香瀬の里には藤三の妻の菖子と阿矢女も行くのだった
駒弥が小源太に教える
理一郎と藤三の仲が良い事を
香瀬の当主は菖子と阿矢女を気に入っていて ことのほか会いたがっている
それで!小源太には思い当った
投げれば戻る道具
あれで藤三には小源太の正体が判ったのだ
だからこそ
母にはたまに人を見て文を託していた
思いに浸る小源太に駒弥は言う
「もし何かあれば 俺は死んでも菖子様を守る
小源太殿には阿矢女様をお願いして良いか」
澄んだ目だった
駒弥には阿矢女に対して何の野心も無い事を示す
それが小源太には不思議な気がする
ひたすら忠実 忠義な男なのだろうか
すらりと背が高く 無駄な肉はついていないが かといって脆弱な感じはしない
細面の優男ふうだが
「俺を信用していいのか
他の茜野の人間の方が安心なのではないか」
「強さが足りぬ」駒弥は薄く笑った
口をきいた事も無い相手を阿矢女が信じるかどうかも疑問だというのに
香瀬の里は花が多い
いつの季節にも何がしかの花が咲いている
小源太の母の暮らす一角は特にそうだった
―母は花を見る事で寂しさを紛らしていたのではないか―
今になり小源太は思う
政略結婚で嫁いだ相手には側妻とはいえ事実上の妻である女がいて 間に子まで成していた
見える場所には いつも 花が咲いている
花を見る事で他のこと全てを忘れようとしたのかもしれない
理一郎は 可愛がってくれた
大好きな兄だった
許さなかったのは周囲だ
母上の為にも ―と言う
それが嫌だった 煩わしかった
茜野の一行を出迎えたのは 佐倉将堅( さくら しょうげん) 押し出しの良いどっしりした体格であった
背後に一人従えている男は輪十郎(りんじゅうろう)と名乗った
目付きが鋭い なめるような見方をする
旅の疲れをとるようにと部屋へ案内される
駒弥が理一郎に挨拶する時 小源太は庭にいた
懐かしさに叫びだしそうになる
この地を離れて十年
背も伸びた 顔も変わった 日にも焼けた
見掛けは随分変わったはずだ
小源太は 遠目で良いから 父を 母の姿を見たかった
人目につかぬように子供の頃 覚えた 隠れ道を進む
父に教えられた秘密の通路
「強い薬を―とおおせられる」
「今の効き目具合では こちらが先に老いぼれてしまうわ 婆さんの機嫌とるのも疲れた」
「しかし 強くしたら 誤魔化しが―」
「何とでもするが 匙加減ではないか」
一人の声は 佐倉将堅
今一人は話の様子では 医者であろうか
と なれば 毒を盛られているのは
香瀬の当主 一成(かずなり)か
確かに世は下剋上
小源太は早くその場を離れる事にした
気付かれては 拙(まず)い
気配はうまく消していたつもりだったが それ以上に鋭い相手がいたらしい
壁を隔て 平行し 追ってきている
出れば姿を見られる
引き戸の向こうで花の匂いがした
引き戸が開き のびてきた白い指が 小源太を部屋に引き摺り込む
薄紅色の唇に指当て 布団へ入るように さし示す
間一髪 女性の部屋だと言うのに声もかけずに 庭側の戸がひき開けられた
凛とした声が響く「無礼であろう! 香瀬の一成様 見舞いに参った 茜野の阿矢女の部屋と知っての狼藉か
女と思うて馬鹿にしやるか
如何に?!」
廊下には輪十郎が刀提げて立つ
気味悪い目で 夜着に肩から着物かけただけの阿矢女を眺めている
「おかしな気配がしたゆえ 鼠でも逃げ込んだかと調べておる
誰も おられんでしょうな
確かめさせて頂く 」
「阿呆!」
阿矢女が一喝する「兄の名代にての立場も忘れ 男を連れ込んで戯れていると 言うのじゃな
良かろう 自害して身の証 立てようほどに しかと見ておれ」
騒ぎに近い部屋から 菖子も出てきた
「かような あさましき振る舞いが 香瀬の殿のお仕込みか!」
さすがにまずいと判断してか 将堅が姿を見せた
「ややや これは ご無礼を
ほお 茜野の藤三様は 家中に大輪の花を抱えておられる
目の保養をさせていただいた
これ 輪十郎 しかと謝らぬか」
阿矢女と菖子へ強い視線を当てながら男達は去っていった
小源太は菖子と阿矢女の前に手をつく
「ご迷惑をおかけしました」
「今 駒弥を呼びにやりました 言うべき事があるのでしょう」
茶目っ気のある笑みを菖子は浮かべていた
こっそりと忍んできた駒弥は 小源太の話を聞くと
「里へ入る前 わたしが言ったこと 覚えておいでですね」
とだけ言った
「今より お二方を 遠見の方の住まわれる一角へ お送り致します」
駒弥の言葉に小源太は はっとする
「相手は早く動きましょう」
守りを固める―と駒弥は言った
女二人を見比べる小源太に 阿矢女が笑う
「ご心配は要りませぬ
あれで菖子様はなかなかお転婆
よく泣かされました
兄は 菖子様のじゃじゃ馬ぶりが気に入って妻にしたのです」
「小源太どのが信じるではありませぬか 」
菖子は おっとりした笑みを浮かべる
実に落ち着いている
茜野の里からの見舞いは 何か裏事情があるらしいのだ
小源太 いや源太郎は 遠見の方こと母 深寿々(みすず)に対面することを覚悟した
どうも恋物語にならなくて^^;