄することが義務づけられる。
これがいわゆる「百年法」だ。
ま、百年生きて死ねということですわ。
さて、2048年。百年法が制定され、はじめてその施行対象となる人々が生まれる時代になった、というところから物語は始まる。
「百年法は、戦後アメリカに押しつけられたシステムだ、ちゃんと日本人が議論しないといけない」という声が高まる。
国民投票が行われる。まもなく法の執行対象となる人々の多くは、「いったん凍結」を主張する。
一方で、かぎられた資源の国土で、みんなが無限に生き続けたなら国家が立ちゆかなくなる、当然法を予定通り施行せねばという意見もある。
さて、投票の結果やいかん。
それにしても100年て、生きたいかな。
入江ユキさんなんて、35歳で事故にあって、そのあと一日しか復活させてもらえなかったのだ。
それでも、人を愛することを知り、満足して旅立っていった。
「百年法」の設定が上手なのは、年老いないという点だ。
100歳までなんか生きてたくないよと口にする人はけっこういると思うけど、たとえば二十歳の身体をもったままずっと生きていられると聞いたら、どうだろう。
たしかに身体機能がおとろえないまま、何十年も生きていられるとすると、相当いろんなことにチャレンジできるだろう。
たとえばスポーツ選手には夢のような話ではないか。
たとえば30代後半になって引退を考えているアスリートが、もういちど二十歳の肉体を与えられ、しかも当面その機能が衰えないとわかったなら、それまでの経験と知識を利用してがっつり身体づくりをすることだろう。
でも、どうかな。そのまま何十年も選手として第一線で活躍し続けるのが人生だったら、ほんとうに幸せか。
だいたい、飽きるんじゃね?
第一線で活躍し、その後は指導者として後進の指導にあたるとか、全然別の分野で生きるとかするほうが、人生豊かなのではないかとも思う。
身体が衰えず、収入もずっとあるという状態でなら、ずっと生きれるか。
あと何回卒業生出す? 何回コンクール出る?
そうとう出ることになっても、なんか普門館とか、そんな感じにはなれる気がしない。
終わりがあるから、限りがあるからこそ、人の世は、人生は、切なくも愛おしいものであるはずだ。
そんな前提が崩れたとき、人はどうなるのか。
実際、くずれかけている部分はある。
一昔前だったら命をすぐに失うような病気も、今はかんたんに治ってしまうものある。
山中先生のiPS細胞の恩恵を受けられる時代もすぐそこまできている。
神様、どこまでやっていいんですか? といま一番問うているのが、山中先生かもしれないという気もする。
とりあえず続き読もう。