労使対立労使協調(その2)
その、通称36協定締結時を利用し、普段は言えないことを、言わせて頂く。素直にはいどうぞなんて印鑑を押印することはほとんどなかった。
お人好しを自認する私は、あの未曽有の組織の転換、国鉄からJRへの移行時の混乱期にまたがって分会長をしていた。その混乱期に保線区長を務めていたのが、当時「本社採用」と呼ばれた東大卒の28歳の青年だった。
将来の高い身分を約束されたような本社採用の青年は、皆に気を使われる一種独特な存在でもあった。もとより出世の欲など持ち合わせぬ身で、それまでの区長と隔てることなく交渉にあたった。
皆さんが気を使い、持ち上げられる身には、私の歯に衣着せぬ言動は一種のショックでもあったようだ。事実、後日行われた私の送別会では「あなたの名前は私の前頭葉に刻み込まれました」なんて言っていましたから。
その後、JRが発足するわけですが、移行は過激な行動をしていた労働組合対策もあり、国鉄を一旦全員解雇、そして分社化されたJR新会社に再採用されるという流れだった。再採用されない職員も多くいた。仕事の少ない北海道地域から首都圏に老父母を含む家族全員で転勤するなどと言う悲劇さえ少なくなかった。
(続く)