水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

教師が保護者を提訴

2011年01月18日 | 日々のあれこれ

 ~ 「教育界にとっては“前代未聞”。非常に驚きました。 … 一番考えてほしかったのは子どもがどうなるんだろうということ。お母さんと先生が裁判で争い始めた。こんなのたまらないですよね?教育問題で勝ち負けはない。理解しあうということ」(教育評論家・尾木直樹さん) ~

 なんか、これが一番むかつくよね。
 教育問題でおまんま喰っている人が。
 ていうか尾木先生って、みんなが一番苦しいときに一抜けした人だと認識している。
 だいたい、ここ何年かの学校の現状をみたなら、教師が親を訴えることが前代未聞であること自体おかしいと思わないのだろうか。
 もちろん、不幸なできごとには違いない。
 伝わってきた内容だけで判断するなら、やむにやまれずの状況であったのだろうと思う。
 事態が好転するとは思えないし、訴えられたモンスターの方が折れることは100%ないとは思うが、第三者による判断はどうなのかという事実だけはつくっていかないと、学校の先生のなり手がいなくなる。
 このような形で問題提起された先生に敬意を表したい。
 学校側も、公式にこの先生を支援する態度であるのは立派だと思うが、さらに学校としても業務の遂行が妨げられてると訴えることも検討すべきではないだろうか。
 なんにせよ不幸な状況であるのにちがいないのだけど、いっつも俺らだけが悪いって言われるのはおかしいもの。

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OS

2011年01月17日 | 日々のあれこれ

学年だより62

  ラグビー元日本代表平尾剛氏は言う。

 ~ 何のためにラグビーをやっているかというと、勝つためにラグビーをやっているというひとは、やっぱり間違っていると思うんです。ラグビーを通じて開発した心身の能力を、ラグビーコートの外でどうやって発揮するかという、そのための、グラウンドは一種の実験場なわけですから。
 そう、グラウンドは実験室ですから、ここではいろいろなことを実験していい。思いつく限り、あれこれいろいろな試みをして、そこで育てた能力やそこで発見した法則を、実際の生活で使ってみよう。何度も言いますが、いちばんたいせつなのはグラウンドのなかで育てた力をグラウンドの外でどう生かすかですよね。(内田樹・平野剛『合気道とラグビーを貫くもの』朝日新書) ~


 「学校での勉強は社会に出てから役に立たないから意味がない」というような言葉を耳にすることがあるが、それはあまりにも勉強の本質を見失った言葉だ。
 たしかに勉強の内容そのものだけを見たら、将来の現実の生活に直接は役に立たない内容もあると言えるだろう。
 しかし、その内容を学ぶことで脳の中にどんな回路が構築されるか、その内容を学ぶ経験によってどんな姿勢ややり方を身につけられるかを考えるならば、役に立たない勉強などないと言うこともできる。
 要は、勉強の過程によって、どれだけ自分を変えることができたかなのだ。
 受験に成功した先輩とは、受験を通して自分を変えることができた人たちだと言える。
 もちろん本人にその自覚がないかもしれないが、結果として受験勉強を始める前の自分と、合格が決まった後の自分とには、見た目は多少大人っぽくなったというぐらいでもあ、中身は全然変わっている場合が多いはずだ。


 ~  そのひとの人生において大きな意味があったとか、それが実は人生を決める分岐点になったとか、自分自身のOSがバージョンアップしたとかってのは、ある程度時間がたたないとわからないかもしれないですね。時間がたって振り返ってみたときに、「実はあのときバージョンアップ」していたんだな」というふうに自覚されるもんなんですよ、きっと。 ~


 つまり、自分というOSをどれくらいバージョンアップできるか。
 高校時代というのは、その貴重な実験の場ではないかと思う。
 もちろん、大学、社会人と進んでいく人生のそれぞれの場所で、それぞれのバージョンアップのチヤンスに出会うことだろう。
 ただし、その瞬間瞬間においては、自分が何にでくわしているかはわからない。
 しかし懸命にその瞬間を乗り越えようとしていく過程のなかで、何かそれまでになかったものが自分の中に生まれる。

