「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「葉の色は移りにけりな・・・」

2025年03月24日 | つれづれ噺

  
    小松菜のなれの果て、小松菜の花           スナップエンドウの真っ白い花

春は出会いと別れの季節とは誰が言ったか知らないが、まさしく言いえて妙である。
我が家の借り物菜園でも、冬物野菜の主としてさんざん栄養補給をしてくれた小松菜が、いま見事に菜の花を咲かせている。隣では、これから実をつけるスナップエンドウの真っ白い花の盛りでもある。

春うらら、こんな季節に、90歳を過ぎても元気で独り暮らしを頑張っていた、母方の従姉から「九州の息子の所に行くことになった。長い間お世話になりました」とお別れの挨拶をもらった。車で30分くらいの田舎に住んでいて、ご主人健在のころには沢山のポインセチアを育てていて、クリスマスの鑑賞品として何度ももらい受けたこともある。若いころは夫婦とも裁判所勤務という、仕事はお堅いが非常に二人とも穏やかな人柄で、いとこの中でも特に親しいお付き合いのあった人である。

寄る年波には勝てず、彼女も息子の言う通りに九州へ行って近くの施設に入るとのことだった。彼女自身がサバサバして息子の勧めを受け入れ、独居を押し通すのは我がままだと理解していたのだから問題ない。
どちらかが一方的に我が意を通そうとすると、結果的に同じことになったとしても不幸を感じる危うさがある。互いに理解し合えばバラ色になる。微妙であり難しいものだね~と、近い将来の自分たちの立ち位置に思いは重なる。

また一人、身近な人が遠くに去った。遠くとはいってもこの世にいてくれる間はいい。ただ淋しいのは、遠くに行って、次に本当の遠い黄泉の国へ行ったときは知らされないことが多いということ。それもまた自然の理、知らぬが仏ということわざもある。いまはただ、元気に楽しい施設生活を送ってね、ということか。

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「手紙文化よ どこへ」

2025年03月23日 | つれづれ噺

   
      間もなく出番が 膨らむツボミ         そろそろ終わりが近い寒アヤメ 花盛り

約136億通、この数字はいったい何でしょう。なんてクイズを出すわけではありません。
2023年度の郵便物の総量なのだそうな。それも、ピーク時から比べると約半数に減ったのがこの数値というから、如何に郵便物の往復書簡が大繁盛した時代があったかという話である。そんな中に、忘れそうな大昔に書いては送った、幼い拙い、恋文と呼ぶにはあまりにもお粗末だったあの頃のあの手紙も、数百億通の1枚に数えられたのだろうね。その前に、友達の代筆をずいぶん頼まれた時期もあった。
書いてはみたものの切手も貼らず投函もせず、ごみ箱に落としたものもあったね~。

ここ数年は年賀状の落ち込みに代表されるように、郵便物の減量ははなはだしい。それに逆らうわけではないが、葉書だけは今もってせっせと書いている。はがき随筆252字の虜はしばらく続きそうである。
郵便物と公衆電話ほど目の前から消えていった、大切な通信手段はない。ただそれに代わって数倍も短時間で、音信という大切なことが足りる手段が身の回りにあふれている。ラインなどというお知らせ手段は、ごく簡単な文章を入れてポチッとしたら、瞬時にグループ登録者に一斉にお知らせが飛んでいく。あまりにも便利すぎて、お知らせを受け取った方も送った方も有難味が薄れてしまうような気がする。でもこれが現代のフツーなのだから、精いっぱい追いかけないとね。

それにしても、手紙文化、封書文化は残していきたい。ないものねだりかもしれないが、今も押し入れのどこかにセピア色に変わった大昔に受け取った封書の1枚もの残っているかもしれない。ないかもしれない。

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「放送記念日」

2025年03月22日 | ニュース・世相

                    
                 日本放送協会に納められたラジオ  

日本の放送は1925年3月22日、東京放送局のラジオ仮放送で始まった。とある。
アナウンサーの第一声に続き、海軍による演奏そして東京放送局総裁後藤新平氏が、文化の機会均等などラジオの機能を説明した。そんな歴史や物語を秘めて始まったラジオ放送。

昭和20年代のラジオは、演芸・スポーツ実況・ニュースなど、内容が盛りだくさん。まるでなんでも出てくる音の魔法の箱のように、鴨居に棚を吊って私たちの頭の高さより高い位置に置くべき、大切な物であった。
親父の大好きな浪曲夜話、上方演芸会、花菱アチャコと浪花千恵子の「お父さんはお人よし」などは必死に耳を傾けたラジオ放送であった。

