玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

残虐非道な産業

2022-03-24 17:36:37 | 時事

ヒトの不幸や惨事をタダで原材料として集めて、それを加工して、時には広告まで張り付けて売り歩く産業があるとしたら?

実はマスコミがそうなのである。マスコミは災害や戦争がご馳走なのであろう。特に戦争はとりわけ報道商品として美味しいのであろう。

何よりもコロナの医療崩壊の惨状は告げずに、もっぱらウクライナの戦争ニュースばかりで、内容はどこも同じで、コメンテーターはさすがに芸人を使えず、かといって、俄か仕立ての専門家も数が少なく、大部分が薄っぺらな内容だが、それでも外国の惨事をタダで情報商品として貪欲に儲けようとしている。これが残虐非道なマスコミ産業、または、メディアである。

この国では、「政・官・財」の癒着と云うが、言っているのはマスコミなのだが、よくよく考えてみると、安倍政権以降、マスコミやメディアも政権にべったりと癒着しているのではないか!その元締めが、テレビ・新聞の広告を牛耳る電通で、また5千円の年金生活者へのバラマキ給付とかいう自民党は、電通・パソナに法外で多額な委託費なりの商売を提供するのか?まさに電通は自民党の下請け会社か公共事業のようだ。

我々はコロナに怯えながら、政・財・官・メの4者の癒着構造の税金無駄遣いにも気を付けねばなるまい。

小麦が高くなって、パンが買えなくなったら、…。そうだ、米を食おう。

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『永続敗戦論』-2-

2022-03-23 10:47:58 | 

白井聡は1977年生まれ、全く戦争とはかかわりのない時代に誕生しているが故に、この本は二次資料を骨格に組み立てられている。それだけに、昭和を生き、悩んだ人たちの言葉がそれぞれに重い。その中にあって、彼自身の『永続敗戦』を語っている。

彼は、憲法改定にあたって、福田恆存の「単独防衛の可能な国は米ソ二国に過ぎず、戦後世界においては戦前のような意味での独立国は存在し得ない。9条の改定は旧来の意味の主権回復にならない。」と引用している。

又、江藤淳の「押し付け憲法を斥けることにより交戦権を回復し、それにより本来の主権国家たることを通して米国と対等の関係に立つ。」を引用する。

―これは案外、多くの人は江藤の考えに共鳴してしまうが、昨今のウクライナ戦争を観れば、福田の言う現実性、事実性に重みがあると私は思う。

また白井は、「戦争は日本の敗北で終わった。「敗戦」を「終戦」と呼び換えるという欺瞞によって、戦後日本のレジームの根本が成り立っている」と。

―私もそのように思うが、確か、小堀桂一郎は1945年9月2日の降伏文書調印を「ポツダム宣言の延長線上ある停戦協定に調印」と云ったのには仰天してしまった。ポツダム宣言の英語原語の意味は『ポツダム降伏宣告』だと思うし、実際に調印した文書はINSTRUMENT OF SURRENDERとなっていた筈だろう。それでも停戦というヒトがいるとは、・・・。(引用先:小堀桂一郎編『東京裁判日本の弁明』講談社学術文庫)

次に白井は、ポツダム宣言受諾に際して指導者層が譲らなかった条件が「国体の護持」だった、という。そして永続敗戦は戦後の国体である。「戦争は負けたのではなく終わったのだ」というレジームの寄与したのは戦後の繁栄である。我々は負けていないと大衆に刷り込み、自らの戦争責任を回避した張本人の後継者の存在がある。このレジームは日本の親米保守勢力と米国の世界戦略によって形作られた。その中核に日米安保体制がある、と言う。

そして白井は、第二次安倍政権は、1993年「従軍慰安婦問題河野談話」1995年「植民地支配と侵略についての村山談話」の見直し、新見解を打ち出したが、米国メディアの厳しい批判を受けた、と紹介し、そして日本の近過去を「日本は敗戦・侵略・植民地支配の対する反省が不十分、或いは、かつて国家を戦争と破滅へと追いやった勢力の後継者たちが、綿々と権力を独占してきた」と捉えた。

―果たして、自民党の2世3世議員たちの一党永続独裁体制は、この国の政治においてどれ程の有利性や実効性があったのだろうか?、と私は問いたい。

太平洋戦争は、五大国の一つという誇りばかりが空回りして、アジアの小国が真珠湾に腹切り攻撃をしたように、その時の愚かな指導者たちの末裔がまたもや同じ穴にはまり込む。

かつてのGDP世界第2位の経済大国がモノづくりに異常な誇りを持ち、カラ国債を刷るだけ刷って、その永続的経済成長という幻想世界に嵌まり込むアホノミクスが、何を隠そう真珠湾攻撃と同じ腹切り行為ではないのか。

ここまでくると、日本の近代化という明治維新そのものがどこか変てこな紛い物になってくる。

そういえば、名前だけだが、丁度維新とかいう党が持て囃されているらしいが、そんなこんなで、今やこの國は何一つ真面で地道なものがない上滑りの嘘で塗り固めた統計上の先進国に成り下がろうとしているのではないだろうか。

