水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

「間」の感覚

2012年12月06日 | 国語のお勉強

 ここ数日、なぜかずいぶん前に書いた「「間」の感覚」のページを読んでくださる方がいらっしゃる。
 なぜだろう。本校では三学期に読む予定の教材だが、いまやってる学校さんがあり、たまたま検索すると、他にあまり該当記事がないということだろうか。だとしたら同業の方がみてくださっている可能性が高いので、教材研究メモを載せてみることにしようか。
 などと考えていたら、勝間和代さんがこんなことを書いてらしたのを目にした。
 勝間さんは、以前は断っていたバラエティ番組に、今年がんばって出演し続けてきたそうだ。
 もちろん、芸人でも芸能人でもない勝間さんにはしきいが高い。はじめのころは、ものすごくアウェイ感があった、でも、最近はそれが薄れてきたという。


 ~ なぜ、アウェイ感があったのか。そして、最近はアウェイ感が薄れてきたのか。もう、答えを知ってしまえばたった一つなのですが、要は、そこにいる出演者のみなさんに
 「仲間だと思われているか、ゲストだと思われているか」
の違いだけなのです。イメージで言うと、すでにできあがっているコミュニティに、新規参入するようなものだと思ってみてください。そこには人間関係も、親しさもできあがっているわけです。だから、あえて新人がきても、よほどのことがないと話しかけないし、その人も話の輪に入っていけません。
 それをですね、特に今年に入って、コツコツ、コツコツと、一緒にひな壇に入り、拍手をして、雑談をして、そして年中顔を合わせていくと、なんか、波長があってくるんです。そこにいても違和感がないし、お互いにさりげなく気を使い合うし、また次の約束もするし、という感じです。
  … クイズをしていても、どの出題ジャンルを選ぶかと言うときにアドバイスをしてくれたり、やっているときにも応援する話を入れてくれたり、とにかく、「仲間」になってくれるのです。そうすると、のびのびと私たちの気持ちも解放されますし、実力が発揮できるようになります。何よりも、仕事が楽しいです。
 ついつい、私たちは一人でがんばっていると考えがちですが、やはり、自分を歓迎してくれる「仲間」と、自分を仲間と認めてくれているという「空気=暗黙の了解」がないと、やはり、人は全く、全く、実力を発揮できないということが身に染みてよくわかりました。 ~


 「仲間」意識は、勝間氏が述べているようにプラスにはたらくことも多いが、時には歪んだそれとなって、マイナスにはたらくこともある。
 「仲間」意識が自分を支えてくれることで、一人ならくじけてしまうことにもチャレンジできたり、努力を継続できたりするのはプラスに働いた場合だ。「受験は団体戦」ということばを、学校の先生はこういう文脈で用いる。
 「仲間」に入ろうとしない人を排斥したり、特定の誰かを意図的に「仲間」に入れないようにしたり、「仲間」意識に支えられてよくないことをしてしまったりするのはマイナス面だ。
 マイナスで働いている場合も、その「仲間」意識をより強化してしまうからたちが悪い。そういう時には、「仲間」じゃない人が適切な働きかけをしないと、事態が深刻化してしまう。
 さらに面倒なのは、あくまでも意識の問題なので、目に見えないことだ。
 
「「間」の感覚」にも、こう書いてあった。


 ~ このように、目に見えない形で内外の区別が成立するためには、鳥居や関守石の意味についての共通の理解を前提とする。その共通の理解を持った集団、ないしは共同体が日本人にとっては「身内」であり「仲間」であって、その外にいる者は「よそ者」ということになる。日本の家がしばしば「うち」と呼ばれるように、家族は「身内」の代表的なものであるが、時と場合によっては、それは地域社会であったり職場の組織であったりする。サラリーマンが「うちの会社」と言うときは、会社全体が「身内」である。つまり「身内」は、ある関係性の中で成立するもので、そのことが、日本人の行動様式を外国人にわかりにくいものにしていると言ってよいであろう。関係性は時によって変わるものだからである。 ~ 


