水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

キックアス

2011年01月06日 | 演奏会・映画など

 新年早々のバンドレッスンは、「シャンソン」中心に、どうすればいいのかを徹底的に洗い出していただいた。
 大事なのは、教わったことをどう消化するかだ。
 勉強と同じで、習っただけでは成績はのびない。
 なので、明日の練習がより大事になる。
 レッスン後、今後のことについて先生といろいろお話したことはあらためて書き留めることにし、3日に観た映画のご報告を。


 近松門左衛門が提唱し、アントニオ猪木が具現化した「虚実皮膜」という概念がある。
 虚と実の狭間にこそ、人をひきつける人間ドラマが生まれるということ、と理解している。

 「キックアス」は、戦隊もののヒーローに憧れる一高校生が、自分もヒーローーになろうとコスチュームを手に入れるところから始まる。
 それを着て街に出て、悪者をやっつけ、新しいヒーローとなり、きれいなお姉さんとラブラブになって … 、というように「虚」を重ね、純粋に楽しい作品にしていく方向性もある。
 ふだん、学業もぱっとしない、彼女もいない高校生が、なんとなくちがった自分になりたくてヒーローのコスチュームを購入してしまうのは、「実」だ。
 それを身につけ鏡の前に立ち、そこでキックとかしてしまうのも。
 でも、実際にその格好のまま街に飛び出し、悪そうな人に立ち向かっていくのは「虚」だ。普通はやらない。
 しかし「キックアス」は、新しいヒーロー誕生という楽しい「虚」には向かわない。
 車を盗もうとしていたチンピラに立ち向かい、一瞬にしてやられ、その勢いで車にひかれて全身大けがをするという「実」を描く。
 ただし、そのあとの大手術で命を取り留め、体中に埋められたボルトなどのパーツのおかげで、ある意味不死身級の身体になるという虚実の微妙な境目の展開になる。
 その身体で再度コスチュームを身につけ街に出て、悪そうな人とやりあってみたら、それが携帯で撮影されネットで流れるやいなや、一気に有名人になるというのは、スーザンボイルさんぐらいにはあり得そうだ。

 さて、有名になってしまったものの、実際に戦闘能力があるわけではないから、時折悪者とやりあっても、勝てるはずだない。
 そんなとき、リアルに強い戦闘少女「ヒットガール」に出会うと、アクション映画として一気に展開していく。
 悪の組織に妻を殺された恨みを持つニコラスケイジが、自らを鍛え身体改造するとともに、娘にも英才教育を施し、最強の殺し屋として育てあげた少女だ。
 この父娘は、バットマンのような出で立ちで、悪者を殺しまくる。
 こうなると完全に虚の世界なのだが、残忍な殺人シーンをリアルに描くことで、たんなるお子様向けヒーローものにならない。
 これはR15納得だなというリアルさ。
 父娘の描き方もうまい。
 誕生日プレゼントのバタフライナイフを嬉々としてあやつった後、ホットミルクを手にベッドに向かわせたり、バズーガ砲をネットで見つけて喜ぶ娘に、「お買い物かごに入れなさい」と指示したりするところとか。
 最強の殺し屋少女というビッグな虚を設定した以上、その他についてはリアルな少女らしさを徹底させる。
 そのギャップがまた萌えさせる。
 基本作り物である映画は、こういう虚と実のバランスが実に大事なのだろう。
 「あるある」と「あり得ない」の絶妙なバランス感覚だ。
 この二つをかけあわせた積は、ひょっとすると面白い作品はけっこう似たような数値になるのかもしれない。
 または、それを知りつつ、どの程度意図的に逸脱できるかの感覚。
 
 突然、去年観た映画のベスト5を発表させていただくと次のとおり。
「孤高のメス」「川の底からこんにちは」「おにいちゃんのハナビ」「ちょんまげプリン」「さんかく」。
 「ちょんまげプリン」は、お侍が現代にタイムスリップするという大きな「虚」を設定したので、その他の部分はストイックに「実」の描写をしようとし、いくつかの侍メインのシーンで、ここぞとばかりに虚実皮膜を展開した。
 「さんかく」は、一見リアルな「実」ばかりを描写しているように見えて、小さな「虚」が積み重ねられていくうちに、隠されていた人間のダークな部分が見えてくる作品で、ほんとに身につまされた。現代人の生活そのものの虚実皮膜と不安定さを実感できた。
 この二つ、まったく別系統だけど、虚と実のかけ算の答えはけっこう近いような気がする。
 そうか、同じヒーローでも井筒監督の「ヒーローショー」がだめだったのは、実しか描こうとしてなかったからなのだろう。
 実でしか実が描けないと思っておられるのだ。
 だから「嫌われ松子」や「告白」の、映画だからこそ可能な「虚」のシーンが理解できず、映画的虚ゆえに実が生まれることも知らない。

 虚実の境があいまいで、そのあいまいさに身をゆだねることができ、一方でそんなあいまいな自分の存在をなんとかできないかと苦しむことができる存在を青年とよびたい。
 ほとんど実にしか生きることができず、自力で虚実皮膜の夢を観られなくなって、しょうがない映画でも行くかという状態の存在をオヤジとよびたい。
 青年は映画を観に行かなくても生きていけるのだ。

 「キックアス」は、とにかく戦闘少女のかわいさと凄さにびっくりし、こっちを主人公としてもいいくらいだよねと思うけど、やっぱり主人公は「キックアス」になる青年だ。
 あいまいな自分、何者かになりたい自分、それでヒーローコスチュームを身につけてしまうという微妙な青年。
 途中はちゃめちゃの殺人アクションを展開させながら、ヒーローとしての生き方より恋人を大事にする自分、そんな生活こそが愛しいと思える自分になっていく姿を描くという意味で、まっとうな青春映画だ。
 中ぐらいの期待ででかけ、新年早々、映画の楽しみをこれでもかと思いしらされる作品だった。

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新年おめでとうございます

2011年01月05日 | 日々のあれこれ

 昨日、練習開始日の合奏はわたなべ先生にお願いし、駿台教員セミナーで研修。現代文のお勉強だ。
 「大体わかっているけど(答えの)書き方がわからないんです、と言ってくる生徒は、まず間違いなくわかってません。読めてません。書き方の問題ではありません」とおっしゃる先生のお言葉にはげしく同意しつつ、それは自分にもあてはまることだと反省し、もっと読解力をつけていこうと年頭に思った。
 一日遅れで練習に合流。9日にニューイヤーコンサート、16日に新人戦を控えていることを考えると、ぎりぎりの状態だと気づく。
 でも、あきらめず、なげやりにならず、ちょっとでもよくなったら褒める、すぐきれないことを目標にしようと年頭に思ったので、地道に合奏をした。
 帰りの集合では、「宿題をしあげなさい」と年頭のあいさつをさせていただいた。

 おくればせながら新年おめでとうございます。
 20回目の演奏会に向けて地道にがんばっていこうと思います。
 応援お願いいたします!

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