小松菜のなれの果て、小松菜の花 スナップエンドウの真っ白い花
春は出会いと別れの季節とは誰が言ったか知らないが、まさしく言いえて妙である。
我が家の借り物菜園でも、冬物野菜の主としてさんざん栄養補給をしてくれた小松菜が、いま見事に菜の花を咲かせている。隣では、これから実をつけるスナップエンドウの真っ白い花の盛りでもある。
春うらら、こんな季節に、90歳を過ぎても元気で独り暮らしを頑張っていた、母方の従姉から「九州の息子の所に行くことになった。長い間お世話になりました」とお別れの挨拶をもらった。車で30分くらいの田舎に住んでいて、ご主人健在のころには沢山のポインセチアを育てていて、クリスマスの鑑賞品として何度ももらい受けたこともある。若いころは夫婦とも裁判所勤務という、仕事はお堅いが非常に二人とも穏やかな人柄で、いとこの中でも特に親しいお付き合いのあった人である。
寄る年波には勝てず、彼女も息子の言う通りに九州へ行って近くの施設に入るとのことだった。彼女自身がサバサバして息子の勧めを受け入れ、独居を押し通すのは我がままだと理解していたのだから問題ない。
どちらかが一方的に我が意を通そうとすると、結果的に同じことになったとしても不幸を感じる危うさがある。互いに理解し合えばバラ色になる。微妙であり難しいものだね~と、近い将来の自分たちの立ち位置に思いは重なる。
また一人、身近な人が遠くに去った。遠くとはいってもこの世にいてくれる間はいい。ただ淋しいのは、遠くに行って、次に本当の遠い黄泉の国へ行ったときは知らされないことが多いということ。それもまた自然の理、知らぬが仏ということわざもある。いまはただ、元気に楽しい施設生活を送ってね、ということか。