
83年とあるから、40年も前ですね。社会人バドミントンリーグに初回から参戦。

仲間を誘い、チーム「フォルテ」を立ち上げて長年監督兼選手として参加。
アットホームな練習風景。コート3面の小さな体育館を借り切って没頭しました。
バドミントンとの出会い(その1)
子供のころ、そう小学校、中学校そして高校と通し、私は運動神経の発達不足。運動音痴、略して「運痴」として自他ともに認める存在だった。
運動、からだを動かすのは嫌いではなく、遊びにだけは誘われて一生懸命に参加はしていたのでしたが。スポーツは苦手でも、スキーだけは上手い、水泳だけは得意などという人も多いものだ。
でも、恥ずかしいけれど、どのスポーツも苦手な特殊の存在の子供時代だった。なにせ、バスケットボールやバレーボールなんて、不格好で笑いの種。砲丸投げも「お前が投げると、馬鹿に砲丸が重そうだ」なんてからかわれたり。
小学生から中学生にかけて、土砂崩れのために国鉄官舎が我が家の近くに移転した。そして、子供たちの人数も多くて、駅前広場はみんなの格好の遊び場となった。
広場ではいろいろな遊び、スポーツが行われたけれど、風の弱い日は工夫してネットを張りバドミントンをすることが多くなっていた。
やってみると駆け引きやら勝負そのものやらが面白くて仕方ない。時には母親さえ参加してゲームに興じたが、これは年齢に関係しない面白いゲームでした。
(続く)