 OSをかえる練習をしないといけないんだろうなあ … 。
 言うのは簡単だけど、やるのは難しい。

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新人戦

2011年01月16日 | 日々のあれこれ

 極寒の久喜で、はじめて新人戦に参加させていただいた。
 この日、高校の出場は7校。2校に送られた金賞はならなかったが、銀賞を受賞することができた。うれしかった。
 今回、課題曲は自分たちの一番苦手なタイプのものを選んだが、じっさいにとんでもない苦労をし、いただいた講評用紙でも、いろいろな注意をいただいた。
 まさかここまで出来ないとは思ってなかったが、いい経験だ。
 曲としてあっているか以前に、課題曲をちゃんとやるのがいかに難しいかを実感するのが大事だった。
 それに、ここまであらが目立たない曲が仮にあったとしても、実際にはちゃんと吹けてない場合、点数はいただけないのだ。
 Aに出場するようになって数年、それだけはいやというほど思い知らされている。
 だから、今回の「シャンソン」は、今後も時折演奏し、今日の演奏と聞き比べて上達しているかどうかの確認に使っていきたい(それにしても、賞がもらえるととたんにやる気になる、この現金さ)。
 自由曲は、どの先生にも高評価をいただいたが、きっと本校に合っている曲なのだろう。たしかに、クラシックのアレンジ曲をしっとりと歌い上げるタイプのも曲はきびしいだろう。
 こっちの路線に活路を見出していくのは、正しい方向性かもしれない。
 みんな、好きそうだし。
 夜、仲間の先生から「よかったね」との電話をいただく。
 ほんと寒かったけど、行ってよかった。

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センター一年前

2011年01月15日 | 日々のあれこれ

 センター試験一年前ということで、2年は学年集会。
 一年後、試験開始のチャイムの時点で結果は決まっている、今日からしっかり準備をしよう、勉強だけしててもだめ、人間そのものを充実させないとだめという話をし、そのまま進路指導部発行プリントの原稿にした。


 ~ 何らかの事を成し遂げる人がいて、成し遂げられた結果としての事がある。人と事との関係は、土と実の関係に似ている。立派な実、味のよい実、ずっしりとした重みのある実をつくるのに必要なのは、肥えた土地である。それは化学肥料を投与してつくる土地ではない。やせた土地によそからもらってきた立派な苗を植えても、よい実はならない。土がよければ自ずから実る。つまり、事を実らせるには、人を肥えさせなければならない ~

 では人を肥えさせるにはどうすればいいか。
 ○○君という土壌を肥えさせるにはどうしたらいいでしょうか。
 たぶん特効薬はありません。
 いつもの話の繰り返しになりますが、ルーティンをきっちりとこなしてゆくことしかないと思います。
 朝起きて、ごはんを食べて、登校して、あいさつして、授業を受けて、掃除をして … という日常を淡々とこなしてゆくこと。
 日常そのものの質をあげていくこと。
 決まった時間に机に向かい、決めただけの勉強をする。
 地味なことのくりかえしによって、土壌をじっくり育てていくのです。

 
 でもこれは、3年前も使った文章だ。内田樹先生の言い回しをアレンジして書いた記憶がある。6年前かな。
 が、決して使い回しではなく、成長してないのでもなく、ブレてないのだ、と自分に言い聞かせる。
 
 午後は、明日の新人戦に向けての最後の練習。
 積み込みを終え、校舎の戸締まりをし、センターの問題がネット上にアップされるのを待つ間に、ウニクスのTSUTAYAさんに行き「おとなの週末」最新号と、中谷彰宏『人生を変える自分ブランド力』を買ってくる。
 そうこうしてるうちに、問題が載った。今年も東進さんが一番はやかった。
 さあて、どんな感じだろうか。
 

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地下室

2011年01月14日 | 日々のあれこれ

  学年だより61

 ~ 自分一人きりで充実する時間というのが、その人の中心を作ると思うんです。
 たとえば、スイングに集中してる時には、自分一人で充実している時間を持つことができる。読書もそうですね。読書の世界に集中してると、自分一人で満ち足りた時間を過ごせる。
 一人きりの時間が、自分の内部に地下室みたいな充実したものを作っていく。 ~ 

  街を歩いていると、とりあえず固まってだべっているだけ風の若い人たちを多々みかける。
 電車の車内などはその典型で、ときおり彼らの話を聞くともなく聞いていると(声がでかいから)、あきれるくらいにどうでもよい話をし続けていることも多く、それが本当に楽しそうには見えないこともあるのだ。
 きっと、自分一人が「地下室」に入るのをためらっている若者たちなのだろうなと思う。
 勉強でも部活でも、何かを身につけようと思ったら師について習うことがまず必要だ。
 しかしそれを本当に自分のものにするためには、自分一人の世界で自分に落とし込んでいかないといけない。
 みんながのんびりしている時でも、電車の中でも、休み時間でも、すっと自分の世界に入っていく時間が必要だ。

