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バドミントンラケットは軽量化に反比例して高価に。
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懐かしい、新聞記事。第一回のバドミントン社会人リーグ発足記事です。
バドミントンは本格的に(その1)
群馬県の水上町に転勤すると、うらやましい光景に出会います。なんと、独身寮での夕食を終えると、バドミントンに出かける二人がいたのでした。(後年、そのうちの一人と、新潟支社の大会の決勝戦で優勝を争うことになった。)
彼らは木製のラケット枠に同じく木製のラケットのねじれを防ぐための四角の枠をはめたラケットを持って出かけ、羨望の目で見ていたものでした。ラケットもそのころから、大きな進歩が始まります。木製ではあっても、シャフト、柄の部分に金属が使われたりしていました。そのころだったと思うが、相沢マチ子・竹中悦子のダブルスが全英オープンで優勝し、話題になっていた。
何時かは自分もバドミントンを本格的にやってみたい、そんな気持ちが日々に高まるけれど、職場も違い申し出るチャンスも無く日々は過ぎ去っていきました。
しかし、その水上も5年間の勤務を終え、長岡に転勤することによってバドミントンがより身近なスポーツとしてやってきたのです。
(続く)