近頃、寝る前に清沢冽の『暗黒日記』を読んで寝ることが多い。
1943(昭和18)年7月17日、「二七会」をやる。谷川徹三、長谷川如是閑、馬場恒吾、正宗白鳥、等、後に芦田均も来る。・・・防空練習は丸ビルでもある。床に平這いになる。
7月30日、軽井沢の別荘に巡査が来て防空壕を作れと云う、…。
清沢は画一的な警察の指導に不満なようだ。軍国化の情報統制下においては、清沢ほどの人物、また著名な友人たちの情報にも、戦況の実体は伝わっていないのだろう。
この時点で、敵国から空襲が来るという予測、感覚が政府にも、国民にもどの程度あったのだろうか?
アベ・スガの時の北朝鮮のミサイル警報の時、地方では防災頭巾や机の下が推奨されたとか!
これからの台湾有事?では、シェルターですか?
本当に何が必要なのか、その前に官僚答弁の政府や沈黙のマスコミでは国民は困ってしまいます。