 ~ そんな地下室というものを持っていると、他人と関わる時も余裕をもって関われる。自分の世界も一応あって、人と自分が全部同じである必要はないということがよく分かる。
 すごく疲れたことやストレスがかかることがあった時にも、その地下室に戻ってエネルギー補給してまた出てこれる。そこはまたシェルターでもあるんです。 ( 坂田信弘・斉藤孝『渾身、これ一徹』角川書店 )  ~

 地下室に入ってしまうと、他人から相手されなくなると思うのだろうか。
 地下室に入ると友達がいなくなる? そんなことはない。
 地下室に入ろうとする友を見て、もっと遊ぼうぜと声をかける人は、実は友ではない。
 一人の世界でやっていける者同士は、そのにおいがお互いに伝わるものだ。
 わかる者同士は、むだに話してなくても、いっしょにいなくても、なんとなく連帯感をもてる。
 ときどき話をすると、その会話自体が、自分の地下室を広く深くするきっかけになったりもする。
 そんな友をもちたいと思わないか。
 大人になる、人としてのグレードが上がるというのは、誰と出会えるか、何と出会えるかによって規定される。
 ただし自分の世界をもってないと、出会うべき人にも出会えないし、出会っていても気づかない。
 「とんでもないな」と思える人と出会える人生を送れるためには、その「とんでもなさ」に気づける自分にまずならないといけない。
 そのためにはまず、一人で自分の地下室に入り、やるべきことをやるのだ。

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実力テスト

2011年01月12日 | 日々のあれこれ
 実力テストの採点をしていたら、当初予定していたよりも詳しく説明すべきであることに気づき、急遽プリントを用意したりしたので、忙しい日になった。
 評論の問題は、自分でも理解に自信のない部分があったのだが、もちろんそんなそぶりをみせてはいけない。
 プリントをつくり、漢文の問題を解いてもらっている間に、次の時間の現代文の予習をし、空き時間にお弁当を食べながら古文の解答を考え直しという自転車操業になる。
 もちろん、授業に入れば何でもない顔で、「ここは何言いたいのかわかる?」と聞き、考えてもらっている間に必死で自分も考える。
 ちょうど水鳥が水面をすうっと進みながら、水の中では必死にあがいているのと同じ一日だった。
 今回の実力テストは、トータルではセンター試験より難しいレベルになったが、さすがに上下の差がひらく。
 センター試験形式の問題ではほんとうの国語の力は測れないという意見もまま聞かれるが、ばっちり測れるとあらためて思う。
 だいたい、そういうことを言う人の国語力が基本的に低いのだけど。
 採点しながら、この子がこれくらいしかとれないのは、きっとこういう原因だろうと見えてくる部分もあるので、今後ピンポイントで指導してくことも必要かなと思ったりした。 
 まあ一番の原因は語彙力の問題なのだが。
 それは本校だけの問題ではないだろう。
 かぎられた超優秀な学校の生徒さんにくらべた場合、生まれてから現在にいたるまでに蓄えてきた語彙量が異なるうえに、高校に入ってから意図的に語彙を増やそうという勉強をしてないので、ていうか英語や数学にいそがしくて手が回らず、少し難しい文章になると身体が受け付けなくなるのだ。
 1問解いたら、そこでどんな言葉を学んだかを蓄積していってもらおうと思う。
 あと評論なら、その文章を読んだことで、どんなものの見方に気づいたか。
 出口汪先生だったかな、評論を一問読むことは新しいものの見方を一つ身につけることだ、とおっしゃっていた気がするが、そういう感覚で解いてもらわないと、今後現代文はのびる子はのびるけど、のびない子は何時間やっても同じになってしまいそうだ。
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マニュアル

2011年01月11日 | 日々のあれこれ

 芥川賞、直木賞の候補作が発表になっていて、朝吹真理子さんという若い女性作家が芥川賞のテッパンだとも聞いたので、新聞などでさかんに紹介されている『流跡』を読んでみようかと昨日本屋さんで手にとった。なんか難解そうだなと思い、どうせすぐには読めないしなあと買わなかったのだが、今日机の下から出てきた。いつ買ったのだろう。

