水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

鍵泥棒のメソッド

2014年05月16日 | 演奏会・映画など

 チケットを買った時は、その日の楽しいイメージしかなく、日が近づくにつれて楽しみになってきて、さらに近づいてくると、行くためにこれとこれは終わらておこうという焦りが少し出てきて、間際になると、あれもこれもやってないのに、行って大丈夫なのか、諦めて仕事した方がいいんじゃないか、いや、大丈夫最低限明日は乗り切れるから行っちゃおうぜ、だいたいパスしたらチケット代がもったいなさすぎだろ … というような葛藤を経て芝居を見にいくことが多い。
 余裕をもって出かけ、途中でかるく何か食べて … なんて状態にはならず、開演には間に合うかなという時間に電車に乗り、静かな場面でおなかが鳴らないことを祈りながら席に座る。
 なので、ぎりぎりではなく、前説に間に合うくらいに座れて、幕開けの音楽が聞こえてきたときは、それだけでうるうるしてしまう。
 自分から完全強制モードに入っているわけだから、キャラメルボックスのお芝居が面白くないはずはない。
 エンタメに徹しきったかれらの仕事ぶりは潔い。
 今回の演目は、内田けんじ監督の「鍵泥棒のメソッド」を舞台化したもので、予想してた以上に、映画の進行そのままだった。もちろん、キャラメルボックスならではの展開はあるのだが、ストーリー展開も、キャラクターも映画のイメージ通りだった。
 それにしても映像は、一瞬の情報量がほんとに多いなとあらためて思う。
 たとえば映画の冒頭部分では、銭湯に向かう香川照之の顔がアップになり、仕立てのよい黒スーツはうん十万はするだろうし、乗っている車の車種や色も、備え付けられたカーオディオの機種まで明確にわかる。
 何の台詞がなくても、どういう職業か、お金はもっているか、予想される性格など、一瞬にいろんなイメージを観客に植え付けさせる。
 芝居ではそうもいかない。ピカピカのベントレーを舞台場におくことはできないし、阿部丈二さんのスーツもそこまで高そうには見えなかった。
 でも、伝わってくるのはなぜだろう。
 演技力? 演技力があるとは、上手に演じることではなく、お客さんに想像させる力じゃないか。
 純粋なスキルとしての芝居のうまさを持つ役者さんは、キャラメルボックスさん以外にもいる。
 逆に芝居が上手にみえなくても全く問題ない、お客さんが楽しめ、「正しく」芝居を頭のなかでつくりあげてくれて、最後によかったと感じてもらえさえすればいい、と心から思って演じているように見えるとこが、この劇団の楽しさの源なのかなと思った。
 自分たちの主張とか、演劇とは何かとか、なんらかの問題提起とか、そういう部分もないわけではないが、お客さんに楽しんでもらうこと以上に大切なことないよね、と関わっている人みんなが思っているように感じる。
 サンシャイン劇場のロビーに入った瞬間にそれが伝わってくるのだ。
 カーテンコールの挨拶で、,阿部さんがこう言っていた。
 「平日の夜、ご来場いただきありがとうございます。きっとお仕事の都合をつけられて来ていただいてるのだと思います。そんな皆様にとって、自分達の芝居が、何かご褒美のようなものになればいいなと思ってます」
 泣いてなうやろ、そんなこと言われたら。絶対また来さしてもらうさかいにな。
 試験はまだ完成してないし、それ以前に予習の終わってない教材がいっこある。
 試験をつくりおえて、コンクール曲の譜読みをきちっとしておきたい。
 読むべき本もたまっている。
 でも、すべてをいったん置いといて、きてよかった。

コメント
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