学年だより「かっこつけない」
もうちょっとだけ水野氏ネタひっぱります。
「女の子に道を聞く」決心をし、しかし声をかけられないまま六時間を過ごさねばならなかったとき、「カッコ良く生まれていれば、こんな思いはしなくて済んだはずなのに」と悔しさがこみあげてきた。みじめだった。それでも、水野青年は自分にこう誓ったという。
~ 顔とか、運動神経とか、センスとか、才能とか、そういうので負けるのはいい。
それは、自分で選べるものじゃないから。
でも、
行動は、
行動することだけは、
決して、誰にも負けてはならない。
なぜなら、
それを「する」か「しない」かは、
自分で選べるのだから。
震えが止まらない足は 震えたままでいい。
一歩、前へ。 (水野敬也『「美女と野獣」の野獣になる方法』文春文庫) ~
たとえば大学に受かることも同じではないか。
たとえば試合に勝って勝利の雄叫びをあげることも同じではないか。
目標が高く険しいものであるほど、それを求め始めた段階においては、途方もなく大きな壁に思えて、本当に実現できるという実感などは抱けないものだ。
最初から成功を確信して歩み始めた人など誰もいない。
だからこそ、もがき苦しんで、あがいて、がんばって、いつかその山に登ったときには、山頂にいる自分が本当に自分なのか、夢ではないのかという思いがわく。
どんなに大きな結果も成功も、最初に一歩踏み出したところからしかはじまらない。
踏み出さない人には、何も訪れない。踏み出さない人に、踏み出した人の世界は見えない。
~ 「人間、一生懸命に生きているときって、あんがいカッコ悪いものなんだ。全力疾走してる顔って、ヘンだろ? それを無理してカッコいいって思う必要はない。でもな、カッコ悪い一生懸命さを認めろよ。憧れなくてもいいから、親父もやるじゃん、母ちゃんもがんばってんじゃん、先生も必死じゃん … ってな。で、おまえらは自分の考えるカッコよさを目指せ。オトナにお手本を示せなんて甘えずに、自分の道を一人で歩いてみろ」(重松清『空より高く』中央公論新社) ~
やってない人ほど、「おまえ何マジになってんの?」とやっている人を笑う。
そんなヤツは相手にしないで、かっこつけずに、ひたすら取り組んでみよう。