そしてテレビ放送が始まったのは1953年、昭和28年。まさにラジオの全国放送が始まってテレビの映像放送に移るまでに28年間を要している。放送界をはじめ映像化学など一連の分野が、どれほど多くの力を寄せ合い出し合って、現在のテレビ文化の先駆けになったのだろう。そんな思いが頭をかすめると、その道のプロとして先陣を切ることの尊さを思い知らされる。

放送開始から100年か~。生まれる17年前には、東京でしゃべる言葉が全国に流され、蒸気機関車の蒸気を吐き出す音や汽笛が遠い山奥にまで届けられていたのだ。もう少し長生きしたらどんな新しい発見を見せてくれるのだろうか。やっぱりNHKバンザイだね~。受信料払ってみんなで放送界を守ろうや。

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「春を分かつ日」

2025年03月20日 | 思い出話

                 
                    花咲く日を待つイトスイセン

暑さ寒さでお馴染みの春を分かつ日。牡丹餅のパックとお花を買って、先祖代々のお墓の前で手を合わせた。
それこそ数えるほどしか出向かないお墓ではあるが、お盆前の墓石磨き・草取り・清掃だけは欠かしたことはない。そんな無精者の私でも、手を合わせて帰る道すがら、気持ちがす~っと軽くなるのを覚えるのが何とも心地いい。^^♪ そこにわたしはいません、ねむってなんかいません、千の風になって・・・♪などとは言わないおふくろとおやじ、よ~来たの~と言ってくれるに違いない。

30年前の今日、東京の地下を走る鉄道3路線の電車に、猛毒のサリンが撒かれ、多くの死者や数えきれない負傷者を出した「オウム真理教」による東京地下鉄サリン事件の当日である。本社勤務を命じられて、生まれて初めて親元・故郷を離れて一人暮らしをしていた東京での出来事。朝の通勤に東京メトロで渋谷に着き、そこから地上を走る山手線で有楽町へ。同じ通勤時間帯に犯行があった地下鉄に乗り合わせなかったラッキーは、見えない糸であの世の父と、現世の母がまもってくれたのかもしれない、などと30年たった今そんな縁を思い返している。

そして同年の阪神淡路大震災も忘れてはならない大惨事であるが、ハルマゲドンなどと勝手なことをののしって最終戦争後の理想郷を求めるという、人類を破滅させる宗教活動を展開したオウム真理教。こんな無謀な洗脳活動がまかり通る世の中を再現させてはならない。風化させてはならない一大危機である。みんなが賢くなって、無法に早く気づき危険を予知できる人間社会になることを願いたいものだ。

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「清楚に力強く」

2025年03月19日 | 季節の移ろい・出来事

                                             

逆戻りした寒さのなか、華やかにそして清楚に、艶やかさの中にキリリと張り詰めた空気感。
短大の学位記授与式にお邪魔した。幼児教育課程を修了した50人の卒業生。そのうち47人が女性。その大半が思い思いの振袖に袴姿も凛々しく、靴音を鳴らして壇上に立つ。

過去に何度か学位記授与式に侍ったが、今年ほど艶やかな振袖袴姿に目を奪われたのも珍しい。
そしていつも思うのは、こんな華やかな場で素敵な送辞・答辞を述べる学生に思わず拍手を送りたくなるが、厳粛な儀式だけにそれは許されない。これがアメリカ方式だったらどうなんだろう。涙を精いっぱい押し殺して、教職員に対してあるいは後輩へ保護者へ切々と訴える感謝の言葉、未来への決意を語る晴れ姿。間違いなく感動シーンである。
日本式ではシーンと静まり返るが、本場アメリカ会場だったら大いに湧き上がるんじゃないだろうか。
まあそこは国民性というか、厳粛を優先する日本には日本ならではの良さがあるということか。

かれこれ4週間前から咲き始めた我が家の寒アヤメ。寒さの中で清楚にして凛々しく咲き続ける姿が、今日の学位記証書を受け取る袴姿に重なった。
明日はお彼岸の中日。暑さも寒さもこの日を境に好転する。そんな期待を込めてカイロを貼ってお墓参りしよう。

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「球春到来」

2025年03月18日 | スポーツ・観戦

     
  

日本全国高校球児のあこがれ「春の選抜高校野球」が甲子園球場で始まった。
夜の東京ドームでは、6年ぶりという日本でのメジャーリーグ開幕戦。大谷翔平に代表されるドジャース対鈴木誠也・今永投手を擁するカブスの公式戦が行われている。
高校野球ファンにとってもプロ野球ファンにとっても、たまらない季節到来。人呼んで『球春到来』。

