昨年、福山雅治さんの「家族になろうよ」という楽曲が多くの人々の心をとらえたのは、何よりも「家族になろう」という意志を表すメッセージだったのではないかと今さらながら思う。
震災後にまたたく間に広がった「絆」という言葉は、もともとは馬や牛をつないでおく綱の意味で、人と人とのきってもきれないつながりを表す。血縁はその最たるものであろう。
想像もしなかった困難に直面したとき、人に生きる力をわきおこさせるのは、たしかに絆というべき人の存在だ。
ただ、そこに押しつけや強制の要素が感じられる場合もないことはないから、「絆、絆」と連呼されると、少し気持ちがひいてしまう人もいた気がする。
だいたい「大切にしよう」なんて言われなくても、そうしてしまう存在、離れられない存在こそを「絆」というべきだと思う。
血のつながった親子だから家族なのではなく、家族であろうとしているから家族なのだ。
「グッモーエビアン」は、中3女子のハツキが主人公。ふつうではない家族構成に何かわりきれないものを感じてながら暮らしている。
もちろん実の母親とは仲良しだ。母アキを演じるのが麻生久美子さん。主人公のハツキちゃんを17歳で身ごもり、しかし父親には「その子は不要」と言われて関係を解消し、シングルマザーになることを決意する。
そのとき、アキさんを守りたいと言ってそばで泣いていた二歳年下の大泉洋(役名ヤグ)さんが、いま一緒に暮らしている。
アキの恋人ヤグは自由人だ。ふらっとオーストラリアに行ってしまったかと思うと、連絡もなしにもどってきて、すっとまた一緒に暮らし続ける。
まともに働くことはないが、人なつこくて誰とでも友達になってしまう。
ハツキのことを自分の子供だと思い、ハッピちゃん、ハッピちゃんといってからんでくるのだが、ハツキ自身は実の父親ではないヤグのことをうざったく思う年齢になっていた。
それにしても、この設定は映画のポスターを観れば一瞬でわかる。
麻生久美子、大泉洋の実力は、言うまでもないが、それにまさるとも劣らない三吉彩花さんという若い女優さんの存在感はただものではなく、この三人が並んで写っているポスターを観た瞬間、ぜったいいい作品だと思え、予想ははずれなかった。いや予想以上だった。
映画があまりによかったので、帰りに原作の小説を買って読んでみたが、こちらももちろん面白かったけど、もう少し「起承転結」とか「序破急」とか「初め中終わり」とか「ABA」とか「努力友情勝利」とかの構成感があるといいのになあとも感じた。
映画は、それをうまく構成し直している。監督さんは、吹奏楽でいえば鈴木英史先生のようなお仕事ぶりだ。
世間の常識から見たらまともでない父親代わりの存在、そんな父のことを認めている母に対しても反発心がわいてくる。自分は中学を卒業したら就職する。勉強のできるハツキだったが、担任にもアキにもそう宣言し、あたしは家を出て働くつもりだから、あとはお母さんたち二人で仲良く暮らせばいいと告げる。
自分の人生は自分で決めればいいと言ってたアキだったが、ハツキのその決心に首を縦にふらなかった。
自分たち夫婦(籍は入ってないが)との関係を理由に、目の前の面倒くさいことから逃げようとしてないかと見抜いてしまったのだ。
ハツキを生んだときの話、ヤグがどんな人間なのか、アキがハツキに寄り添って語りかける土手沿いのシーンはしみじみした。
ヤグとアキが昔の仲間とバンドを再結成して演奏するライブを行う場面が最後にある。
ステージ上から、アキと結婚すると宣言するヤグ、そしてハツキに家族になろうとよびかけるところは涙がとまらなかった。
年末にこんないい作品に出会えてよかった。
今年をふりかえって思い出してみると、心に残っているのは、なんといっても「桐島、部活やめるってよ」が衝撃だった。それから「鍵泥棒のメソッド」「かぞくのくに」「篤姫ナンバー1」とこの「グッモーエビアン」がベスト5かな。