わたしは、休みの間に重苦しい思いで 新潮文庫「少年リンチ殺人--ムカついたから、やっただけ」ー日垣隆 を読み終えた。
日垣隆のものは、いつもは討論やディベート紛いの文章に空虚さを感じて、なんども辟易しているのだが、この本は違う、著者の出色の出来映えだろう。この著作は少年事件の良質なレポートであり、これからも後世に残る読み物である。何と言っても、動機自体に自身の深刻な体験があるのだ。
この本の読んだ後の感想を記す。
とはいっても、内容紹介などと月並みな読書感想文ではない。
翻って、加害者であるこの子供たちの親に索漠とした気持を持つ。無責任極まる。親は、わたしのちょっと上の世代である ‘団塊の世代’だが、彼らの子供に対しての家庭教育の内容にわたしは全く同情できない。なにが、マイホーム主義だ・・・、子の自由こそが第一・・・、友達のように子に接する・・・、かわいそうだから子を叱らない・・・・・、などというしつけ、態度。
当り前のことだが、子は親の背中を見て育つ。
事件の加害者の親たちは、特に産業基盤のある長野の地方都市で、この恵まれた生活を維持していくのに最大の幸せを感じているようなのだが、この事件で見る限り、わたしには社会的責任を放棄して、すべて問題は自分以外、例えば社会にあるとする狡猾さを感じるのだ。
この人たちは先祖伝来の財産を受け継ぎ、地元の役所や安定企業に勤めて成功したという境遇に納得しているようだ。地域社会、隣り近所、縁故親戚関係という身近な世間体に、たてまえ、事大主義、付和雷同、それに対して責任ある自由意思の存在は何処か。自分の家庭だけが良ければいい・・・・・。
要するに、彼らは本質的な意味合いで、自活したことがない。自立の意味もわからない。社会における最低限の人間関係構築の厳しさを知らない。
物心ともに、はじめは無から出発したわたしにとってうらやましい限りではあるが、わたしには厭な気分のみが残った。