「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「地域活動、設立20周年」

2025年02月22日 | 地域活動

    
                 

            

2005年、平成17年4月に設立された我が住む地区の社会福祉協議会。
法人格を持たない、営利を求めない、高齢者に優しい町づくり、など数々の理想を掲げて、反対勢力を説き伏せてスタートしたのをはっきりと思い出す。

「自治会連合会があるのだから、福祉協議会など必要ない。必要なら自治会活動の範囲を広げればいい」などの頑固な反対派と賛成派が対峙する地区社協設立委員会。その議長を仰せつかったのは若干?62歳の春だった。自治会長や地元有志を一堂に集めた会合は「今夜はどうしても設立に向かう方向で」という密約とまでは行かないが、地元有志の懇願を背負わされた議長職であった。なんでそんな大役をあの若さで仰せつかったのか。それほど人材に貧した地区だったのだろう。その翌年何とか船出をして20年の歳月が流れた。

地域住民に支えられ、この20年間の活動の原動力となる資金を提供していただいた、おじいちゃん・おばあちゃん・おじさん・おばさんに、感謝と報告の義務を背負った写真集づくり。これまで撮りためた数百枚の写真からえりすぐった写真集として20枚のパネルを作り上げた。そんな写真集をお披露目し、感謝の気持ちを捧げる記念イベントを今日催した。一つの大きな節目を迎えたが、さてどれほどのお役に立てたのだろうか。
今や最年長のいたわりを受ける年齢になった。

今回の写真集も、広報担当16年、3台のカメラを駆使してこの手で現場に赴いて取り重ねたものがほとんどであるが、それもこれも元気で、好奇心旺盛にあちこち走り回れたお陰である。
その粘り強さと小まめさを兼ね備えたフットワークに自信が持てなくなった。今回の20年という節目が、何かを考えるにはいい潮時かもしれない。楽しい地域活動であったから続いたということなのだろう。

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「ちょっと、興奮」

2025年02月21日 | 読書・映画・観賞

    

昨日2月20日、待ちに待った「NHK新BS日本のうた」という人気番組の収録を一般公開するステージ
を観てきた。演歌大好き人間にとってはたまらないご機嫌な100分であった。
坂本冬美・鳥羽一郎・夏川りみ・竹島宏・辰巳ゆうと・一条寛太・STUフォーテイエイトなど、総勢11組のメンバーが29曲を熱唱。1000人収容できる広くて高~い天井の素晴らしい音響の中で、腹の底に響くような歌声を聞かせてくれた。あの音響にあのマイクのボリュームで、好きな歌を思いっきり歌ったら、いったいどんな気持ちんなるんじゃろうか、味わってみたくなる。さぞかし気持ちいいだろうねぇ・・・。

申込の抽選倍率はなんと13倍ということで、改めて今回ばかりは運の良さを喜んでいる。しかも座席がまたラッキーで、前から14列目、顔立ちも分かる位置。しかもステージを真正面から撮るテレビカメラの前列。カメラ前にお客が来ないように荷物で遮断された右側の席。左側には他の人が来ないという、特等席に恵まれた。えかった、実にえかった。夜桜お七も涙そうそうも生で聞けた。

人が喜ぶ話はブログの世界ではタブーであることも心得ている。喜んで読んでくれる人などいないと分かっちゃいても、あの興奮はやはり誰かに聞いてもらいたい、現場の状況を聞かせてあげたい、などと思ってしまう。大きなお世話を承知のうえで。
帰りが遅くなるので、知らない夜道を嫌うカミさんの言い分を聞いて電車で行くことにした。山陽本線40分の電車旅で下松駅に到着。歩くこと約20分、とてつもない大型スーパーの屋根続きにある下松市民文化ホール。