 昼過ぎアマゾンから届いた箱を開けたら『伝説のホテルマン「おもてなし」の極意』という本が出てくる。
 う~ん。昨日電車のなかで読み終わった本だ。いい本だった。
 「マニュアルを越えたサービスが大事」とあって、なるほどと思ったのだが、教員の世界にはマニュアルさえなくて、かといって徒弟制度でもなし、大学で学ぶ教育は現場では役に立たない。ほんとにテキトーな世界だなとあらためて感じる。
 マニュアル的な本を書いてくださる先生もたくさんいるが、残念ながら、それを読む教員は何パーセントもいない。
 昨年末、いじめがひきがねになった自殺と思われる事例が何件か報じられたが、その学校の先生が、向山洋一先生のでもいいし、河上亮一先生のでもいいし、今だったら野中信行先生の本もある。せめて何冊か読んでいれば、違う状況になっていたのではないか。
 じゃあ文科省がアニュアルつくりましょうかということにでもなれば、何年もかかって莫大なお金をつかい、それでいて「これ現場じゃ使えないよね」的なものになるのも見えているから、それを望むのもむなしい。
 教職についた本校のOBたちも、いろいろ苦労していると思うけど、自分ひとりで何でもやろうとしないという原則だけは守ってほしいと願う。
 何かあったら、まず同僚、上司に相談。
 それから本を読む。研究会に出むく。
 われわれ教員は、誰に何を聞いたって恥ずかしくないぐらいの知的レベルでしかないのだから、妙なプライドは捨てる。
 内向きにさえならなければ、絶対に活路は開ける。

 ちょっと本気で机を片付けようとしたら、まるでネタのように『たった1分で人生が変わる 片づけの習慣』とか出てきた。
 読んでない本もふくめてブックオフに2箱もってった。さあ、予習しよう。

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ニューイヤーコンサート

2011年01月09日 | 日々のあれこれ

 恒例となった、南古谷ニューイヤーコンサートに参加させていただいた。
 ご来場いただいた保護者のみなさま、ありがとうございました!

 当初「ウィークエンドインニューヨーク」1曲でいこうかと思っていたが、例年この場で披露させていただいてきた曲より少し短いので、「千と千尋の神隠し」とあわせて2曲演奏させていただいた。
 「ウィークエンド」は初披露である。正直まだまだ吹けてないところがたくさん残っている。ただし物理的に難しい部分が大きくて、練習さえすればもっと精度はあがるはずだし、場面ごとの変化もうまれてくる。新人戦、定演と磨きをかけていきたい。
 「千と千尋」は、バッハザール版を少し短くしたが、合唱はきっと受けると思い残してままだった。たぶん楽しんでいただけたことと思う。
 きびしい道のりではあったが、なんとかひとつ乗り越えた。
 あと新人戦を乗り越えねばならないが、部員諸君が宿題を乗り越えてもらわねば練習にならない。
 さらに個人的に乗り越えるべき課題と意識せざるを得なくなってきたのは、今回新調したスーツが、昼食後に着たためか予想以上にぱちぱちだったことである。夏のコンクールの時期はビールのみまくってても体脂肪率15%を切っているが、今はこわくて測れない。授業がはじまったら絞っていきたい。

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チャンネル

2011年01月08日 | 日々のあれこれ
 「午前10時の映画祭」と銘打って、過去の名作の数々をお得な料金で鑑賞できるという企画を、新都心の映画館でやっている。
 ラインナップを見ると、さすがにいい企画だなと思うのだが、いかんせん午前10時には行けない。
 ところが最近は夕方にも上映されていて、なんと練習後「ロミオとジュリエット」に間に合うではないか。。
 これ中1かな、最初に観たのは。
 昔「春休み子供マンガ祭り」とか「怪獣大行進」とかを卒業して、映画館で初めてみた普通の映画がたぶんこれで、映画館を出てしばらくぼおっとしてた気がする。
 映画の内容よりもオリビア・ハッセーの姿が脳裏から離れない状態になっていたのだ。でも、それは当時この作品を観た全ての男子に言えることだったはずだ。観てない男子の頭の中は全員アグネスラムだった時代だ。
 たとえば中学2年ぐらいで、クラスメイトにオリビア・ハッセーがいたら、先生が何を言ったところで、男子は全員授業など手につかないと思う。
 今回改めてその愛らしさに感心し、当時の自分にタイムスリップできて泣けてしまった。テーマ曲のサントラも買ってきて「ワッティーザユース~」ってよく歌ったものだ。どんな話かは全然おぼえてなかったけど、シェクスピアの世界をそのまま再現しようとしたものだとわかった。
 年をとった分、感性が衰えたかなあと思うこともあるけど、ちがうかもしれない。
 昔は、あまりにも自分がカオスで、なんかしらないけどただ感動してるとか、ただ悲しいとかの状態だった。いま自分に少し分析的になれるのは、感性の衰えではなく、感じとるチャンネルが増えているのではないのかな。
 だから、身体能力は明らかに衰えていても、中身の質はあがっている。
 そういう意味では、この先もしばらくはトータルとしては成長していける気がするので、人生下り坂とばかりは言えない気が突然してきた。
 そう考えて生きませんか、保護者のみなさま。
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素直