メジャーリーグでは特にひいきにしているチームはないが、全体的に日本人選手の活躍を心から応援している。そんな中でもやはり大谷選手、鈴木誠也選手らにはどうしなくても目がいってしまう。
そして今、開幕に備えてオープン戦を戦っている広島カープが気になっているのは言うまでもない。一進一退イマイチ強さを発揮できていない現状に、ちょっと首を傾げたりしている。

甲子園の選抜大会も、一度見始めたら限りなく見てしまう魅力がある。そこには負けて涙、勝っても涙の青春がぎっしり詰まっていて、プロ野球とは違う野球の面白さがある。
そしてこの春から、我が家一族の中で誰も経験したことのない高校球児が誕生する。彼自身もそうだが、ジジの方がもっと熱くなって夢を追いかけることになる。
3歳から、片足上げてビニール製のカープバットを振りまわしていた、すぐ近くに住むあの孫君である。

決して強いとは言えない高校からのスカウトに応じて「オレが3年になる頃には市内のどの高校にも負けないチームを作る」と。その意気やよし。
中学校のチームメイトの一人は、県下でも強豪と言われるチームにスカウトされた。仲良しの二人がやがて県大会で顔を合わせることにでもなれば・・・たらればの話はよそう。夢のまた夢としてとっておくのがいい。

何がどうなるか分からない彼らの世界。元気を保ってできるだけ長く応援をするのがジジのノルマである。

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「春分ける日を前にして」

2025年03月17日 | 季節の移ろい・出来事

                  

三寒四温とは、冬から春に移りゆく日々の中で、三日寒い日が続いたら四日温かい日がやって来る、そんな状況を言うと思っていた。実はこの三寒四温とは冬の言葉なのだそうな。 本当の意味は「いくら冬と言っても三日間寒かったら四日間は温かい日がある」というのが本当だと。目からうろこは私だけかな?

でもやはり春分ける日を前にした寒さ・温かさのサイクルは三寒四温。やはり春の言葉だよね~、と逆らってみたくはなるが、元々冬の寒さの変化を言い表したものというから、逆らわないでおこう。
そして春分ける日、つまり春分という言葉の意味がまたむつかしい。地球は1年の周期で太陽の周りを公転しており、この太陽の年周運動を天球上で表したもの、太陽の通り道が黄道という。黄道と天の赤道は天球上の2箇所で交わっており、春分点は太陽が天の赤道を南から北へ横切る点で、ここを通過するのが春分である。と説明されているが、天文学に疎い私などチンプンカンプン。読めば読むほど分かりにくくなり、子どものころにあれこれ想像したことが全部壊されそうなので、これ以上深入りは止そう。

まあそんなことより、暑さ寒さも彼岸までと言われる春のお彼岸を前にした、時ならぬこの寒さにご用心。
花粉に黄砂まで混じって空気は薄汚れている。風邪ひきさんにとってこんな空気は大敵、鼻炎や副鼻腔炎を増長させる。風邪は万病の元と言われる一つでもある。先ずは風邪をひかないこと。
これは誰に言うわけでもない。強いて言うなら、自分自身への戒めである。厳しい鼻炎にひっきりなしのくしゃみ。体力消耗を強いられる。

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「断て 特殊詐欺」

2025年03月16日 | ニュース・世相

 『銃殺恐れ詐欺に協力』

「ミャンマーから帰還の中国人」 こんな見出しが躍る新聞紙面。
いま盛んに報道されるミャンマー犯罪組織拠点から発せられる、特殊詐欺の複雑巧妙な手口。
騙されてキャッシュカードを渡したり、大枚の現金を見も知らぬ他人に渡しておいて、家族や警察に相談して詐欺にやられた事実を知り呆然とする。こんな構図を聞き飽きるほど耳にし、イヤになるほど目にしてきた。それでもこの犯罪は手を変え品を変えて、益々劇場化、巧妙化して私たちに迫って来る。

犯罪拠点には1400人ほどの男女が監禁されていて、朝から晩まで電話をかけまくる「かけ子」として働かされる。仮想通貨を売りつける詐欺の実績が上がらない仲間は、夜に入って𠮟責の殴る蹴るの暴行を受ける。いたたまれなくなって逃亡を企てたら銃殺される。こんな無法が今の世の中にまかり通っている。だから詐欺犯罪は簡単には減らない。どうすればいいの?