ひところは財政ひっ迫で市政運営が危ぶまれた時期もあったが、やり手市長の長期政権が市民の団結を呼び、見事な都市型町づくりが成功している、
興奮のステージを終えて、再び暗い寒い夜道を駅まで歩くのかと気が重くなりかけたところへ「迎えに来ているよ」と娘からの電話が。これもまたラッキーに恵まれて、寒い目に会うこともなく直行でご帰還。
有難いいい一日に、どっちを向いて感謝しようか。東西南北全てに感謝でちょっと興奮の一日を終えた。

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「癒しの長電話」

2025年02月18日 | つれづれ噺

                

昨日は国立医療センターで定期検診、今日は医師会医療センターで点滴。二日にわたって半日を病院通いに費やす忙しさ。
そうやって何とか健康イチバンを保たせてもらっていることを思えば、待たされるだの、病院にかかるトータル時間がもったいないなどと大口は叩かれない。と分かっちゃいても時々横着を言う。

やっとの思いで点滴を済ませて帰ったらカミさんは電話中。相手は私の妹で義理の姉妹が長い長いお話中。内容は、妹の旦那が心臓の血流を促す治療で、8時間に及ぶ大手術をした。手術室から出てくまでの気持ちの揺らぎや、最悪をも覚悟した様子などを、私の代理として長々と妹の話しを聞いている。幸いにも二人は同い年で、近ごろの旦那の好・不調はお互いの共通の苦労話。なかなか終わりそうにはない。

病院帰りで「オイ、コーヒー」と言いたいところだが、話の内容をある程度察知しながら長電話が終わるのを待つ。妹の旦那も私と近い年ごろ。かつて単身赴任が長かったこともあって、料理もできるし何かと小まめな義弟で、妻の立場からの旦那評価としては私などよりはるかに高得点であった。義弟も私も押し寄せる年の波にはなすすべなし。せめて奥さん同士が、互いを気遣い癒し癒されながらの長電話は、邪魔くさい存在ではなく、むしろ歓迎とすべきなのだろう。

それにしても「長電話」といえば固定電話を想像するアタシも古い人間だよねー、今はスマホだもの。

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「月曜日の病院」

2025年02月17日 | つれづれ噺

             

手術後9か月目の定期検診で、月曜日の今日11:00の予約で、岩国では最も大きな部類に入る国立病院機構岩国医療センターに出かけた。どっこの病院も同様に月曜日は患者の数が多い。待たされそうだな~というイヤな予感が、入り口ドアから一歩足を踏み入れたとたんに的中。カウンターフロアがある2回ロビーは長蛇の列。

10時半を回っている時間帯という不運もあって、診察を終えて書類を手に持った計算受付に並ぶ人。もう一塊の団体は、計算受付を済ませて支払い窓口から呼ばれるのを待つ人の群れである。なんであんなに時間がかかるのだろう。この人工頭脳万能な時代、しかもそういった先端技術の宝庫でもあるべき大病院のフロントが、待たせることは自然の理とでもいうように待たせる。具合が悪くて病院に来た患者を、一刻も早く我が家に戻らせるのが責務ではないのか。長時間の待ち時間に耐えられる元気な人でなければ病院に来られなくなる。そんな落語のネタになるような話は、科学技術の先端を走るはずの大病院には要らない。

注射もできるが、診療報酬の計算もできる。そして長蛇の列から患者を守るような二刀流の看護師さん養成はできないのだろうか。計算に強い人を多く雇いすぎると肝心な医療体制が脆くなる。逆に事務職ばかり多くなると経営は苦しくなる。臨機応変に看護師制服を着て計算や支払いのフロントに立つ。医療事務を職とする人に看護職もできるようにすれば、患者は助かる。でもそんな二刀流を提案すれば誰も求職してこないかも。

できれば月曜日の病院は避けたい。でも週に3日通院があると、曜日など言っていられない。曜日関係なしに待ち時間が少なくなる大病院の出現を待ちたい。ちょっと間に合いそうにない話題になっちまったね~。
それよりも、前立腺がん除去手術から9か月目の検診で、尿検査・血液検査ともに満点。安心してください。との医師の宣言が腹ペコのお腹に心地よくしみた。

