キャラメルボックスさんの冬公演は、有川浩氏が原作を書き下ろしたもの。
開演前の前説に若い役者さんが登場し、有川さんの紹介をまずしてくれる。
「デビュー作の『塩の街』はSF作品でしたが、それ以後は普通の小説で、すべての作品に共通するテーマは恋愛です!」二人とも有川氏の作品を一作も読んでないことはみえみえだった(笑)。
テーマが恋愛って、そんなおおざっぱな。せめて、「ツンデレ、ギャップ萌え、自衛隊」ぐらいのキーワードあげてほしかったな。
お芝居はしかし、恋愛よりももっとおおざっぱに「愛」とよんだ方がいいような、何種類かの人間関係のもつれや、ほころびや、むすびつきを描いていた。
中心になるのは、別居中の両親のよりをもどさせようとする小学生の男子と、その手助けをする若い男女だ。
「エンジェルメーカー」という子供服の会社に勤めるこの二人は、一時はつきあっていたが、結婚して家族をつくることに対する考え方の違いから気持ちが離れていって、今はお互いを思う気持ちをもちながらも、ただの同僚にもどっている。
「キャロリング」とは、子供たちがイブの日に聖歌を歌ってまわることだと、前説で説明してくれた。
このお芝居のどこが「キャロリング」なんだろ。
少年が、お父さんのもとに出かけていくことかな。
それとも、少年の書いた物語が、お父さんやお母さんに、少年を手助けする二人の心にひびいていくことかな。 誰かを好きになり、その思いを素直にぶつけることが「キャロリング」というのだろうか。そんな気もする。
キャラメルボックスさんのお芝居なのに、SFチックな設定がまったくない現代劇は、何回か観てる中では初めてだった。なんの衒いも奇抜もない作品で、がっつり笑え泣かせてくださる老舗の底力はすごいと思う。
その公演のために有名な役者さんの集合ではなく、ザ・キャラメルボックスなのだ。
とつぜん思ったけど、家族ってまったく無から生まれるんだよね。
男と女が出会う。それはたまたま出会うことが可能な範囲内に同時に存在してたというだけだ。
ヒトはなまじ巨大な大脳をもったりしたものだから、恋愛とか結婚制度とかの幻想を生み出してしまい、二人の出会いは神のお導きだなんて思い込んだりする。
この二人である生物学的必然性は、宇宙的にはまったくない。
二人が結婚して子供がうまれたなら、その子供と親とは遺伝子的にはつながっている。
その子供が新しい家族をつくるには、再び生物学的、宇宙的にまったく無縁の存在とむすびついていかねばならない。
エンジェルメーカーという会社の社員、父のお金のトラブルで出張ってくるマチ金の社員、という二つの疑似家族を背景としながら、家族を作りたくて作れない若い男女の心と、一度作った家族をこわそうとする夫婦のありようが、家族のつながりを信じて疑わない少年を触媒にして、新しい形に生まれ変わろうとしていく。
家族は結婚したからできるものではない。一組のカップルがつくるものでもない。
何を信じ、何を守ろうとし、何を許そうとするのか、そんな思いの集合体なのだろう。もう一回行きたいな。
そっか、わかったぞ。「許せる」のが家族なんじゃね?