今年も8月6日がやってきた。まさに ❝念力が ゆるめば死ぬる 暑さかな❞ 猛暑・酷暑の言葉通り、クラクラするような暑さの中、午前8時15分、79年前の原爆投下時刻に合わせて平和への記念と原爆被災者への黙とうが捧げられた。
飽くなき平和の希求が叫ばれる中で、原爆慰霊碑に眠る被災者名簿のいしぶみには「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と書かれている。その言葉の内容を噛み締めるとき、宗教や主張の違い、我が身を守るためと称する他国への侵略戦争の銃砲が、来る日も来る日も世界のどこかで発生している。そんな現実を目の当たりにする空しさや無力感はどこへ持って行ったらいいのだろう。
一国の首脳が他国を侵略すると決めた時、誰がそれを止められるのか。国連という組織があるにはあるが、本当に機能しているとはとても思えない。結局は強い者が弱い者を葬り去る構図は生きている。理性をコントロール出来ない指導者が武器を作り続けたり、殺傷することに痛みを覚えない恐れのある現実。誰かがあるいは集団で抑え込める組織が出来ないものか。ただ、そんな最強の抑止団体が出来上がったら、更にその上を行く凶悪集団が出来上がりそうな恐怖を予測してしまう。
そして最終的には、人類を滅ぼしかねない核兵器の使用も辞さない無謀振り。我々唯一の被爆国の悲しい叫びは独裁者の耳に届けばいいのだが。79年の歳月を経てなお、多くの人の手を借りながらも悠然と立ち尽くす広島原爆ドーム。何を感じているのだろうか。