学年だより「これから」
東日本大震災から一年と九ヶ月。被災地には未だに大量の瓦礫が残り、福島第一原発も、完全に廃炉にできるまで何十年の時間を要するかはっきりしていないどころか、一歩間違えば再び大惨事を引き起こす状態が続いている。
経済に目を向ければ、低迷する景気に有効な手立てがないまま既に十数年が経ち、国の借金は増える一方だ。手をこまねいているうちにグローバル化はどんどん進み、今のままでは日本は国際競争を勝ち抜いていけないと述べる人も多い。
そんな状況下にありながら、国の舵取りを託すべき方々のいかんともしがたい人材難が露呈している今、みなさんの中に、自分たちが大人になる頃には一体どうなってるんだろと思う人もいるのではないだろうか。もちろん大人も大丈夫かなと思っている。
思ってはいるものの、具体的に何ができるかといえば、自分の持ち場で分に応じた仕事を一生懸命こなすことしかないのだ。
「日本が」とまで大きなことまで考えられなくても、せめて自分の所属する共同体が、家族が、自分自身が生き残るためにはどうすればいいかと考えて生きていくしかない。
考えてすぐに何かやるべきことが見えてくるというものでもないが、少しでもいい人生を過ごそう、ほんの少しでも人様の役に立つ生き方ができたらいいと思いながら生きていくしかないだろう。
人生を少しでもよいものにするために、豊かなものにするために、「知」の力は大きい。
あまりにありきたりの話だが、やはり「学ぶ」ことが必要だ。
大人も。当然、みなさんも。
自分を取り巻く環境が複雑であればあるほど、たった一人丸腰で立ち向かっていこうとしても、どうにもならない。何か、武器を身につけなければ、相手にさえしてもらえない。
人の世を生きていくための武器として、「知」ほど有効なものはなかなかないのだ。
知を身につけるためには、まず第一に本を読む技術が要ると、佐藤優氏は述べる。
~ なぜ、読書術が知の技法のいちばん初めに位置づけられなくてはならないのだろうか。
それは、人間が死を運命づけられている存在だからだ。そのために、時間が人間にとって最大の制約条件になる。少し難しい言い方をすると、人間は、制約の中で、無限の可能性と不可能性を同時に持って生きている。読者自身の人生を振り返ってみよう。いまとは違った可能性も十分あったはずだ。(佐藤優『読書の技法』東洋経済) ~
人はどんな人生をも生きる可能性をもつ。
しかし、実際に生きることができるのは一種類の人生だ。
一つの人生を選択したとき、それ以外のすべての可能性は捨て去られたことになる。
誰もがうらやむような素晴らしい成功を収めた人でも、別の道では全く成功できなかった可能性はあり、逆に別種のすばらしい幸せを手にしていた可能性も持つ。
試練の積み重ねの人生を過ごす人も、人生のどこかで一本違った道を選んでいれば、全く違ったものになっていた可能性もある。
人というのは、まさに無限の可能性を持ち、同時に自分が選んだたった一つの人生以外は、試してみることさえできないのだ。
一人一人に与えられた時間の制約もある。
努力を積み重ねた結果、やっとその成果が形になろうとした時、突如生を終えなければならないこともある。人それぞれにどれほどの時間が与えられているかは、誰もわからない。
無限の可能性を持ちながら、理不尽とも言える制約を生きていくのが、人の一生なのだ。
限られた時間を少しでも大切に生きるために、まして混迷する今に時代において、最低限自分を守り、自分の大切な人を守っていくためには、今の自分にできることは、しっかりと学ぶことしかないのではないだろうか。
佐藤氏は、高校での受験勉強もきわめて大切だという。
~ 知識を着実に身につけ、人生を豊かにするためには、正しい道に沿って読書をすることが重要だ。 … まず正しい道、すなわちすでに確立されている伝統に則して本を読むことが重要だ。その意味で、読書術は基本的に保守的なのである。
「受験勉強が現実の社会生活に役に立たない」という認識は間違っている。社会人が大学受験のレベルで必要とされる知識を消化できていないため、記憶に定着していないことが問題なのであって、受験勉強の内容は、いずれも社会人になってからも役に立つものだ。 ~
受験勉強が役に立たないという考えは、「基本練習はゲームでは役に立たない」と言ってるのと同じなのかもしれない。
何かを身につけていくそのやり方、物の見方、表現の仕方、様々なことを、学校では学ぶことができる。
具体的な科目で考えても、英語力がそのまま有効であることは論をまたないし、たとえば数学の知識をまったくもたないままだと、ふつうに会社に入ってパソコンに向かって途方にくれる状況もあるだろう。外国の人と仕事をする際に、相手の国のことをあまりに知らないままでいられるはずがないし、日本の歴史の知識を持たずに話すのでは相手にしてもらえないかもしれない。
これからの世の中、みんなが思っている以上に、今の勉強が直接役に立つ時代になっているように思える。
みなさんは今いくらでも学べる状況にある。
何回も言ってるけど、寝食の心配もせず、命の危険もなく、さあ純粋に学んでていいよと言われている16、7歳の若者が、全世界の同年代の中に何%いるだろう。
これも、みんなが考えているより、ずいぶん少ないと思う。
幸せな環境だと少しでも思えるなら、せいぜいそれを利用しなかったらうそだ。