週刊朝日 2006年2月24日号 表紙
カラーグラビア
「祝紀子様ご懐妊朝日新聞岩井克己編集委員が語る秋篠宮さま「遠慮」を捨てるまで・雅子さまもう一人へ膨らむ予感・皇室典範改正見送りへ小泉首相の「強運」とNHKとくダネの裏・高橋紘・所功・八木秀次・横田耕一「男系男子」か「女性・女系」か論客4人が語るこれから・林真理子さんからのお祝メッセージ「皇室には底力がおありです」」
週刊新潮 2006年2月23日号
「紀子様ご懐妊の裏ドラマ雅子妃の大逆転「第二子ご誕生作戦」進行中」
紀子妃から懐妊を知らされた皇后は突如めまいを起こして体調不良に陥った
葉山静養は中止
愛子内親王の将来を憂えたこと。皇太子と秋篠宮に溝が出来るのではと懸念
週刊文春 2006年2月23日号
「紀子様が雅子さまの前で流した涙」
お世継ぎ」をめぐって天皇皇后と皇太子ご夫妻の間には見解の相違が存在することが顕在化したのはご成婚から三年目のことだった。
皇太子ご夫妻は九四年、九五年と続けて中東諸国を歴訪されているが、そのご帰国後の九五年、天皇のお言葉に雅子さまが直接異を唱えられたことがあった。
その日、天皇は雅子さまにこう語りかけたと伝えられている。
「国民みんなが待っているからね」
すると雅子さまは色をなしてこうご返事をされた。
「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」
あまりのおっしゃりように、周囲は唖然としてしまったという。
今回のご懐妊の一方を聞いたある皇室関係者は、紀子さまが昨年末の天皇誕生日に涙をお流しになった一件を思い浮かべたという。
その日、天皇ご一家は「お祝い御膳」を中座された雅子さまをお待ちになったまま、緊張した夜をお過ごしになっていた。
「あの日は夕方六時半からご一家と黒田夫妻がお揃いで、天皇陛下の七二歳のお誕生日をお祝いするご予定でした。ところが愛子さまがむずかられて、雅子さまが一緒に東宮御所に戻られてしまった。すぐお戻りになる予定だったので、お箸もつけずに待たれていたのですが、東宮御所から何の連絡もないまま時間が過ぎていった。御所から連絡を入れても東宮職の返事が曖昧で、状況がよくわからなかったそうです。結局、雅子さまがご不在のままご夕食は始まりました。天皇陛下もさすがにご不快の様子で、せっかくのお祝いのお席も雰囲気がすっかり冷めてしまわれたといいます」(皇室関係者)
御夕食を終えられた後、雅子さまのご到着をお待ちになっているところへ、ようやくお戻りになると連絡が入ったのだという。
「両陛下はじっとお待ちでしたがすでに二時間以上が過ぎていました。連絡が入った後、皇后さまは長い御廊下を歩いて玄関までお迎えに出られたそうです。そこで十五分ほどお待ちになったのですが、なかなかお車がご到着にならないので、皇后さまは御食堂にお戻りになられました。
しかし、ご一家が揃って席についたままお待ちになっていては雅子さまも気まずいだろうと、紀子さまと黒田清子さんがそろって御廊下に出てお迎えすることにしたといいます。御廊下から一緒にお話をしながら入れば、お気楽だろうと気配りされたのです。それなのに、戻られた雅子さまは『どうも』と軽く会釈をされただけで席に着かれてしまわれたといいます。
その場の状況を目の当たりにされて、紀子さまは思わず泣き出されてしまった。この日のお祝い御膳はとりわけ重い意味があったからでしょう。天皇陛下がご病気の中でお誕生日をお迎えになる意味は非常に大きいですし、秋篠宮ご夫妻が縁結びをされた黒田夫妻が初めて出席するお祝い御膳でもあったからです。紀子さまのお気持ちには格別のものがおありだったと思います」(同前)
紀子さまのご妊娠はそれからまもなくのことだ。
AERA2006年2月27日号
「祝賀一色への違和感 600人調査「そこまでして男子」「お膳立て」への女のまなざしと男女で大違いの共感度」
時期が時期なだけに素直に喜んであげられない
皇室典範も延びる。色々な思惑が交錯してなんだかな~~とネットへの書き込みが相次ぐ
雅子さまの心情を思うと喜べない「男子を産んでなんぼ」なのか
秋篠宮の「お許しがあったので」という言葉に「お膳立て感」があって納得できない。
紀子様も説得されて懐妊したのか
週刊女性2006年2月28日号
「新聞テレビが報じないドラマチックな紀子さま懐妊と雅子さま報われなかった「辛苦」の歳月」
2006年3月18日 秋篠宮殿下・眞子内親王 沖縄訪問
「伝統文化の祭典・人間国宝・九州・沖縄」をご覧になる
2006年3月29日 音大卒業生による演奏会
2006年4月25日「地球環境大賞」授賞式
女性セブン2006年5月11日18日合併号
「妊娠五ヶ月の紀子様へ皇后美智子さまが取り寄せた安産のトマトジュース」
2006年4月29日 「みどりの感謝祭」出席