結論から言うと、木戸の日記は職場の誰もが知っている所定の場所から、本人が逮捕されることを予測していて、親戚のところに預けていたのである。
答えは、実に簡単であった。『木戸幸一日記 東京裁判期』の巻末の木戸の息子の木戸孝彦が、あとがき部分でこう書いてあった。
「父はいずれ戦犯指名もあることと考え、…日記と手記、等3通を鞄に入れ親類にあたる伊達鉄子方へあらかじめ預けておいた。」とあった。
そしてその後に「父は…容疑の最重点は東条内閣奏請にあるものと考え、私に命じて伊達家より前記手記を持ち帰り、写しを作成せしめたのである。」と書いてあった。
その後、木戸は親戚の都留重人の意見に従い、内大臣が罪を被れば、陛下が無罪になるのではなく、内大臣が無罪ならば陛下も無罪というのが、米国の考え方だと思うようになり、木戸は検察に日記を差し出す決心をする。たぶん検事に好印象を与えるためと思うが、・・・。
息子の孝彦はその決心を聞いて、期間は約1か月間、3回に分けて検察に提出している。
当時は現代のようにコピー機がない時代である。どのように写し本をつくったか容易に想像できないが、必ず写し本を作ったのであろう。
通常は原本を検察に提出し、写し本は手元に保管するのだろう。その写し本が「昭和天皇独白録」作成の際に活用されたと思っている。
ところで、用心深い木戸は自分の逮捕を想定していたのだから、都合の悪い個所を書き換えていたのだろうか?
これは、また次回に、・・・。