(一応終了)

 

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『永続敗戦論』-1-

2022-03-22 12:26:24 | 

この本は、このコロナ下で読んだ中で、一番印象に残った本であった。定年退職後に近年の思想動向を観ようと若手の本を少しばかり読まさせていただいたが、例えば、東浩紀、萱野稔人らの偏差値の高みからの思想世界に比べて、白井聡は、年寄りの少しボケた私にも解りやすい言葉で語ってくれたという印象だった。

白井は、K・ウォルフレンとの共著で出した『偽りの戦後日本』角川学芸出版の中で、たまたま自らの『永続敗戦論』について、次のように語っていた。

東西冷戦が西側の勝利に終わったことで、日本は勝者の側に立った。しかしそこから日本の負けが新たな始まりとなった。白井がこの言葉を思いついたのは、加藤典洋の『敗戦後論』からだと云う。

加藤はその本の中で、「敗戦」を「終戦」と言うことが、日本とアジア諸国とうまく行かない原因になっている、と云う。白井はそれを発展させて、『敗戦後』という時代は存在しない、今でもアメリカの属国状態が続いている。

いくら政権交代してもしょうがない。結局はアメリカの認める範囲でしか政策の選択肢がない。(⇒鳩山政権の崩壊)ということは、敗戦の状態がずるずると続いていることに気づいた。

以上が、著者自身のこの本のレビューと云うことになろう。

―実は、私も同じような考えを持っている。しかし、今はアメリカの属国ではなく、紛うかたなく、(精神的な)植民地となっているような気がしている。

特に最近のことで、山口、沖縄のオミクロン株の放出を当然とする駐留形態(所謂「地位協定」)に何一つ抗弁できない哀れなみっともない政府、しかも外相出身の首相でもあるにもかかわらず、自らの出身の広島が侵されているにもかかわらず、一切口を噤んでしまう状況を見て、この国の心的な病理は深いと思った。

この國は民主国家である前に、実のところ主権国家でもないことがよく判った。(続く)

 

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アベ感染症

2022-03-21 11:08:20 | ブツブツ

クロダ日銀総裁はまだ黒田バズーカにこだわっている。別に確たる理由があるなら良いが、結局、アベノミクスは成功しなかったし、これからも成功は見込めないのではないのか。

まさかクロダはアベに操を立てているのか、それとも自らの経済政策の失敗を認めたくないのか。どう見てもアベノミクスの結論を述べる時期であろう。

小人物なのに、妙に太々しい態度が気に掛かる。そういえば、もっと無理して太々しい顔を造っていた人物が居た。

それはサガワ君だ。

彼は退職金をもらえたのかな?公務員として絶対にやってはいけないことを彼はしてしまったのに、…。彼は左遷を恐れず公文書の改竄をしなければ、一人の人間は死ななくて済んだろうし、アベの政治生命はもっと短くなっただろう。どちらが良かったのか歴然だ。今から懺悔したところで、今度は自分の命の保証もないだろう。

愚劣で大義のない嘘は、墓場まで持っていく程のモノとは到底思えない。彼は出世した役人かもしれないが、どうも生き方を間違えたようだ。

近頃、つくづく感じるのは、社会の不思議な歪み型だ。これがアホらしい「戦後レジームからの脱却」ではあるまい。この國はどうも本当におかしくなってしまった。

特に頭から、いや頂上から腐っている。真面な政治家、社長、偉い人が全く見つからない。

ハンナ・アーレントは「凡庸な悪」と言ったが、アベは「姑息な悪」と云うしかない。自民党ばかりか、野党も、官僚も、財界も、そして、若い人たちもみんな歪めさせてしまったように見える。彼こそが戦前から冷凍保存された「周到な嘘」という感染症ウィルスを持っていたのかもしれない。

どうしてこうなったのか?

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青い影

2022-03-18 18:55:40 | 音楽

いつもようにABBAをYouTubeで見ていたら、次に、プロコル・フォルムの「青い影」が出てきた。ふとダンシング・クィーンが1976年リリースであることを確認し、序に「青い影」が1967年であることを知った。

この曲は我々の世代のダンパの最後の曲だった。当然に英語の歌詞だが頭の隅に残っていたが、何時も大きな棘があって、その意味が解らなかった。

曲自体はけっこう荘重な伴奏なのに、妙にエロイのだよね。

それで歌詞などどうでも良いと、意味が解らない儘に来た。

一番難解なのが「寝取られた粉屋の話をすると、…」、だが、つまりは「粉屋の若い妻に浮気された話の譬え」であることが判った。

これですべての意味が分かってきた。嬉しい、この世におさらばする前に、不可解な歌詞の内容が実によく呑み込めた。

お暇な爺さんでこの曲が好きな人は、ネットで調べることをお勧めします。

ところで、この曲はジョン・レノンも、松任谷由実も、山下達郎も好きだと云うのは同時代を生きたモノとしてとても嬉しい。

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