2011年01月07日 | 日々のあれこれ

 「シャンソン」は指揮も難しいと言われてるし、それはいやというほどわかってきてはいる。そういえば2009年課題曲の参考演奏DVDを観てなかったと思い、ポールメイエ氏がどう振られているか観てみた。
 なんだ、これでいいのか。簡単じゃん。
 譜面の指定のテンポとも、ゆるみ方とかも、たぶん全然ちがうけど、ものすごく自然な流れに感じる。このままできるわけはないのはよくわかっているが、参考になった。最初はこんなにさらっとしてたのに、コンクールでいくつか聴いた「シャンソン」は、すごい大曲になっていたなあ。
 あと1週間ほどで、みんなでさらっと演奏できるようになるだろうか。
 午前中に「シャンソン」、午後は明後日にせまったコンサートの「ウィークエンドインニューヨーク」と「千と千尋」の通し練習。
 全体は3時で終え、原則5時まで宿題をやる時間にする。
 
 その後、学年だよりを書いた。素直さと頑固さが必要だと書いてて、部活も勉強も、たぶん仕事も同じなんだろうなとあらためて思う。


2学年だより№59「素直」 ~

 前にも一度紹介した岡田武史前監督のお話から。


岡田 近年のサッカー界では、海外でプレーする日本人選手も増えてきましたが、成長していく 選手にはやはり共通点が感じられます。
  一つは純粋に、サッカーが好きだということ。なかには、これでお金持ちになってやるとか、 有名になってやるといった「手段」のためにサッカー をする選手もいます。でもそういう選 手は、ちょっと有名になってお金が入ったら、潰れちゃうんですよ。根本に、好きだという気 持ちがない選手は、どこかで頭打ちになりますね。
  もう一つはやっぱり、スランプに陥った時やピンチに立たされた時に挫けない精神面の強さ。
 ダメかなぁ、ダメかなぁ、と考えがちな選手は大体ダメになるし、どんどんどんどん落ちてい きますね。物事をポジティブに考えることのできる選手は成長します。
 流  その強さとは、つまり心の粘りでしょう。日本人は特に見極めが早いから、途中でダメだ と思うとすぐに撤退してしまう。
岡田 諦めが早いと、結果には繋がりませんね。
  それと、最後はやっぱり、素直さがないとダメです。例えば今回のW杯で活躍した本田圭佑 にしても、表面上は突っ張っているように見えますが、根は凄く素直なところがあるんですよ。
 同じことは元日本代表の中田英寿なんかにも言えました。
  だから、そういう人間としての素直さというか、心にそういうものを感じさせるものがない 選手はあんまり期待できませんね。
 ~ 岡田武史(前JAPAN監督)・流政之(彫刻家)対談より ~(「致知1月号」)


 大学入試や部活でいい結果を残したみんなの先輩たちを思うと、大変「素直」であったことと、いい意味で「頑固」だった姿を頭に思い描くことができる。
 これと決めたら揺るがないものを持っている先輩がたくさんいた。
 決してそれは絶対にやり方を変えないとか、他人の言うことに耳を貸さないということではない。
 むしろ、我々に言うことを素直に受け入れ、すぐに試してみる姿勢をもっていた。
 素直さは、吸収力につながる。
 自分の考えのうち、経験のうちになかったものも、いやなかったからこそ一旦受け止めて咀嚼し、栄養になりそうなものはどんどん吸収していく。
 なんとなくまずそうに見えるなあとか、食べたことないからやめようかなというそぶりがない。
 「おいしいよ」と差し出しと、「なんですか?」と言いながらもう口に入れてる感覚だ。
 「えっ、嫌いなものかどうか確かめる前に食べちゃったの?」とこちらが尋ねたくなるくらいに。
 差し出す側としては、ますます美味しいものを用意して食べさせたくなるのだ。

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