うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

菩提樹の歌詞

2010年05月01日 05時33分57秒 | 俳句・短歌、またはエッセイ

先日、テレビのNHK・BS第二放送で映画 ‘菩提樹’(原題 Die Trapp-Familie)をやっていた。この歌曲名に惹かれて見たのだが、その背景について、やっと得心がいった。そうか、第二次世界大戦中のオーストリアの貴族、トラップ家族の実話に基づいたのか。ナチスの迫害によりアメリカに移住する物語。そして、ミュージカル ‘サウンドオブミュージック’の元になった映画。
 わたしにとって、そこで歌われているシューベルトの菩提樹の歌詞の意味が以前から少し謎であった。ここではWEB上で渉猟し検索したものを挙げてみる。はなはだ勝手なことをして、ここまで資料をまとめられた関係者の皆様方、ごめんなさい、そして大変ありがとう。
 わたしの仕事に引きつけて言うならば、菩提樹は日本の中部地方や東北・北海道ほかの山野にあるシナノキの仲間、インドのお釈迦さまの説話に出てくる菩提樹と科が別物である。
 これは都市のオープンスペースや都市近郊ではあまり見かけない樹木である。樹形は円錐形から広卵形で自然に整形を保つ、落葉高木。大径木になる高木性で、ケヤキやサクラと同じく庭木としてはふさわしくない。この樹木は、都内文京区小石川の東大植物園に植樹した樹林がある。

 原語はドイツ語であるが、上段は直訳で詩の文であり、下は日本語訳でよく見聞きする歌詞であるが、近藤朔風さんの名訳とされているもの、その曰くも転載する。
 
Winterreise D 911
Liederzyklus nach Gedichten von Wilhelm Müller
--冬の旅-- ヴィルヘルム・ミュラーの詩による連作歌曲集
5. Der Lindenbaum 菩提樹

Am Brunnen vor dem Tore, 市門の前の 泉の側、
Da steht ein Lindenbaum, そこに一本の菩提樹が立っている。
Ich träumt' in seinem Schatten 僕はその木陰で見たものだった、
So manchen süßen Traum. とてもたくさんの甘い夢を。

Ich schnitt in seine Rinde 僕はその皮に刻み込んだ、
So manches liebe Wort; とてもたくさんの愛の言葉を。
Es zog in Freud' und Leide 嬉しい時も悲しい時も
Zu ihm mich immer fort. 僕はいつもその樹に惹かれていった。

Ich mußt' auch heute wandern 僕は今日も木の側を通って
Vorbei in tiefer Nacht, 真夜中に旅立たなければならなかった。
Da hab' ich noch im Dunkeln その時、僕は真っ暗闇にもかかわらず
Die Augen zugemacht. 目を閉じてみた。

Und seine Zweige rauschten, するとその枝たちがざわめいた、
Als riefen sie mir zu: まるで僕に呼びかけるように。
Komm her zu mir, Geselle, 「こっちへ来なさい、友よ、
Hier findst du deine Ruh'. ここにあなたの安らぎがあります」

Die kalten Winde bliesen 冷たい風が僕の顔に向かって
Mir grad' ins Angesicht, 正面から吹いてきた。
Der Hut flog mir vom Kopfe, 帽子が僕の頭から飛んでいっても、
Ich wendete mich nicht. 僕は振り返りはしなかった。

Nun bin ich manche Stunde いま 僕は何時間も
Entfernt von jenem Ort, あの場所から離れたはず。
Und immer hör' ich's rauschen: けれど僕にはずっとざわめきが聞こえたままだ
Du fändest Ruhe dort! 「あなたはここで安らぎを得られたのに!」

1.
泉にそひて、繁る菩提樹、慕ひ往きては、
美(うま)し夢みつ、幹には彫(ゑ)りぬ、ゆかし言葉、
嬉悲(うれしかなし)に、訪(と)ひしそのかげ。

2.
今日も過ぎりぬ、暗き小夜なか、眞闇に立ちて、
眼(まなこ)とづれば、枝は戦(そよ)ぎて、語るごとし、
来(こ)よいとし侶(とも)、こゝに幸あり。

3.
面をかすめて、吹く風寒く、笠は飛べども、
棄てゝ急ぎぬ、遙(はるか)離(さか)りて、佇まへば、
なほも聴こゆる、こゝに幸あり。


泉に添いて 茂る菩提樹
したいゆきては うまし夢見つ
みきには彫(え)りぬ ゆかし言葉
うれし悲しに といしそのかげ

今日もよぎりぬ 暗きさよなか
まやみに立ちて まなこ閉ずれば
枝はそよぎて 語るごとし
来よいとし友 此処に幸(さち)あり

おもをかすめて 吹く風寒く
笠は飛べども 捨てて急ぎぬ
はるかさかりて たたずまえば
なおもきこゆる 此処に幸あり
此処に幸あり

 詞は明治時代の訳詞家近藤朔風(さくふう:1880-1915)の手になる。「菩提樹」「ローレライ」「野薔薇」などの訳詞はあまりにも有名ですが、35歳余りで早世したこともあり、その業績も上記の数曲を除き遠い過去のものになってしまっているようです。『雀の子』のように、クラシック歌曲の日本語化は原詩と関係ない替え歌であった時代に、原詩に沿った訳詞を試み、その後100年も歌い継がれている名訳を残した朔風の偉大さは忘れられてはならないでしょう。
 楽譜により歌詞や漢字と仮名の使い分けなど異同がかなりあります。そこで今回、国会図書館で生前の出版譜(明治43年『女聲唱歌』)を参照して来ました。朔風自身が眼を通した一次資料としてまずは決定的と言って良いのではと思います。

 楽譜の方は原曲そのものではなく、ジルヒャーの編曲かそれを元にしたものと思われ、短調に転調しない民謡風有節歌曲の形の女声二部合唱です。著作権は消滅している。
 歌うための訳詞という制約もあり、原詩の語を少なからず省略してはいますが、日本の風景に置き換えられながらも、人の心の中にある「原風景」として見事に機能している素晴らしい訳だと思います。
 なお、朔風は訳詞のための号であるようで、表紙には編者として本名の近藤逸五郎(いつごろう)が記され、本文中の訳詞者名は朔風と表記されていました。

 わたしには一般的にリリカル、センチメンタルという印象。明治という時代背景の中、日本ではまだ未熟な人心を巧みに自然の中に歌い込んだなという感じ。旋律とともに歌詞も、もちろん、美しい。
     
コメント (5)
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