玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

木戸幸一の日記 -その5-

2021-09-20 11:30:27 | 近現代史

寺崎の「御用掛日記」に戻ると、次の行に「木戸日記ハ人ニ見ラレル事ヲ予想シテ書イタモノニ非ズ」と木戸への擁護が続き、更に「今日ハ下手ナ剣客ガ上手ノ剣客(天皇)ニ立チ向ッテル気ガシタ」と寺崎の感想が続く。

何故、天皇が上手だったのか?

実はこの二行の寺崎の感想部分は、私はずっとその真意を捉えることができなかった。

近頃、粟屋憲太郎の云う寺崎英成という人物の捉え方をすると、やっとその真意が読み取れるような気がした。

粟屋に言わせると、寺崎の人物像は柳田邦男の『マリコ』で美化されたイメージが造られているが、実は戦前のアメリカ大使館勤務の頃から既に二重スパイであった、と断定している。

戦後、寺崎は宮内省の御用掛になると、松平康昌ら側近の意向を受けて天皇問題についての占領軍側の確度の高い情報を入手するには、その見返りとして、日本側からの情報提供が必要だった。

その意味で寺崎は格好の人物だった、ということである。つまり、双方に薄々認知されていた二重スパイであった

この考え方に沿えば、天皇は「重光は無罪にしてほしい。木戸の日記は原田の日記より信用しない方が良い」ということを、二重スパイである寺崎に(業と)聞かせた。

天皇は意識して、寺崎の口からIPS(国際検察局)へ報告させることを、自然な会話の中に仕組んだのであろう。

寺崎はいつの間にか、その術中にはまってしまい、初めは「日記は人に見せるものではない」と内心思ったが、そのうちに、これは天皇の依頼事項だと了解した。

そのことを途中で気が付いたから「天皇の上手の剣客ぶり」に降参したのであろう。

以上、確たる出典・根拠はないが、私はそう捉えている。まあ、そのうちに同じ考えの論考に出遭えると思っている。

ここで、一旦「木戸日記」から離れることにしたい。いずれ木戸の日記の「嘘」に触れたい。

では、また、・・・。

コメント
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