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「花のいのちは」

2025年02月16日 | 季節の移ろい・出来事

    

今を盛りに深紅を誇る花もある。あれ~っという間に、吹き来る風のいたずらに、蜜を求めるヒヨドリのいたずらに、心ならずも散りゆく花もある。まさに花の命は短くて・・・などと柄にもなく、庭に散る花に少しの同情を贈ってみたくなる。この三日間ちょっと忙しすぎたからお疲れなのかもね。

というか、冬枯れてまだらになった芝生に彩りを添える紅い花びら。枯れ落ちても粋を見せてくるじゃないか。そしてふと目を上げれば、まだまだ散ってなるものか、「今が旬よ!」とばかりに小枝をしならせるようなさざんか。花はいいね~。散り果てるからもっと深くいとおしい。そしてまた時節が来ればまた花は咲く。

能登半島の人たちに贈りたい。ウクライナの人にもガザで苦しむ人達にも、一瞬の安らぎになる花を贈りたい。本当のところは花よりもパンがいい、暖かい飲み物がいい、いやいやもっといいのは、耳をふさがなくてゆっくり眠れる静かな夜、静かな時間なのかもしれないね。

今日はあまり寒くなくて、動いても動かなくても心地よい時間が流れたから、人並みにこんな気持ちを呼び覚まされた。如月の珍事かもしれないね。

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「かわいい招待状」

2025年02月14日 | 地域活動

                   

地域にある二つの小学校の一つから一通の封書が届いた。小学3年生K君と名前が書かれている。
封を開けると、便箋1枚とA-4版プリント2枚が出てきた。
便箋には、一生懸命丁寧に正確に時間をかけて書き上げたのであろう、ご招待の案内文であった。
右肩には、私の名前の最初の一字が漢字で次からはじらがな。そして最後の一字が漢字となっている。なるほど、ひらがなの部分は難しい漢字が使われているので小学3年生には習っていない領域である。

内容は、「お元気ですか。ぼくたち三年生は、いつもお世話になっている地域のみなさんに感謝の気持ちを伝える会を開きたいと思います。・・・」後略。丁寧な案内の趣旨が書かれて、最後は「きっと楽しい会になると思います、ぜひ来てください」で締めくくられている。もちろん3年生の招待状なので、漢字の部分もほとんどひらがなで書かれていることを申し添えます。

要するに、この小学校ではお昼休みにコンピュータールームに集まって、宿題をやったり、分かりにくいところがあると、地域の人に尋ねたり教わったりしながら過ごす自由な時間が設けられている。そのお手伝いに登録したジジババが出向くのである。1年~5年までがやって来て、一部屋が狭いくらいの盛況な日もある、約30分の短い時間であるが長くやっていると、気持ちが通じる子も出てくる、ハイタッチで機嫌よく出ていく子もいる。

その子たちの中心が3年生で、今年の3年の担任が若いのに気が利く先生で、子どもたちをちゃんと指導し、うまく引っ張っていっている背景はある。校長先生の協力もあって、こういった会が催される。

よそ様の大切な子に肩もみさせたり、手製のメダルをもらったりしちゃわりーねーという気持ちにもなるが、子どもの成長過程にわずかでも関わってあげられるのは、高齢だが元気でいられる者の特権なのかもしれない。どんな催しになるのか楽しみに当日を待つとしよう。

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「年次総会」

2025年02月12日 | 健康イチバン!

