その折り伝馬町牢屋敷では解き放ちが行われたのだが 後年「後世司法の参考と為す」として 記録一切は公文書とされず 異聞風説の類としての 聞き取りがなされた
第一の語り手は 当時の伝馬町牢屋敷の若い同心 中尾新之助
現在は市ヶ谷監獄署吏員
赤猫は放火犯の俗称 総じて火事を指し 火の手が迫った際の「解き放ち」を呼ぶそうなー 伝馬町牢屋敷においては
期日までに戻れーとして一旦自由の身にする
戻れば罪一等を減じ戻らなければ磔獄門
親分の身代わりで捕らえられ 人としての器量を見込まれ牢名主として牢内を仕切っていた繁松に 年の暮れ 打ち首 死罪
知らせのあった二十五日 本日中に行えと御沙汰がある
本来なら親分の身代わり 遠島がいいところのはずなのに
若くて腕も立つ新之助に 誰もが嫌がる罪人の首を斬る仕事が押し付けられる
年の瀬にきて打ち首というのは慣習から外れていた
賭博開帳の罪で死罪などというお裁きは思いがけないものだった
繁松が引き出され ふりかぶった刀をおろそうとした時 半鐘が聞こえ
「暫く待たれよ」
丸山小兵衛が 走り出て声をかけた
牢屋奉行 石出帯刀により 解き放ちが決まる
繁松の番いの手鎖の相方は 岩瀬七之丞と決まる
新之助は二人に付き添い善慶寺まで行くことに
岩瀬は旗本の息子 鳥羽伏見 上野のお山と薩長の兵と戦い 官軍となった彼らを 夜な夜な斬って回っていた
辻斬りの罪として捕らえられていた
善慶寺で他の囚人達が解き放たれても
繁松 岩瀬七之丞
あと一人白魚のお仙はなかなか自由にしてもらえずにいた
お仙の男は内与力であった
その男がお仙をとらえ裁きをし牢屋に入れたのだ
三人とも解き放たれても戻ってくるはずがない
斬ってしまえーとなるを止めたは丸山小兵衛
彼の言葉に牢屋奉行の石出帯刀は「解き放て」
中尾新之助が話したのは ここまでであった
第二の語り手は 英国人 工部省 御雇技官 エイブラハム・コンノオト氏夫人にして 昔の名前は 白魚のお仙
彼女は両親もなく子供の頃から そのずば抜けた美貌ゆえに 男達に玩具にされてきた
夜鷹の元締めを任されてからは 女達の身の上に心を砕き
好かない男でも 相手の持つ権力ゆえに身を任せ みかじめ料と思い金も渡してきた
自由となったら 猪谷権蔵に意趣返ししないではおかない
しかし三人揃って戻らなければ 自分達を庇った丸山小兵衛が切腹しなくてはならない
繁松 岩瀬七之丞 お仙 誰か一人戻らなくても 戻った二人は殺される
三人とも戻らなければ丸山の切腹
三人とも戻れば無罪放免
解き放ちとなり火事から逃げる途中 繁松と七之丞は庇い助けてくれた
寒さに震える自分に 七之丞は羽織をかけてくれた
「これから子を産まねばならぬ体を 冷やしてはならぬ」と言ってくれた
繁松と七之丞と二人の男の大きさ温かさに お仙は涙をこぼした
体を欲しがらず優しくいたわってくれる男達
かなわぬならば猪谷の屋敷前で喉ついて死のうとしたお仙を 丸山小兵衛が止める
止めて猪谷の屋敷へ入っていった
「生きられるようにするゆえ生きてくれ」
そう言い残して
英国人の夫と結婚し 結ばれた時 お仙の耳に蘇ったのは 丸山の言葉
「のう お仙 生きてくれまいか」
ー生きましたとも 仰せの通りに
彼女の名前は スウェニイ・コンノオト
お腹の中には 愛する夫の子供がいる
第三の語り手は 繁松こと高島善右衛門
彼は解き放ちの後 自分を身代わりに仕立て尚 打ち首にしようとした親分へ 七之丞が借りた脇差しを貸してくれたのを持ち 命狙って屋敷へ押しかけた
だが親分は殺されたあと
解き放ちの足で駆けつけるも 一足遅かったーと世間は思わぬ誤解をし 死んだ親分の跡目に繁松が選ばれる
鎮火報を聞き善慶寺に戻る途中 七之丞と一緒になる
七之丞も善慶寺へ戻ろうとしていた
第四の語り手は 七之丞
現在は陸軍士官学校教官 岩瀬忠勇
じきに戦にかり出される男に娘はやれぬと縁談が破談になった七之丞
解き放ちになったを機会に官兵を斬りに向かうも相手は殺されたあと
繁松と善慶寺に向かい まさかお仙は戻るまいと思っていた
しかしお仙も戻ってくる
七之丞は知った
人の本性には男も女もない 身分も素姓も生まれ育ちの貴賤もない
彼の感想は
生きていてよかった ただ それのみ
第五の語り手は丸山小兵衛と同じ伝馬町の同心だった杉浦正名 現在は曹洞宗寂桂寺住職 湛月和尚
彼と丸山小兵衛は親友 刎頸の友だった
外見に似合った役割 杉浦は鞭
丸山は飴
杉浦は鬼
丸山は仏
囚人達の前では二人して 持って生まれた性格とは逆の芝居をしていた
御鍵役同心
不浄役人ゆえ穢れてはなるまいぞ
丸山と杉浦は芝居をする
丸山は戦った
囚人達を生かし 明日を願った
丸山の最期の言葉「お頼み申す」
丸山のしたことを 繁松 七之丞 お仙は知らない
その思いを願いを杉浦は知っている
新しき時代を生くるすべての人々に向こうて この日本を託した「お頼み申す」
限りなき未来に向こうて
ちちははのこころもて おたのみもうす と
多少略したり端折ったりもしておりますが 物語はこんなふうに閉じられます
小役人の意地 時代の変わり目の中 節を曲げず
出来ることをした男 自分の命を惜しむことなく
丸山小兵衛
命の最後の華
読み手により感想は違うでしょうが 何らかの感動を与えてくれる本かと思います
強いですよね、こういう苦労人は。
火事の時に囚人を解き放し 神妙に約束した刻限までに戻ってきたら罪一等を減じる
時代劇では割と見る場面ですが この時代を扱おうというのが浅田次郎氏らしいと思いました
「生きろ」と とにかく生き抜くのだ どんな時代でもと
やっぱり さすがです