平成20(2008)年11月10日、17時26分。
100歳7か月を一期として永遠の眠りについた母。
『浄寿院釈妙華』として、仏壇から私たち家族の有りようを見守ってくれている。
あれから丸7年という歳月が流れた。
49日法要はじめ、一周忌、三回忌を、そして七回忌法要を昨年11月9日に執り行ってきた。
今年は仏事は特に予定してはいないのだが、実質的な七年目という点で、何かしら胸の奥に感じるものがある。
明治の生まれという一つの誇りが心の支えとなっていたようで、何事があろうと、ぶれない軸となるものを持って生きてきた母であったような。
6人姉弟の中では、5番目の小生が、3番目に長い67年の付き合いであった。
長姉は40台前半に、長男は60代半ばで逝き、親より先に逝くこの上ない親不孝をしてしまったが、母は恨み言の一つも言わず、自らがお浄土へ召されるまで、二人をこよなく愛していた。もちろん、そばにいる私たちには「頼り切る安心」という形で愛情を示してくれた。
7年たった今でも、イチョウやカエデが紅葉し、コスモスがヒヨヒヨと風に揺れるさまを見ると、胸の奥が湿っぽくなる。
その一方で、昨年83歳で亡くなった国民的映画俳優の高倉健さんの命日が、母と同じ11月10日ということで、世上何かと賑やかなのを見て、あの世で苦笑しているのだろうか。それとも、「あんたはえらく早いお詣りじゃったね~」などと、健さんに話しかけているのであろうか。などと思うと少し気持ちを慰められる部分もある。
“ 散りたくて風を待ちゐる大銀杏 ” 阪本 謙二
貧乏に耐え、身を粉にして働いて子どもの成長を見届けた、ふつうの母親であって、人が見上げる大銀杏ほどの華やかさもなかったろうと思う。
こんな句が適当かどうかは別としても、少なくとも私たち子どもから見れば、見上げるほどの大銀杏にもふさわしい生涯であった、と改めて思う。
真新しいお花を供え、お線香を香らせて、合掌!