             
                地元自治会連合会のG・ゴルフ大会

1年に1度開催される「岩国グラウンド・ゴルフ協会、総会」に出席した。
たとえ小さな団地の小さなG・ゴルフ同好会でも、一応岩国の協会には所属している。協会に所属すれば、当然ながら氏名を登録して年会費を収める仕組みになっている。登録したメンバーだけが公式大会の参加資格を得る。ほかに山口G・ゴルフ協会、そして日本G・ゴルフ協会とそれぞれ段階がある。それぞれに所属するためには別途登録料を納めて、会員の権利を得る。

たとえば、大会において8ホールを1周する中で3本のホールインワンを入れたら「ダイヤモンド賞」として日本G・ゴルフ協会の会誌に名前が記録される。そんな場合、日本G・ゴルフ協会に入っていないと、ダイヤモンド賞を達成しても、トータルスコアに影響するだけで、名誉の対象に扱ってはもらえない。

ま、そんなややこしい決まり事や、高齢者集団ゆえのしばりもあるが、今日はそんな岩国G・G協会年次総会に我が同好会の代表として出席した。席に着く前に膨大な総会資料が配られる。
まず最初に資料の訂正について事務局ら、あそこをここをに始まって、個人の名前の字違い、住所や番地・電話番号の数字訂正など、議事に入る前にページをめくったり、めくり戻したり大変(笑)

御年は吾輩よりかなり後輩の方たちだが、総会の資料作りとなると胃が痛むほどの神経を使うはずなのだが、どうも執行部同士の話し合い、意思の疎通が滑らかでないようにこの目に映る。大変な作業だよねーと想像できるので苦情も余り出てこないし、笑って済ませることがほとんど。だから来年また同じことが繰り返される。それでもまあ、自分に役割が回ってきたら困るので、シャンシャンの手打ち総会。ま、世の中そんなもんだ。色んな世話をしてもらって、年に5回も6回も楽しい大会を開いてもらって、贅沢言ったらバチが当たる。

2月は寒いので大会は開かれないが、3月1回、4月に入ったら3回は予定されている。
ただひたすら、元気に遊ばせてもらえる場所を提供してもらえることに大感謝である。

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「延命地蔵尊ご縁日」

2025年02月11日 | つれづれ噺

          

2月11日、建国記念日は、国民の祝日として玄関に国旗を立てるくらいのことで、特にこの日を祝う集会に参加するといった行動は起こしたことがない。
それよりもこの日は、ずいぶん前から延命地蔵尊ご縁日とのご縁を頂いて、ここ数年お参りに出かけるのが通例となっている。

岩国市街地から約20㎞ばかりの山あいにあるこのお寺は、京都に本山を持つ黄檗宗「通化寺(つうけいじ)」という。
徳川幕府による長州征伐の折、芸州口の戦いを左右する長州軍遊撃隊の屯所として使用された。そんな歴史と広大な寺領を有した古刹である。雪舟作と言われる「心字池」もしつらえられていて、本来なら参拝者が後を絶たないはずなのだが、時の流れとともに紆余曲折があって、今は訪れる人とてない寂れたお寺となっている。聞くところによると、檀家さんも極めて少なく、高齢の人が中心で、再興の夢が遠いらしい。

そんな古刹ゆえに、年に一度のご縁日と「通化寺祭り」にはできるだけ顔を出すようにしている。特に今回は、昨年暮れから今年初めにかけて、身近な葬儀が相次いだ。いずれも様々な事情があって気持ちがすっきりすようなお見送りが出来ていなかった。何かしら中途半端な形が多かった。そんな思いを、宗派や方法は異なっても、自分の気持ちの中で故人に手向けをする機会をうかがっていた。

塔婆回向とお炊き上げ供養という願ってもない法要の案内を頂いて、万全な寒さ対策で出かけたが、ささやかな仏心が通じたのか、今日は昨日までとは打って変わって暖かく穏やかな日であった。
胸につかえていたモヤモヤがお炊き上げの煙と共に少しだけ、山あいの空気に溶け込んでいったようないい一日となった。お参りのお接待として頂いた田舎牡丹餅のお味も最高であった。 いま一度 合掌。                                                                              

                                                        

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「寒さに耐えて」

2025年02月09日 | 健康イチバン!