 勝間さんも、いろんな番組に出ているうちに、無意識のうちに特定に「共通の理解」を身につけたんじゃないだろうか。誰それの何については、笑っていいとか、つっこんでいいとか。
 どういう話題については積極的にくいついていいとか、スルーした方がいいとか。
 もしくは、芸人ではないから、知ってても知らない風で話した方がいい話題があることとか。
 テレビを観ている側も、そういう感覚をもってみているものだ。
 「あの人あそこまで言って大丈夫?」と思った時、同時に「大丈夫かどうかを心配できる自分」を意識してて、番組内の人々との身内感を感じようとする。
 「正論だけどテレビ的にはアウトかな」なんてつぶやいてみたりし、そばに年下の子でもいて、「え、何が?」とか聞かれたなら、ちょーうれしいくせに苦虫をかみつぶしぎみに、「まあ、業界的にはちょっとね」とか語ってしまうオヤジの感覚。
 日本人は(ていうか外国人の感覚を知らないだけなのだが)やはり、誰それと「内」か「外」かをつねに意識する人たちなのだろう。
 だからまず名刺を見て、所属を知り、学歴をうかがったりする。出身地や年齢を気にかける。
 その人自身が何を考えているかより、まずそういうのを気にする。
 この人だれ? と思ってても、出身高校が同じというだけで「内」感覚を成立させられる。
 性別、年齢、生息地がぜんぜんちがってても、「え? 吹奏楽やってたの、おれも」っていうふうに一気に距離を縮められる。
 逆に吹奏楽という大きなくくりに中にも、ある大学出身の先生方とか、全国大会に行けるような先生方とか、音楽の先生か他教科の先生かとか、小さな「身内」も同時に存在し、話題によっては「内」感・「外」感がけっこう形成される。
 だからそれぞれの「内」にある「常識」が、「外」の人から見たらまったく?の場合もあるのだ。
 昔、吹奏楽連盟の会議で感じていたアウェイ感は、こういうところに由来するのかな。
 知り合いが増え、いろいろ教えてくださったり資料をくださったりする先生に出会ったおかげで、いまアウェイ感は減った。
 先日、アンコンのあとに「おめでとう」メールを何人かの先生からいただいたときは、埼玉に来てよかったかなと思ったものだ。
 ひょっとして、さいたまの「ま」は「間」なのだろうか。そういうことにして何かこじつけられたら面白い。

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12月6日

2012年12月06日 | 学年だよりなど

学年だより「実践」

 行動こそが、経験こそが、成功への第一歩である、と水野氏は言う。それは恋愛でも同じだ。
 大学に合格し、愛知県の片田舎から上京した水野氏は、彼女がほしいと切実に願う。
 彼女をつくり「モテ男」になって、楽しい学生時代を過ごすのが夢だった。
 しかし、中学高校と六年間を男子校ですごし、三次元の女子に全く縁のなかった若き日の水野氏には、何をどうすればいいか検討もつかない。どうすれば女子と仲良くなれるのか、どうやって声をかければいいのか、声をかけた後どういう展開にもちこめばいいのか。
 そこで水野氏は、モテる人が多くいそうな場所(六本木)でバイトをはじめた。
 実用書、恋愛指南書のたぐいを読みあさり、知識をたわえていった。
 そして、コミュニケーション能力が第一であること気づき、多くの本に書いてあった「街で見知らぬ女の子に道を尋ねる」というエクササイズにチャレンジすることにした。
 しかし、道を聞くために渋谷のハチ公前に立った水野氏は、あまりにも多くの人がいる光景に気を呑まれてしまう。こんなところで道を聞いたら、ナンパしてると思われるに決まっている。
 水野氏は反射的にハチ公口に背を向けて、宮益坂の方に移動した。ここなら大丈夫かもしれない。でもムシされたらどうしよう、バカにされたらどうしようと思うと、なかなか声をかけられない。 結局、水野氏は宮益坂を行ったり来たりし続ける。「東急ハンズはどこですか?」と一声かけるまでに、六時間を費やすことになった。


 ~ 本で知識を得ることと、その知識を実践することの間にはとてつもない溝がある。
 それは
「実践しろ」
 という四文字では決して埋まることのない、深い、深い、溝だ。(水野敬也『「美女と野獣」の野獣になる方法』文春文庫) ~


 こうすればいい、という知識を得ることは実に簡単だ。しかし、それを実践にうつせるかどうか、そこに大きな壁がある。水野氏には、忘れられない光景があるという。


 ~ 今でも忘れることはない  生まれて初めて付き合った彼女と最初のデートで行ったのは、桜木町のランドマークタワーだった。
 展望台に上った後、イタリアンレストランの「カプリチョーザ」に入った。「大学生と言えばカプリチョーザ」これは当時のスタンダードだった。
 店に入った俺は緊張していたのか、尿意をもよおした。店員にトイレの場所を聞くと、店を出てすぐのエスカレーターで昇った場所にあると言う。言われたとおり上の階に行きトイレで用を足した。そしてエスカレーターに乗って、下の階に向かって降りていた。
 その時である。
 目に飛び込んできた光景に、胸が震えた。 ~

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