徹底して私たちが被害者にならないことに努力する。これしかない。騙されては彼らのもとにキャッシュが転がり込めば益々増長するばかり。「断て特殊詐欺」の決め手は、電話の話のキャッシュカードだの、儲け話や名義貸し賠償だの、現金を動かす話には乗らない、聞かない、付け込ませない。いち早く周りの誰かに相談する。

それでも巧妙な手口に乗りそうになる。「つい近くで外壁塗装工事をしている者ですが、お宅の屋根のこの部分が気になりましてね」とスマホで撮った写真を見せて「明日の昼私が屋根に上がって点検しましょう、点検料は5000円でいいですよ」と。「へー築30年、そろそろガタが来るのかー、5000円の点検料なら」などと同調するととんでもない話。あそこが痛んでいる、ここが腐りかけていると法外な点検料・作業料を吹っ掛けられる。「我が家の点検は〇〇工務店に全て任せてあるから結構」ときっちり断ること。とにかく点検などさせないこと。断り切れる私たちの勇気と、すぐ誰かに相談する臆病さが、詐欺グループの収入源を断つことになる、んじゃないかな~。どうじゃろう! 点検料5000円に引っ掛かりそうになったのは私でした。

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「気持ちほんわか」

2025年03月15日 | 地域活動

                

外は冬の雨まだ止まずこの胸をを濡らすよに……。冬の雨ではないが、温度が上がらない初春の冷たい小雨が降り続いた一日。
30年前には、東京霞が関駅を舞台に大量殺戮が計画された「オウム真理教、地下鉄サリン事件」発生。単身赴任の出勤に東京メトロに揺られて、渋谷駅に着いて肝を冷やした体験を思い出す。 

そんな今日3月15日は、冷え込む世間をよそに、ほっこり心温まる仲間内の小さなお別れ会であった。
定年退職後小休止して、再び元の会社から声が掛かって5年頑張った。後輩に道を譲るために退職した67歳から始まったのが「広報部担当」というボランティアの地域活動であった。

A-4版4ページ構成で、1年間に3回発行の地区社会福祉協議会の広報紙である。私たちの地区社協は自主財源を持たない、営利活動はご法度の、純粋な社会福祉活動であり、運営費用は地域住民の芳志、いわゆる寄付金を基本にしていた。従って、広報紙の内容も私たちの活動が目に見える形で住民の皆さんに届けるよう努力したと自負している。
1年に3回発行なら大したことない数字ではあるが、活動現場には常に取材と写真撮影が欠かせない。つまり新聞記者と同じで『常在現場』が必須、「ちょっと待って」が利かない。

そんな調子で男女合わせて7人がチームを組んできた。そのうちの一人、長年頑張った部長さんがこのほど引退することになった。そりゃ無理をすればまだ少しできるかもしれない。それではいつまでたっても後輩が育たない。「ここらが潮時」と決め、他の6人と相談し納得の上で身を引くことにした。
黄色いバラをあしらった素敵な花束を送られて、気持ちほっこり笑顔のお別れ会をしたという次第。
カミさん手製の郷土料理「いわく寿司」と「豚汁」を味わってもらったのもよかった。

正式には5月の総会までの任期ではあるが、これからは申し送りという大切な作業がある。立つ鳥後を濁さないよう勤め終えたい。ご苦労さん、新部長さん。お疲れさん、旧部長さん(笑・笑)

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「アンタもか」

2025年03月14日 | ニュース・世相

           

来年度の予算案が年度内に決まるのか決まらないのか。春闘の平均的賃上げ結果がどのように落ち着くのか。
そんなお金の話が世情のニュースを牛耳っているときに、またぞろ権力者が若手議員に商品券を提供するという性懲りもない、お金にまつわる疑惑が勃発。現職の総理大臣の椅子を揺るがしかねない、忌まわしいお話。

世の大中企業が政策の行方を考慮して大幅な賃上げに傾いたという、庶民にうれしいお金の話なら我慢が出来ようというものだが。
理由が何であれ、新人議員に手土産替わりに10万円の商品券配布は豪儀だねー。何の思惑もないのに10万を手渡せる金銭感覚のマヒが、庶民感覚とかけ離れていること。それでなくとも政権交代さえすれば全て世の中がうまくいくという錯覚を持つ政治家集団の攻撃の的となったこと。ややこしいねー。

こんな時思うのは、予算委員会をこじらせ、新年度の予算案成立が遅れれば、災害復興の進捗にも影響が出かねない。ということは誰が困るのか。政治家は自分の主張するところを突っ張っていれば名前は売れるかもしれないが、生活に困るのは国民なのである。国民の生活を最優先しない先生方は本当の先生方なの?素朴に思う。

一方で今年の春闘の回答をみていると、昭和40年代半ばを思い出す。池田隼人・所得倍増論。田中角栄・日本列島改造論。その後のバブル期を謳歌した青春時代の話はまた改めることにしよう。
汚れているのかいないのかは別として、手土産替わりの商品券と同じ土俵で語るには少しもったいない気がするんだね~。

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