
一掴みの「木の芽」

茹でて小鉢に。後は好みで生卵を割り入れ醤油や出し汁で食べる。
『木の芽』
これこそ大人の味だ、この味が分れば本当の大人だ、と言う父母の言葉に背伸びをしていた訳でもないだろうが、
その玄妙幽玄な味に、雪深い山里の総てを感ずるような気持ちになってきたのは、
あの頃の父母の年齢に近付いたからなのかも知れない。
雪が消え、雪国の植物総てが一気に萌え出す頃、アケビの芽、蔓の先端が伸び始める。
それを辛苦して探し摘み集める。これがこの地方で言う「木の芽」である。一口で大人の味と表現してしまうが、
幽かな苦味と、青物の味は他に比較べる味も無い。
聞くところによると、妙高の太いそれも又、関東の雪の無い地方の木の芽も、アクが強く、苦すぎ、
水に晒した位では太刀打ち出来る物では無いと聞く。昔、母が丁度良い時期に会い、
生来の手先の器用さと相俟って、大きな箕に山盛りに採った事があった。その場所は、
沢の奥深く雑木を切りに通うような道で、かろうじて普通自動車やリヤカーが入るほどの道だった。
しかし、もっと前は田圃を耕作していたような形跡が有り、
昔で言う年貢逃れの「隠し田」のような存在だったのかも知れない。
その耕作跡地の水平な場所に生えた、背丈の低い「ウツギ」や、「カヤ」にアケビが繁茂して絡みつき、
格好の「木の芽畑」になっていたのだった。今程山菜採りがブームで無く、
山菜採りが雪国の人々が長い冬に決別する儀式であった頃の話だ。