「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「興味津々」

2015年11月09日 | ニュース・世相

         

近代日本の夜明け、明治維新の陰の立役者「坂本龍馬」。
若き日に、剣術修行を目指してあの土佐の高知から、単身江戸留学を果たし、その後の日本を動かす原動力ともなった男の青春物語。
そのエピソードの一つを物語る「なぎなたの免状」が出てきた、と大きく報じられた。
龍馬ファンならずとも大いに興味の湧く歴史の事実ではある。龍馬大ファンにとってはまさに垂涎ものである。

色んな物語の中で、坂本龍馬は剣豪であったことはよく知られている。桂小五郎も、武市半平太も、それぞれ塾頭をつとめ、剣術にかけては御前試合の筆頭に掲げられる達者であった、と司馬遼太郎さんから教わってきた。
あの幕末の激動期を闊歩するには、人並みすぐれた思想と見識、そして身を守る武術の腕も確かなもの、つまり文武両道でなければ、大仕事を無し得えかったということかもしれない。

その確かな剣術に加えて「なぎなた」も免許皆伝の腕前であったとは、また一つ、龍馬を知る上の興味深いところでもある。
『北辰一刀流長刀兵法目録』というのが正式な名称で、なんと長さ2m70センチに及ぶ長尺巻物だという。

【長刀兵法目録は長さ270cmの巻物仕立てで、書かれた時期は安政5年(1858年)と記されている。「駒返」「金剛剣」など、長刀の技と思われる21項目のほか、流派開祖の千葉周作や師匠で周作の弟、千葉定吉らの名前が記されている。また、龍馬の婚約者と伝えられる定吉の娘佐那(さな)の名もあった。剣術に関する皆伝は坂本家の子孫が火災に遭って焼失したとされる中で、貴重な現存資料となる】と書かれている。

その免許皆伝巻物が、今月13日から高知県香南市のテーマパークで一般公開されるという。
これは是非現物を見てみたいと思う。
晩秋のしまなみ海道を自らの運転で駆け抜けてみようか。それとも旅行会社のバスツアーを待つか。ちょっと考えてみよう。
いずれにしても、このような貴重な資料がどこかに潜んでいるということもある。

ダンシャリ!!「不要なものは出来るだけ処分して、後の者に迷惑をかけないように引き渡すのが年寄のエチケット・・・」とい声も聞こえるが。
まあもっとも、我が家などにそれほど貴重な資料もないだろうから、やはり言われる通り「断捨離」を進めるべきかな~。

コメント (4)
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