 

家庭菜園に毛が生えたような畑で、この寒さに耐え、必死に上を向いて真っ白い花を咲かせようとがんばっているのは、11月初めに植えた、スナップエンドウとグリンピースである。
成長の弦を巻きつけるネットは、木枯らしにも春の嵐にもビクともしない頑丈なおろぎを立てた。ところが、食べ物が底をつくこの季節、食欲旺盛なヒヨにとっては何でもエサにする。

弦を巻きつけさせるネットは約10cmの四辺形で割と広い。それをいいことに、どうかするとネットを足場に、豆の新芽をついばみおる。仕方ない、網目の小さい防鳥ネットで豆の木全体をバッサリ覆ってしまう。やっとこさヒヨ対策をしたら、今度は大寒波の今年は寒さにやられてしもやけを起こしている。ただ、弦巻きネットや防鳥ネットのお陰で幾分か雪や霜対策にはなっているようだ。

そうやって、野鳥のエサにもならず、寒さで根こそぎ枯れることもない枝葉には、季節を違えず可憐な真っ白い花を咲かせ始めている。寒さに強くない私なんぞは、グラウンドゴルフの予定日こそ、ラジカセやスコアシートを入れた手提げ袋、それに自分のクラブを引っ提げて公園に出向くが、それ以外はすぐにエアコン・温風ヒーター・石油スト―ブと仲良しこよし。「春が早く来ないかね~」などと震えている。

「なにやっちょんじゃー」と自分でも思うのだが、慢性鼻炎は鼻水とくしゃみで容赦なく攻めてくる。それでなくても何かと弱った身体、風邪でも引いたらそれこそ元も子もない。などともっともらしい理屈をつけてお籠りさんを決め込むのが落ちだ。
畑の豆の強さや、この寒さの中で成長する玉ねぎやニンニクの強さを今さらながら羨ましく思う。
まあとにかく、風邪引きはいけません、千病万病の元ですぞ、ご同輩。ケンコーイチバン!!

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「くじらびと」

2025年02月08日 | 読書・映画・観賞

                                          

少し古い話になるが、2021年に制作されたドキュメンタリー映画「くじらびと」(監督 石川 梵)を鑑賞するチャンスを得て、今日午後岩国市民文化会館で鑑賞した。
岩国ユネスコ協会創立60周年記念として催されたもので、たまたま協会長さんと顔なじみのご縁で、珍しく映画鑑賞に出かけたというお話。

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)とは、今さら私など不勉強な者が申し上げるまでもなく、先刻ご承知のこととは思いながら、会場で頂いた数々の資料に目を通す中で、私なりに少し感じたことをおさらいしておきたいと思ってここに記すことをお許しいただきたい。
ユネスコとは、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じた国際平和と人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関のことを言う。と書かれている。

ということは、現在の世界情勢は、至る所多くの国でユネスコの精神とは全く逆の現象、つまり国際平和と人類の福祉の促進、などという高貴な精神など微塵もなく踏みにじられているではないか、と単純に素直に感じてしまう。もともと国際連合という組織が全く体をなさない弱体化に問題がある。都合が悪くなったら大国であるがゆえに拒否権なるものを発動させて、侵略や際内紛争・国内紛争、世界秩序無視といった横暴が許されるこの仕組みがおかしい。いっそトランプ氏が、世界を相手に大喧嘩するつもりで『国連』を権威ある姿に戻してみればいいのに、なんて勝手なことを考えてみたりする。

映画「くじらびと」は、今も銛(もり)1本でクジラを捉えて島民の空腹を満たすという、生きることと動物の命を奪うことの罪深さにさいなまれながら、神に祈りを捧げることで許しを請う、そんな内容だったと思う。くじら食文化を受け継いでいる我が国も、飼育してもいない海洋動物くじらを捕ることで顰蹙をかっているが、飼育している動物は食ってもいいが、くじらはダメだという理論も噴飯ものである。くじらを際限なく野放しにすれば、エビや小魚は海から消えてしまう恐れも考えないといけないんじゃないか。色んなことを考えさせられるユネスコ、くじらびと鑑賞であった。

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