永井荷風の日記の中に「町の角々ニ疎開勧告ノ触書出ヅ」と1944年3月の欄外に書かれている。そして4月、「俄かに「疎開」の語を作り、…」と述す。
「疎開」という語は明治22年出版の『言海』には無い。『漢辞海』には「疎=疏で、意味は、わける、疎んじる、荒い…」等がある。「疎開」の熟語の意味は書いていない。
荷風の云うように政府の作った造語かもしれない。
一番新しい『広辞苑』では、「空襲・火災などでの被害を少なくするため、集中している人口や建造物を分散すること」とある。また「戦況に応じて隊形の距離、間隔を開くこと」という軍隊用語がある。
たぶん都市の空襲による被害を想定し、ヒトを分散して疎にすることなのだ。
此処には一片の人権意識もない。単にヒトという戦争に協力する道具があるだけである。
自民党の憲法草案には、なぜだか「個人」ではなく、「人」となっている。