水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

一本の麦

2014年05月14日 | 学年だよりなど

 ずいぶん昔に書いた学級通信をパラパラめくってたら、ちょっとしみじみした回があったので載せてみます。


 「一本の麦」(2年8組学級通信「闘魂」より)

 『大河の一滴』という今売れてる本の中から、心に残るエピソードを紹介したい。
 作者の五木寛之さんが、リットマーという生物学者のある実験結果を紹介している部分だ。
 1本のライ麦の苗を、30㎝四方、深さ50㎝くらいの箱の砂の中に植える。
 水だけを与えながら数ヶ月間育てていく。
 当然、色つやもよくないし、実もたくさんはつかない、ひょろひょろとしたライ麦に育つ。
 その後、そのライ麦をひっこぬき、砂を落として、根の長さを調べてみるんだね。
 目に見える部分は、ものさしで測って足していく。
 肉眼では見えないような、根についている根毛もすべて、顕微鏡で調べて全部足していく。
 すると、その箱の中にびっしりとはりめぐらせた根の総延長数が出てくる。
「その数字を見て、ぼくはちょっと目を疑いました」と五木さんは書いているが、俺もびっくりした。
 なんと、そのひょろひょろのライ麦の根の長さの総合計が、1万1200キロメートルあったと言うんだ。


 ~ 一本の麦が数ヶ月、自分の命をかろうじてささえる。そのためびっしりと木箱の砂のなかに1万1200キロメートルの根を細かく張りめぐらし、そこから日々、水とかカリ分とか窒素とかリン酸その他の養分を休みなく努力して吸いあげながら、それによってようやく一本の貧弱なライ麦の苗がそこに命をながらえる。命をささえるというのは、じつにそのように大変な営みなのです。 (五木寛之『大河の一滴』幻冬舎) ~


 たった1本のライ麦を数ヶ月間息長らえさせるために、これだけの長さの根が張りめぐらされるとは、純粋にすごいと思う。

 ~ そうだとすれば、そこに育った、たいした実もついていない、色つやもそんなによくないであろう貧弱なライ麦の苗に対して、おまえ、実が少ないじゃないかとか、背丈が低いじゃないかとか、色つやもよくないじゃないかとか、非難したり悪口を言ったりする気にはなれません。よくがんばってそこまでのびてきたな、よくその命をささえてきたな、と、そのライ麦の根に対する賛嘆の言葉を述べるしかないような気がするのです。 ~


 1本の麦の命を支えるために、これだけの根が必要だとしたら、われわれ人間の命はいったいどれだけのものに支えられているのだろう。
 そんなことを考えてしまう。
 生きてるというそのこと自体への感謝を忘れて、何がほしいだの、もっと楽しくやりたいだの、こう生きたいだの、言っちゃいけないという気がしてくる。
 試験の成績なんてどうでもいいじゃないか。
 ちがうかなあ。

 娘が生まれるとき、無事に生まれてほしいと切実に思った。
 男の子、女の子のどっちがほしい? なんてよく聞かれたけど、どっちでもいいからとにかく無事に生まれてほしいと願った。
 始めて対面したとき、こんな小さくて、ちゃんと生きていかれるのかと心配だった。
 始めてだっこして、そのあまりの柔らかさにまた不安になった。
 寝かしてみると座布団一枚の上にすっぽり入る。
 泣く。むずかる。鼻水が出る。熱を出す。咳をする。そのいきおいで吐く。
 夜ぎゃあぎゃあ泣かれると、いいかげんにしてくれよ、と思うことも何回もあった。
 もちろん、しょせん父親だから、朝から晩までいっしょにいる母親にくらべたら、「子育てをした」なんていうのはおこがましいだろう。
 鼻の穴に小石を自分で入れてしまってとれなくて耳鼻科に行く、ぐらいだと笑えるけど、自転車が倒れて頭をうった、公園ですべり台から落ちたと聞けばあわてて医者に連れていった。
 口のまわりが腫れて固形物が食べられなくなり、顔が痩せていったときは、変われるものなら変わってあげたいと心底思った。
 それでも、元気になってまた騒ぎ出すと、少しはおれにも休ませてくれよと思ったりする。
 はいはいしてたのが、何かにつかまってひょいっと立ったりすると、やんややんやの喝采を送りもう大事件が起こったような気になるのに、しばらくすると歩き出すのはいつかなって考えてる。
 幸い大きな病気もなく育ってくれているが、ほんとうに幸いだなあ、神様に感謝しよう、生きてるだけでありがたい、と思いながらも、進研ゼミの「こどもチャレンジ」を申し込んだりしてる。
 親というのほほんとうに身勝手なものだ。

 大学時代からの友人Y君は、結婚したあとなかなか赤ちゃんができなかった。
 あちこちの病院を回り、日本でかなり有名であるという小松の病院で人工授精を行い、一人目の子どもを授かった。
 女の子だった。
 一昨年、電話で話してたら、奥さんが妊娠したという。
 これはめでたい、一度子どもを生むと、妊娠しにくかったからだも変わるものなんだ、などと語りつつ、実は三つ子だと言う。
 Y君は、一人っ子よりは兄弟があった方がむろんいいと思ってたそうだが、いきなり三つ子と聞いて、少しひるんだと言う。
 それはそうだろうなあ。
 一人でもパニックになることはあるのだから、同時に3人というのは…。
 ただしY君の家はおばあちゃんが健在だから多少なりとも、うちよりは楽かなとは思った。
 そんなことないか。3人だものなあ。
 さすがに三つ子ともなると、出産のかなり前から入院するらしい。
 赤ちゃんじたいは窮屈だから早く外へ出たがるが、もちろん少しでも長く母親の胎内にいた方がいい。
 だいたい人間の赤ちゃんというのは、体内にいる時間が短い。

