テレビや報道、あるいは論考の中で、業界や自分で作ったカタカナ英語をよく使う人が居る。特に最近の若い学者や政治家さんはカタカナ英語がお好きなようですが、英語が苦手な所為か、こういう人の話はあまり信用しないことにしている。
対応する日本語訳があるならば、ちゃんとした日本語で云って欲しいと思う。
例えば、「モラル・ハザード」と云うと、もうそこには「倫理」自体が消えたような気がしてしまうのです。カタカナ英語の印象のあやしさによって、本来の問題を議論する逃避のような気もします。
例えば安倍のモリ・カケ・サクラが自民党政治のモラル・ハザードの引き金となった、というと、何となく分ったような気になりますが、そこに、本来あるべき政治の倫理感が欠けた、昔ながらの正しいこと、常識的な公正さが通用しなくなった、と云う方がより分かりやすい気がするのです。
カタカナ英語と云うのは、日本語の本来の意味をあえて避けるような気がしてなりません。
同じように「コンプライアンス」という言葉も、「法令順守」の意味で使われていますが、英語の辞書にはcompliance自体は「従う」という意味だけなんでしょ。なんかビジネスの専門書にあるんでしょうが、特に政治や行政においては従来通りの法令遵守、もしくは法令違反で良いじゃないですか。これも本質隠しのような気がします。
そう言えば、カタカナ英語が好きなのは小池都知事でした。先日ブック・オフに行ったら、ベストセラーだった『女帝』が200円で売っていました。出始めの頃は1000円ぐらいだったのですが。彼女の人気がなくなったのか、彼女の生き方が世間的に許容されるようになったのか、ちょっと分かりかねますが、…。
気になる雑草があったのですが、先日「まさブログ」で名前が分かりました。外来種のヘラオオバコと云うそうですね。また来年の春に、この花の名前を思い出すかな。