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ほぼ、社会人バドミントンリーグ引退したころですが、名前は登録されています。
チームとして、最も力が充実していた時代。15部まであってその4部に位置していました。
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町の大会、会社での大会では、入賞しました。時には優勝したことも。
バドミントンにのめり込む(その2終わり)
その頃は寝ても醒めても気持ちはバドミントン。家の中でラケットを振って家族の顰蹙をかったり、通勤電車の中でも座らずに立って爪先立ちで筋力の増強に努めた。あの時代には苦しかった冬の除雪さえ、バドミントンのための筋力トレーニングだと思うと全く辛くは無くなっていました。
こうして、熱中しているうちに、人間ドッグで指摘された血糖値の高さ「糖尿病症候群」糖尿病予備軍の症状もいつの間にか消え去っていました。
50歳を過ぎるとさすがに責任のある仕事との両立は難しく、次第に練習も疎かになり、「自分はバドミントンを止めたらどうなるのだろう」と、さえ思っていたバドミントンとも次第に遠ざかるようになり、自然消滅してしまいました。
でも、還暦を過ぎてからも社会人リーグに請われて出場し、若いペアを打ち負かしたことは、人こそ知らずでも未だに密かな自分の自信、自負と自慢なっている。
(終わり)