曲がいいかどうか別にして、演奏は完璧! と言いたくなるステージに接することがある。
新都心で観た「ブルー・ジャスミン」は、映画というジャンルの一つの形として、そういう完璧さがあり、決して他のジャンルにはできない表現をやり通した作品じゃないかなと思えた。
そして内容も演技も文句を言うところが見つからない(無理に探すことはないのだが)。
主演のケイト・ブランシェットさんは、wikiで調べたら1969年生まれの45歳。日本だと鈴木杏樹さんとか石田ゆり子さんと同世代なのか。欧米ではおしもおされぬ女優さんなのだろうが、自分的にはよく知らず、最初ウィンスレットさんのことかと思ってた。
そのブランシェットさんの演技力をこれでもかとみせつける作品で、なるほど主演女優賞納得だよねと思う。
真木よう子さんが「さよなら渓谷」で、そのポテンシャルを見せつけ、主演女優賞をとったようなものか。
旦那さんのおかげでセレブな暮らしをしていたジャスミンだったが、夫の非合法な稼ぎがバレて転落し、異母妹のもとに居候することになった。
すべての財産をなくしたと言いながら、ブランドものの衣服に身を包み、ファーストクラスに乗ってやってくる。
妹を頼っておきながら「あなたとは人として違うの、遺伝子レベルでね」と言ってみたり、「なんで、この私がスーパーのレジ打ちやんないといけないの!」とレジ打ちをやっている妹の前で叫んだりする。
だいたいジャネットをジャスミンと自分で名乗りかえていること自体が微妙で、そのイタさを本人以外はみんな気づいている状態だ。
でも、こんな状態って誰にもあるかもしれないなと、だんだん思わせられていくのがこわい。
妹は、その恋人も、その友人も、みな現実的かつ即物的で、お世辞にも上品といえない暮らしぶりをしている。
気の利いたことは言わないし、お下劣な話題を大声で話す。聞き分ける力がないのが残念だが、言葉も露骨にそう階層の英語を喋らせるだろう。
そんななか、ジャスミンはあるパーティーでリッチな外交官と知り合う。ここぞと決意したジャスミンは、自分の経歴をいつわったまま接近し、結婚を約束する寸前までこぎつける。しかし妹の前夫に過去があばかれてただの一文無しにもどる。物語はそこで終わり。希望の光はない。どうするんだろ、ケイト・ブランシェット。
この何の解決も示さないところが、ものすごくおおざっぱな言い方だけど、邦画と違うなと思った。
まったく同じ素材を扱った作品がかりに日本で作られたなら、たとえば気鋭の石井裕也監督が、そうだな井川遙さん主演で撮るなら、最後に希望の光を見いだすシーンをつくるだろう。
「虚飾をとりはらった自分て何?」的な視線の獲得を主人公にさせるのではないか。
あと、主人公が頼っていく妹(ここは仲里依紗さんだな)の世界にいる人に、気の利いたことをちょっと言わせたりする。
「華やかな洋服も、パーティーの豪奢も、人生の本当を教えてはくれない … 」みたいな台詞を。
そういうのが全くないところが潔い。
邦画って、いろんな意味でサービス精神が旺盛なのだ。だから読み取り方を限定する。
そこまで親切でない作品は、「さあどうぞ」と観客にゆだねてくる。
それも含めてよくできた作品だった。今年これまで観たなかで、ベストがこれで、2位が「プリズナーズ」、3位は「大人ドロップ」。