先日のデモクラシー・タイムスの番組で、誰かが山口二郎教授に何故枝野はピリッとしないのかというような投げかけをしたら、山口は「彼は愚直に行きたい」にこだわっている、と答えた。
その時の山口の苦い顔を思い出した。
「愚直」という言葉はもう「死語」ではないか。
我々老人世代も使わなくなった。自ら「愚直」と云うのは自分の不器用を美化しているに過ぎない。
枝野のように、いい大学を出て、一応弁護士になって、代議士になって、野党の党首になって、・・・。これって報われているんじゃないの。
一応報われた人間が「愚直」と使うことが、殊更に嫌味にも聞こえることすら、あの男は解からないのか。
それは自分に酔っている愚か者ではないか。
今若い人、壮年期の人が、どんなに頑張っても報われないことがあまりに多過ぎる。
そんな厳しい時代に生きる人たちが最も嫌う言葉が「愚直」という欺瞞語ではないのか。
それが解らない、感じない枝野ならば、彼は単に「愚鈍」な党首であろう。
枯れ向日葵畑