Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

細雪

2008-01-08 | 日本映画(さ行)
★★★★☆ 1983年/日本 監督/市川崑

「女優を魅せる映画だが、真の主役は大阪弁」


女優を見せる映画、というのがある。日本映画でのルーツにおいては、高峰秀子とか原節子などの往年の大女優を真っ先に述べるのが道筋なんだろうが、60年代生まれの私としては、スクリーンで映える日本の女優と言えば、岸恵子、岡田茉莉子、佐久間良子などが真っ先に思い浮かぶ。

というわけで、この細雪は、これでもかと私の大好きな女優陣を美しく魅せてくれる映画。女優を撮らせたら超一流の市川崑の面目躍如といったところ。着物を脱いだときの襟足、はだけた着物から覗く足首など、着物での立ち居振る舞いから日本女性の艶めかしさが匂い立つような映像が続く。そして、はっとしたり、振り返ったり、泣いたり、笑ったりする女優たちの顔、顔、顔…。どれもこれもが美しい。

冒頭、岸恵子のアップがあるのだが、まあ、その美しさにはオンナの私でもうっとり。これが、、市川流「女優真正面斬り」のカットで、とにかく正面斬りが次から次へと出てくる。

しかし、四姉妹の中で特に印象深いのは、つかみどころのない三女・雪子を演じる吉永小百合。姉の言うことなら何でも聞く大人しそうに見える女性だが、次から次へと湧いてくる見合い話にも一向に首を縦に振らない頑固さがある。また、おしとやかで潔癖に見えるのに、義理の兄の前で着物をはだけたりして無防備な一面もある、実にミステリアスな存在。清純そうな彼女が時折見せる微笑がやけにセクシー。吉永小百合という女優には、私は何の思い入れもないが、この作品は、とても良かった。もともと彼女が持っている清純さをうまく利用して、その裏にある物を引き出そうとした監督の手腕がうかがえる。

しかし、これほど女優陣の美しさが前面に出た映画でありながら、一番強く印象に残ったのが、実は大阪弁。大阪弁と言えば、今ではお笑いブームもあって「えげつない関西弁」というイメージが強いが、この船場の四姉妹が話す大阪弁の何と艶やかなこと。そのおっとりした語り口を聞いていると、京都弁かな?と一瞬思うこともある。

原作が谷崎なので、実は京都弁もまじっているのかも知れない。このあたり、厳密なところを突っつくと、怪しい部分もあるかも知れないが、生粋の大阪人である私でも、船場のええとこのお嬢さんがしゃべるおっとりした大阪弁は、すんなり耳に溶け込んできた。きっと、生粋の京都弁ならば、もっともっちゃりした(失礼^^)感じになるだろうし、京都弁独特の「~どす」という表現もなく、大阪弁として脚本は書かれていたと思う。

で、この大阪弁のニュアンスを楽しめるかどうかは、この映画の大きなポイントだと思う。雪子の結婚がようやくまとまりそうな予感を見せる「あの人ねばらはったなあ」「ん、ねばらはった」と言うおねえちゃんとなかんちゃんのラストの会話。「ねばった」という事実には、なかなか見合いを決めなかったことへの非難が込められているが「~しはった」という敬語がそれを和らげている。そして、「~しはったなあ」と感心していることで、ねばって意中の男を射止めたことを称えてもいるのだ。雪子の見合いに翻弄されてきたふたりの姉妹の悲喜こもごもが込められた、いかにも関西人らしい会話だと思う。

このように、「含み」を持たせた大阪弁がこの作品の中にはふんだんに盛り込まれていて、本家や分家という立場の違いで本音が言えない部分だとか、夫への文句を言いたいがストレートに言えない部分などで実に効果的に使われている。そして、その「含み」のあるのんびりした大阪弁が四姉妹そのものをも魅力的に見せている。生粋の大阪人である私も、あのような大阪弁をしゃべれば、「ちょっとは、おんならしい、見えるのんとちがうやろか」と思った次第。スローテンポ大阪弁、私も努力してやってみよ。