週刊新潮 2011年6月9日号
「雅子さまー一人授業参観350日の波紋 被災地を2度見舞われた雅子さまのご様子に国民は安堵したに違いない。しかし一歩ずつ快方に向かわれるその一方で1日も欠かさず愛子さまの通学に付き添われているという。雅子さまの授業参観の期間はすでに350日に及ぶのだが」
2011年6月4日
宮城県訪問
週刊女性2011年6月21日号
「17ヶ月ぶり遠方本格公務で被災地宮城訪問 雅子さま心配された「激務」と悪臭」
・宮城を訪問したのは4日の土曜日。
・前日の愛子内親王の学校は休み
・学校での授業参観が「主」で被災地訪問はその負担にならない時に
・今回の被災地訪問がうまくいったからといって、もう大丈夫だとか、次のステップへとか周囲の人が考えることがいけない
女性セブン 2011年6月23日号
「雅子さまへ避難所のおばあちゃん「遠慮なしの人生指南」
週刊ポスト 2011年6月24日号
「雅子妃相手に独演5分間 避難所ばあちゃん「お説教」の中身」
6月4日の訪問直前まで「雅子さまの体調次第」と言われていたので、本当に来た時は避難所にどよめきが走った。
雅子妃の声は蚊の鳴くような声
78歳女性「ぜひともお元気になって下さい。そして二人のお母さんを大切になさって下さい」
68歳女性 「今回被災して、国の恩、親の恩、先生の恩、土地の恩の4つの恩を痛感しました。雅子さまのこの4つ恩を感じることがこの先あると思うし、今までもあったと思います。いつも4つの恩に感謝して日々を送らし下さい」
「愛子さまの愛というのはいいお名前ですね。沢山の人から愛を貰うことの出来るお名前です。人間は他人から愛を受けたら決してそのことを忘れないものです。
「ありがとうございます」「ご苦労様です」この2つの言葉をいつも心がけていたら人さまから愛を沢山頂けると思います」
お付きの人はイライラしていた
仙台空港では宮内庁職員が「雅子さまはご病気なので」と繰り返しながらカメラを向けない様にさせる
実は6月4日は訪問先の山下小学校が運動会の日。一日中楽しむ筈だったのに、皇太子夫妻が来るので午前中で終わってしまった。
学校側は「来ると言われたのが一か月前だったので正直、調整が大変だった。でも小学校の運動会は元々午前中で終わる予定だった」しかし、子供と保護者には伝わっていなかった。
週刊朝日 2011年6月24日号
「震災後初の被災地入りも皇太子夫妻への微妙な空気」
2011年6月13日 デンマークのフレデリク皇太子が被災地訪問の為来日。東宮御所で迎える皇太子。雅子妃欠席
2011年6月14日 学習院大学での芸術鑑賞会に雅子妃と愛子内親王出席。帰りは山手線で帰宅
2011年6月21日 ドイツ訪問へ出発する皇太子を見送る
2011年6月25日 愛子内親王一人で登校
2011年6月25日 ドイツから帰国の皇太子を迎える
女性セブン2011年7月14日号
「同伴登校後毎日過ごされる皇太子妃雅子さま学習院初等科貴賓室9時間の謎」
6月22日 愛子内親王は管弦楽部の朝練の為、朝の7時すぎに雅子妃と校門をくぐった。
雅子妃はそれから授業が終わる15時40分までずっと貴賓室にいた。
3年生まではずっと教室の後ろで授業を見ていたが、4年生になってからはほとんど貴賓室にいる
貴賓室の前に2人、階段のところに1人SPがいるのですぐにわかる
一体、雅子妃は何をしているのか・・・女官と話をしているか読書をしているのではないか
ネットでは寝ていると言われていました。
震災が起きた年であっても、雅子妃の生活は愛子内親王の生活中心でした。
とにかく学校が好き。小学校で大半を過ごしても苦にならない・・・不思議。
だったらPTA会長でもやってくれたら働いてるお母さんたちはどんなに楽になったか。
しかも、4年生になってからは毎日下校まで貴賓室で過ごしているという。
一時期、国連大学に通った時がありましたが、雅子妃にとって「貴賓室」は好きな事出来て、寝ようが食べようが勝手に出来る部屋なんですよね。
確か食事はお弁当を運ばせて、愛子内親王も一緒に食べているとかいう話でした。
「常に国民と共に」とかいいつつ、皇太子夫妻は何があってもぶれずに自分中心主義を貫いています。
皇室破壊の要がここにあるのだという事は忘れない様にしなくてはなりません。