「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「欲張りの旅Ⅱ」

2017年11月01日 | 旅行・レジャー

      
                本丸に立つと、見下ろすほどに広がる城跡        見事に積み上げた石垣の数々

旅の二日目10月30日。心配された雨は上がったものの、雲は厚く吹く風は強くて冷たい。山陽側の真冬を思わせる朝。
湯原温泉を出て一路鳥取砂丘へ。長靴を借りて砂丘に立ってはみたが、数日続いた雨で地面はしっとり。風に砂が煽られる心配はないが、日本海から吹き上げる風の強さ冷たさには悲鳴が上がるほど。早々に引き上げ身体を温める熱いコーヒーが美味しい。
この日一日のタイトなスケジュールを考えると、少しでも早く兵庫県朝来市(あさごし)和田山の竹田城目指してバス移動。

小生にとって今回の旅のメインは、この竹田城跡見学である。虎が臥しているいる形に似ていることから、別名を虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)と呼ばれるこの山城跡の石垣に触れ、この足で踏みしめることである。
険しい山道を登るのが大変とは何度か聞いていた。まさにその通り。坂道の取りつきで既にハァハァ。呼吸を整えながら、山頂の雄大な眺めを頭に描いて一歩一歩。幸いにして空は雲が切れて日が差すまでに回復。うっすらと汗がにじむ心地よさ。

険しい地形にありながら、曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ城郭が、南北約400m、東西約100mに渡っており、山頂に築かれた城郭としては最後の近世城郭にあたる、と言われている。築城は約570年前の1443年で、初代城主は山名持豊(後の宗全)。やがて織田、豊臣時代を経て、1600年の徳川家康による廃城令まで、160年近くその雄姿を誇っていたことになる。地理的に京の都にも近く、但馬の国という地の利もあってか、時代の流れに翻弄されつつ、城主は何人も変わっているいるようで、複雑な歴史を秘めている城のひとつである。

ややこしい歴史もひもといてみれば興味深いが、先ずは現地に足を運び、頭や胸の奥で往時を偲び、あれこれ連想するのが楽しみの一つでもある。海抜350mの山の上。麓の町一帯が海抜100mというから、実際の山の高さは250m。数字の上では大したことはないが、いざ全部を歩くとなると、それ相応の覚悟が要るほどの山道である。が、そこは目下注目を集める観光地。途中まではマイクロバスでピストン輸送。実際に歩くのは最後の500mばかりを15~20分かけて歩くのだから、この足でもなんとかなった。もしご希望ならぜひ一度お訪ねを。

総延長400mもあるという城郭の全てを、石垣を積み上げてつくることによって、あの険しい山の上に広大な土地を切り拓いた当時の人たちの、辛抱強さ・力強さや、汗の匂いまで感じられるのが実に心地よかった。

次なるは最後のお目当て別名「白鷺城」と呼ばれる姫路城へ。
                               
自分で撮っておきながら、まるで絵葉書を見るような整然とした中に、気品と凛々しさを感じさせるその雄姿。お見事というほかない。
それでいて訪れる人を、何となく優しさをもって迎え入れてくれる寛容さを感じさせる。
もちろん天守閣を目指して城内に入り、階段を登ってはみたものの、やはりお城の中はただ薄暗いだけで、東西南北の大柱の見事さや、梁の大きさ桁の材料などに感動する以外は、格別なものはなにもなかった。
それよりなにより、お城全体を遠くから静かに眺めるのが、姫路城を鑑賞する一番のコツであると感じた。これは「ふるさとは、遠きにありて思うもの、そして静かに懐かしむもの」といわれる「ふるさと」の詩を思い出すのに似ている。

                                      

修復なって2年余りになる姫路城。屋根瓦の漆喰の白さも落ち着いてきて、それはそれはお見事というほかない姿を堪能した。
名残惜しくも帰りのバスに乗るころには秋の夕日に映えて、これまた見事な色映えで見送ってくれたようであった。

たった二日の旅ながら、いろんな景色や歴史を感じさせてもらった。これを励みにまたひと仕事がんばってみるか。

コメント (2)
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