Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

忘れられぬ人々

2008-01-14 | 日本映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2000年/日本 監督/篠崎誠
「全部彼らが背負っている」


戦後の復員後、荒れた生活を送る木島(三橋達也)は、孤独な老人。ある日、戦友・金山の遺族を探していた木島の元に、金山の孫娘・百合子が戦友会に顔を出すという報せが届いた。以来、太平洋戦争を共に闘った木島、村田、伊藤の3人の老人と若い百合子との交流が始まった。しかし、百合子の恋人は霊感商法の会社に就職し、その魔の手は3人のところにも及ぶことになり…

決して派手ではないけれど、実にさまざまな現代の病巣を浮き彫りにしている作品です。まず、戦争のトラウマを引きずったまま年老いてしまった老人の問題。彼らはお国のために闘ったという誇りよりも喪失感の方が大きい。しかも時代に取り残されてしまったという寂しさを抱えている。一方、現代日本の空虚さを象徴する霊感商法。悪いこととはわかっていても、抜けることができない若者が彼らと出会ってしまうことが悲劇を招いてしまいます。

●戦争に生き残った老人と現代を生きる空虚な若者
●在日朝鮮人でありながら日本のために戦死した金山の孫娘と
日本人でありながら生き延びた男(老人)たち
●アメリカ人の子どもとアメリカを敵にして戦争を経験した木島

と言った対立関係にある存在が、悲しくも運命的な邂逅を繰り返し、物語の前半は粛々と進みます。そして、3人の老人たちのささやかな幸福にじわじわと忍び寄る闇。彼らの運命はどうなるのか、後半ぐっと物語はドラマチックになり、予想外のラストへ…。

こんな日本にするために戦ったんじゃない、と言う老人に結局、現代の日本の落とし前までつけさせてしまうラストの展開。彼らに全部押しつけてしまっていいのか、と映画は我々に訴えます。戦後60年以上たった今でも、日本はいろんなことにケリをつけていない。そのひずみがどんどん広がるのを私たちはただ黙って見ているしかないのでしょうか。意を決して出発する木島たちの姿が晴れ晴れとしている分、いっそうつらく感じる。背負うべきなのは、私たちなのに。