 学生時代に習ったが、「一年早産説」という考え方があるそうだ。
 他の動物は、生まれてきてしばらくすると、自分で立ち上がって歩き出したりするよね。
 人間の赤ちゃんは、母親の保護がずーっと必要で、だいたい1年ぐらい経ってはじめて自分で歩けるようになる。
 人間は1年分ほど子どもを早く産み落とす動物だというのだ。
 生まれてきて充分に保護できるだけの文化をもった動物だからこそ、人間だけはこんな未熟な状態の赤ちゃんを産み落とせるようになったのかもしれない。

 出産前から母親が入院すると聞いて、お姉ちゃんがかわいそうだと思った。
 うちも、二人目が産まれたとき、母親が1週間ぐらい産後の入院をし、当時3歳の上の娘は、それまでべったりだった母親がそばにいないという始めての経験をした。
 幼いなりに状況をよく理解してあきらめていたみたいで、ぐずることはなかったが、ときどき母親がそばにいないことに気づいてひとりで泣いていた。
 夜なかなか眠らなくて、ひたすら本を読んできかせたことをおぼえている。
 Y君のとこのお姉ちゃんは、そのときのうちの長女と同じくらいの歳だったはずだ。
 母親が数ヶ月にわたって入院してた時期は辛かっただろう。

 さて、Y君の三つ子もそろそろ産まれた頃だろう、でも忙しいだろうから電話するのはやめようと思い、はがきを書いた。
 しばらくして手紙が来た。
 無沙汰を詫びるとともに、予定日よりかなり早く産まれたものの、3人日の子が生後20日間で亡くなったことを知らせる手紙だった。
 3人とも超未熟児で産まれた。
 産まれたときの体重が1500グラムに満たない赤ちゃんを超未熟児というそうだ。
 一人目が女の子で1487グラム、二人目が男の子で1249グラム、3人目が男の子で885グラム。
 帝王切開で産まれて、すぐ未熟児集中治療室に運ばれていく子どもたちのあまりの小ささに、Y君は思わず手を合わせていたという。
 一番小さな3番目の男の子の具合いが悪く、手術することになった。
 助かる確率は50パーセントだったそうだか、小さなからだで6時間の手術に耐えぬいた。
 全身麻酔をしていながらも、手術後「ぼくは生きるぞ」とばかりに、あたりを見回していたそうだ。
 手術後、順調に1週間が過ぎたが、縫い合わせたはずの小腸が破れているようで、再手術が必要だ、手術しても助かる確率は低いとお医者さんに言われた。
 父親として心は揺れながらも、再手術を決断し、しばらくしてお医者さんによばれて手術後集中治療室に入ったときは、すでに危篤状態だったという。
 懸命の心臓マッサージも効を奏さず、短い一生を終えたとのことだった。

 ふつうに生まれるときでさえ、大丈夫かなあと心配し、とにかく元気で生まれてくれさえすればいいと願った自分のことを考えると、Y君の心配はなみたいていのものではなかっただろうと今になって思う。
 医療技術の発達したこの時代、五つ子だって無事に育っているこの時代に、自分の友がそんな目に遭うとは思っていなかった。うかつだった。
 もし俺が同じことに直面したら、ほんのわずかでも自分の命を分けてあげることができたなら、と本気で願ったはずだ。
 そしてそれが不可能であることが、「天寿」ということであろうとも思う。
 おそらく納得はできないだろうし、天のしうちを恨む気持ちにもなってしまうとは思うが、まさしくそれが天寿ということなのだろう。
 二十日間という天寿をまっとうした子のことを思うと、命というものはそんなに当然のようにあるものではないという考えにいきつく。
 ふだんめったに考えることではないけれど、偶然生きているというのがほんとうのところのような気がする。

 その後Y君には、誕生祝いのベビー服と、亡くなった子のご霊前にという気持ちの、ちっちゃなトトロを送った。
 いま、奥さんとおばあちゃんと3人の子に囲まれてわいわい暮らしてることだろう。
 うるさいなあとか、早く寝ろよとか、言うこと聞けよこのガキとか思うこともあると思うけど、それが自然だ。
 しょうっちゅうウルウルできるほど静かな暮らしはできるはずがないし、そうであってはいけない。
 ときには亡くなった赤ちゃんのことを思ったりもするにちがいない。
 いっしょに生まれた二人にも、もう少し大きくなれば、その話を聞かせることだろう。
 そういう思い出も、Y君やY君の家族にとっては、きっと肥やしになっていくはずだ。
 ちょうど、一本のライ麦が、根をはりめぐらして、ありとあらゆる着分を吸収しようとして生きているのとおなじように。


 ~ 私たち人間というものは、一本のライ麦にくらべると何千倍何万倍、ひょっとしたら何十万倍の大きさ、あるいは重さをもっている。一本の麦がそうであるならば、私たちも同じように生きてゆくために、さまざまなものを必要とする。太陽の光も必要、空気も必要、水も必要、熱も必要、あるいは石油とか、いろんなものも使う。そのほかにも私たちは自分より弱い生物を犠牲にして食物を得、あるいは動物を食べ、そしてこの命をささえている。 … 誕生以来一週間生きたというだけでもすごいな、とじつは思うのです。 (五木寛之『大河の一滴』幻冬舎) ~


 生きていることじたいがごほうびみたいなものなのに、人からよく思われたいとか、もっと楽したいとか考えてしまうのは、かなり虫のよすぎる話ではないだろうか。
 いつもこんなふうに悟ってることはできないけど、生きているそのこと自体に感謝する気持ちをときには感じなければいけないと思う。
 だからこそ、息してるだけ、生命体として肉体を維持してるだけというのはもったいない気もするのだ。

コメント
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